『鳳仙花 評伝・洪蘭坡』 (Hong Nan-pa )
洪蘭坡(Hong Nan-pa 、1897年4月10日 - 1941年8月30日 )は、
朝鮮出身の作曲家、ヴァイオリニスト。東京音楽学校予科出身。
本名は洪永厚、日本名は森川潤。「鳳仙花」「故郷の春」などの
歌曲を作曲し、鮮歌曲の先駆者と称えられている。

京畿道華城市出身。伝統楽器を愛好していた父の元で育ち、
ヴァイオリンをおもちゃではあったが独学で習う。1911年に
プロテスタントの洗礼を受ける。中央基督教青年会中学部在学
中にアルバイトで金をためてヴァイオリンを購入。その後、音楽の
夢を捨てられずに1918年に日本へ渡り、東京音楽学校予科へ通う。

在学中の1919年にヴァイオリンを質に入れてまで三・一運動に身を
投じるが運動は失敗し、洪も学校を中退して帰国。その後、1920年
に短編小説集「処女魂」を発表する。その前書きに載せた
ヴァイオリン独奏曲「哀愁」に、1926年になって友人の金享俊が
ホウセンカに託して民族の苦難を詠った詩を付けたのが「鳳仙花」
である。その後は作曲家、ヴァイオリニストとして活動したが、
「鳳仙花」が知られるようになったことが災いし、官憲から監視・
拷問を受けたのが元で44歳で他界した。
だが、日本統治時代に軍歌などを作成したことなどから、2008年4月に民族問題研究所に
より親日人名辞典にリストアップされた[1]。京畿道で開かれている「蘭坡音楽祭」のウェブ
サイトには、「親日派の名前を冠した音楽祭を開くなんて、一体何を考えているのか」という
抗議が殺到した。  [1]「親日派」洪蘭坡の断罪は正しいのか(下)朝鮮日報 2008/11/14 2.

しかし、遺族が親日反民族行為真相糾明委員会を提訴したことにより、2009年11月27日に
発表された親日派リスト第3期(1937年-1945年)からは除外された。
             [2]朴正煕・洪蘭坡、親日名簿から除外、中央日報 2009/11/30

   著者:遠藤喜美子 声楽家・高齢者福祉を考える会代表
    1927年福岡県生まれ、1949年福岡県立女子専門学校卒、1959年国立音楽大学卒
    盛岡大学文学部教授、付属厨川幼稚園園長、聖学院大学人文学部教授を履歴。

遠藤喜美子著『鳳仙花 評伝 洪蘭坡』に対する書評

            洪 顕吉 (韓国嘉泉大学名誉教授)

 『鳳仙花 評伝 洪蘭坡』は韓国人音楽家洪蘭坡に対する日本の音楽教授
 遠藤喜美子の著書である。 

この本は日本の文藝社により2002年4月出版されたし2012年12月再版されている。

 韓国人は小中高の音楽時間を通じて洪蘭坡が作曲した歌を学ぶから洪蘭坡と
いう名前を皆知っている。しかし、洪蘭坡はいつどこで生まれ、いかに生きて
きたか、またどのような人かを知っている人は少ない。なぜならば、洪蘭坡に
対する研究がほとんどされていないからである。

  洪蘭坡という名前は芸名であり本名は洪永厚である。現在のソウルの南西の
方に華城という地名がある。この華城は本来南陽という地名である。洪蘭坡は
この南陽で 1898年誕生した。南陽には六百年前から洪という姓を持つ一族が住
み始めた。 この一族は自ら洪を南陽洪氏土洪系と決め今まで一つの家系を成し
遂げている。洪蘭坡はこの家系の24世孫にあたる。

 洪蘭坡が生まれた次の年、蘭坡の家族はソウルに引っ越しした。ソウルの家
は現在の梨花女子高校である梨花学堂の付近にあった。それで、蘭坡は学堂か
ら響き渡る歌声や楽器の音を聞きながら成長した。また近所にあるセムンアン(
新門内)キリスト教会に通うようになり、はじめて讃美歌とオルガン合奏に接す
ることになった。このような周りの環境が蘭坡の音楽性を開いたとみられる。

 蘭坡は15才の時朝鮮正楽伝習所という音楽学校に通った。その後、日本の東
京音楽学校と東京高等音楽学院、また、シカゴのシャーウッド音楽学校に留学
した。その内に、「鳳仙花」等を作曲し、「朝鮮童謡100曲集」「朝鮮歌謡作
曲集」等を出版した。また日本の留学中には朝鮮独立万歳事件に連累し、東京
音楽学校を退学され帰国し、芸術総合誌『三光』を発刊したりした。

  洪蘭坡は作曲家として、バイオリン演奏者や音楽理論家として活躍し、韓
国近代音楽の嚆矢のような存在になった。 しかし、日本帝国はアメリカに太
平洋戦争を引き起こしたが、戦況が不利になり、朝鮮の芸術人達と知識人達を
脅迫し、創氏改名は勿論、朝鮮の青年達が戦争に積極的に参加するよう歌を作
曲させたり、激励文を書かせたり、講演をさせたりした。これを拒否する人は
監獄で収監されたりした。

  蘭坡はクリスチャンであり、東京の朝鮮留学生達の独立万歳事件に連累し
た人であり、アメリカ留学の際には朝鮮独立運動家安昌浩の興仕団に加入し活
躍した人なので、日本帝国の脅迫に負ける人ではなかった。結局収監され酷い
拷問の末過去の肋膜炎が再発され監獄から出て病院に入院されたが1941年虚し
く世を去ってしまった。

 現在、ソウル付近の水原には洪蘭坡の代表作の一つである歌「故郷の春」の
記念碑と洪蘭坡の銅像がある。壇国大には洪蘭坡音楽記念館がある。また洪蘭
坡記念音楽会が蘭坡の生家等で時々開かれている。遠藤喜美子先生は以上のよ
うな洪蘭坡の一生を正確に調査し、韓国でもまた研究していない蘭坡の生涯を、
『鳳仙花 評伝 ? 洪蘭坡』という一冊の本にまとめたのである。 特に、先生
は、この本のなかで、当時の植民地の歴史や蘭坡がなぜ親日派に誤解非難され
ているかに関して、正確に述べている。

 遠藤先生は洪蘭坡が通った東京高等音楽学院である日本国立音楽大学で声楽を
専攻し、盛岡大学と聖学院大学で音楽教育を担当した音楽教授である。このよ
うな日本の音楽家が韓国の音楽家を研究することは、日本人と韓国人がお互い
によく知り合いよく理解し合う関係を作るのに一助する立派な研究だと言えよ
う。

 『鳳仙花 評伝 洪蘭坡』はB6,4*6版(188mm *127mm)の177ページの本であるが、
その中の50余枚の写真などは本の内容の正確さを証明するのに十分な資料である。
この本は韓国近代音楽の嚆矢洪蘭坡の一生を研究した最初の本である。特に韓国
や韓国の音楽に関心を持った人々にぜひ薦めたい本である。



               推 薦 状

この度本学校法人文学部遠藤喜美子教授の多年にわたる研究の成果が『洪蘭坡評
伝』として出版の運びとなりました。

これは同教授の真摯な関心とたゆまぬ努力を結実させたものでありまして、しか
も洪蘭坡という韓国、日本と関係深い音楽家・作曲家で、日本でも必ずしも良く
識られていない人物をとり上げ、その経歴、創作活動、生きざまと思想背景など
を克明に調べ上げた労作であります。

この著作は遠藤教授の学問的背景と音楽家としての経歴をもってしてはじめてま
とめうるユニークな作品であり、韓日の文化的交流と総合理解に大きな貢献を果
たすものと信じております。

多年の韓日の学生交流のために故、金素雲先生と交誼と友情を頂いた者として、
この出版を衷心より歓迎し、遠藤喜美子教授とこの著作を心から推薦申し上げま
す。

2001年11月27日
                 聖学院大学学長 飯坂 良明

財団法人 日韓文化交流基金 御中

 
鳳仙花 作曲:洪蘭坡 詩: 金亨俊

垣根の下の 鳳仙花よ
おまえの姿は 悲しげだ
長い長い 夏の日に
美しく 花咲く時には
可愛らしい 娘らが
おまえを喜んで 遊んだ

いつしか 夏は行き
秋の風 そよそよと吹き
美しい 花びらを
酷くも 痛めつけ
花散り 枯れてしまった
おまえの姿が 悲しげだ

北風に寒雪 冷たい風に
おまえの姿が なくなっても
平和な 夢をみる
おまえの魂は ここにあるから
のどかな 春風に
よみがえることを 願うよ

ポンソンファ

ウルミッテソン ポンソンファヤ
ネモヤンギ チョリャンハダ
キルゴキンナル ヨルムチョレ
アルムダプケ コッピルチョゲ
オヨップシン アガシドゥル
ノルルパンギョ ノラットダ

オオンガネ ヨルムカゴ
カウルパラム ソルソルプロ
アルムダウン コッソンイルル
モジルケド チムノハニ
ナッファロダ ヌルゴチョッタ
ネモヤンギ チョリャンハダ

プクプンハンソル チャンパラメ
ネヒョンチェガ オプソヂョド
ピョンファロウン クムルクヌン
ノエホヌン イェイッスニ
ファチャンスロン ポムパラメ
ファンセンキルル パラノラ
 1)鳳仙花 洪蘭坡 李政美(Lee Jeong Mi)

 2)鳳仙花

 3)鳳仙花 北朝鮮

 4)鳳仙花 North Korean Song "Garden Balsam"        
   故郷の春

          作詞:李元寿 作曲:洪蘭坡


1.わたしの住んでいた故郷は、花咲く山の谷。

  桃の花、杏の花、小さなツツジ。

  色とりどりの花の宮殿のあった村。

  その中で遊んだころが、なつかしい。


2.花の村、鳥の村、私の昔の故郷。

  青い野原の南から風が吹けば、

  小川のほとりにしだれ柳が舞を舞う村。

  その中で遊んだころが、なつかしい。
        고향의 봄

1. Na-eui sal-deon ko-hyang-eun kkoch phi-neun   san-go    ナエ・サルドン・コヒャウン・コッピヌン・サンゴル。

 Pok-sung-a-kkoch sal-gu-kkoch a-gi-jin-dal-lae.
    ポクスンアッコッ、サルグッコッ、アギチンダルレ。

 Ul-geus-pul-geus kkoch-tae-gweol ja-rin dong-ne.
   ク・ソゲソ、ノルドン・テガ・クリプスムニダ。


2. Kkoch-dong-ne sae-dong-ne na-eui yes-ko-hyang.
   コッ・ドンネ、セ・ドンネ、ナエ・エッコヒャン。

 Pha-ran deul nam-jjog-e-seo pa-ram-i pul-myeon,
  パラン・ドゥル、ナムチョゲソ、パラミ・プルミョン、

 naes-ka-e su-yang-beo-deul chum chu-neun dong-ne.  ネッカエ、スヤンボドゥル、チュム・チュヌン・ドンネ。

 Keu sog-e-seo nol-deon ttae-ga keu-rip-sub-ni-da.
     ク・ソゲソ、ノルドン・テガ、クリプスムニダ。
1)故郷の春  韓国語

2)故郷の春  日本語

3)故郷の春 北朝鮮音楽 DPRK musics

4)故郷の春 北朝鮮学習用

5)故郷の春韓・日は故郷が同じ、児童交流は
   韓日の春の歌です。2009.5.18 ソウル在韓日本大使館、
   第30回韓日女性親善協会(会長李堯植・森山真弓) 
   主催、在韓・日 両国大使館後援、 毎年、韓・日交互に開催。

鳳仙花―植民地韓国の辛酸と自国独立への希望を託した歌

 NHK教育テレビ(一部総合テレビ)で放送される「名曲アルバム」を10年ほ
ど前からよく聴いている。この5月(2008年)の放送曲目の中では「鳳仙花」
(作曲 洪蘭坡/編曲 金子仁美/演奏 北原幸男<指揮>、NHK交響楽団/
の美しいメロディと作曲者洪蘭坡の生い立ちに惹きつけられた。

 洪蘭坡(ホン・ナンパ。1897~1941年)は韓国の「楽聖」と呼ばれた同国の近
代音楽の先駆的作曲家であるが、バイオリン演奏、評論も手がけた人物でもある。
1917年から東京音楽学校で学んでいたが、3・1独立運動を機に帰国し、独立運動
に参加した。帰国後、彼は「哀愁」という題の曲を作り、声楽家、金享俊(キム
・ヒョンジュン)が5年後にこれに詩をつけたのが「鳳仙花」だった。表向きは
鳳仙花の四季のうつろいを詠んだ歌であるが、実際は、日本の植民地支配で祖国
を滅ぼされた朝鮮人の哀切を、秋風に花を散らせ、北風に吹きつけられる鳳仙花
の悲しげな姿に託すとともに、のどかな春風の季節に蘇る鳳仙花になぞらえて祖
国の独立を夢みる朝鮮人の希望を代弁した歌である。メロディはこの詩にふさわ
しく、静かな哀切調の中に、自国の独立、人間としての尊厳を固持しようとする
朝鮮人の強靭な意思をにじませて実に美しい。

 洪蘭坡の苦難の生涯

 しかし、「鳳仙花」の成り立ちを調べていくにつれ、この歌は作曲者、洪蘭坡
の苦難の生涯と切り離して語ることはできないと悟った。名曲アルバムも映像の
字幕で紹介していたが、日本の官憲は鳳仙花の歌詞に込められた抗日・祖国独立
の隠喩を嗅ぎつけ、洪蘭坡を日本の朝鮮支配に抵抗する危険人物と見なして日常
的に監視し出した。その圧力に耐えかねた彼は1941年、43歳の若さで他界した。
太平洋戦争開戦の3か月前だった。

 しかし、洪蘭坡を死においやった理由はこうした官憲の監視による精神的肉体
的疲弊だけではなかったと考えられる。彼は日本軍国主義による朝鮮統治が頂点
に達した時期に日本に強要されて数編の軍歌を作曲するとともに、京城放送管弦
楽団の指揮者として「皇国精神にかえれ」、「愛馬進軍歌」、「太平洋行進曲」
など日本の軍歌を指揮・演奏した。音楽活動を通じて朝鮮民族の痛恨と誇りを代
弁しようとした彼にとって、こうした反民族的行為への服従がいかに耐えがたい
残忍なものであったか、想像を絶する。

 後世、韓国内では洪蘭坡のこうした日本軍国主義への「協力」行動を理由に彼
を「親日派」に加える動きがある。たとえば、韓国民族問題研究所は本年4月に
「親日人名辞典」に掲載するリストを改訂するにあたり、洪蘭坡を親日派のリス
トに加えた。これについて『朝鮮日報』は本年5月1日の紙面に「親日・反日の尺
度では量りきれない歴史」と題する社説を掲げ、次のように記している。

  「しかし日帝が朝鮮を支配した1910年から45年までの36年間、この地で生き
た朝鮮人の数多くの人生を、親日と反日の二分法で区分するにはあまりにも事情
が複雑だ。日帝時代に青年から壮年の時期を過ごした世代は、洪蘭坡(ホン・ナ
ンパ)が作曲した数百の韓国歌曲、中でも『成仏寺の夜』『鳳仙花』などを口ず
さみながら、国を失った民の悲しみと悲哀を骨身に染みて痛感し、祖国を取り戻
さなければならないという思いを新たにしていた。もちろん洪蘭坡 は日本によ
る統治が最悪の状況に至った当時、日本に強要された数編の軍歌も作曲した。現
在は独立した国である大韓民国で心穏やかに日々を過ごしているわれわれが、あ
たかも批評や論評でも加えるかのように、洪蘭坡に対して『親日派』のレッテル
を貼っていいものだろうか。・・・・・親日派リストを発表した当事者たちが、あの過酷
だった植民地時代を生き抜き、『自らに対しては霜柱のように、他人に対しては
春風のように対せよ』という『持己秋霜 待人春風』の姿勢を持っていたなら、
今回のような行いをすることは決してなかっただろう。」(醍醐聡のブロッグより)


From: junowaki <junowaki@able.ocn.ne.jp>
To: e-mirai <e-mirai@yahoogroups.jp>
Date: Fri, 15 Mar 2013 21:40:32 +0900
Subject: Re:芸術は国境を超えて 

 希望溢れる未来を築くために、現実の様々な障壁を超えてご努力されている皆様、

先日は3.11東北大震災に心を寄せる隣国韓国の詩人、李承信女史の詩集『君の
心で花は咲く』の出版記念パティーのご紹介を致しました。当日の参加者の一
人、申?秀駐日韓国大使は「雨天の友こそ真の友」と彼女の詩を紹介しながら
追悼を述べてます。(3月13日国際6面, 参考:http://www.owaki.info/shiryo/lee/Lee.html)

当日の参加者の一人、ソプラノの声楽家、遠藤喜美子教授は『鳳仙花―評伝・
洪蘭坡』の著者。遠藤さんとお話していて共通の知人も多く、話に時間を忘れ
るほどであった。特に洪蘭坡氏は韓国民なら、誰でも知っている多くの愛唱歌
を作曲した“韓国の山田耕作”とも称される作曲家である。小生は1960年代末、
李宣根博士(『民族の閃光・韓末秘史』著者朴正煕大統領顧問、元嶺南大学総
長)ソウルの自宅にご招待受けた折、韓国語の歌のレパートリーの乏しい小生
は『鳳仙花』を唄った。その歌が終わると李博士は目に一杯涙を浮かべながら、
「その歌の背景を知っているか?」と作曲家のこと、また第2次大戦末期、抗
日運動で拘束され処刑される寸前の朝鮮の青年が「最後に何か言うことがある
か」との銃殺執行将校の言葉に朗々と歌ったのが、この「鳳仙花」であった、
と鬼瓦のような顔からどすの利いたド迫力ある話にまったく身のおく場も無い
ほどその歴史の重みに圧倒されたことを思い起こしました。

韓国で文化勲章を受章された洪氏、しかし反日ムードの21世紀代初頭、「親日
家」として遺族の方は冷遇され、晩年は寂しいものであったという。同じ国立音大
(東京音楽学校)出身であるある遠藤さんは「洪先生は国境、政治イデオロギーを
超えた偉大な真の音楽家であった」と韓国を訪問、調査し纏めたのが今回の本で
あるという。今、韓国の有志がこの本の韓国語訳出版の話をしている。洪蘭坡氏
の業績が再評価されること通じて、韓日関係に光明が射すことであろう。
      
我々有志も昨年末に「藝術は国境を超えて」と題し、芸術・文化は国境を超え
てひとと人の心を結ぶものであることを日本学研究者の講演、著名な音楽家の
演奏を通じて体験した(http://www.e-gci.org)。

3月21日国立の遠藤喜美子さん宅へ石川先生とお伺いしました。

 石川先生は先日帰韓された折、MBC放送のインタヴューを受けられ、3月1日
韓国で放映されたそうです。第2弾として、MBCスタッフが東北震災の医療ボ
ランティア活動、その後の秋川の皆野小学校跡を拠点した地域活性化活動を取り
上げる予定だのとのことです。石川先生は、遠藤先生にその第2部として『洪蘭
坡評伝』を出版するまでのエビソードを取材してもらうことはどうかと、また韓
国語版の本の出版の話もれました。85歳になられる遠藤先生はニュージランドに
お住まいの息子様のご家庭、米国にいる次男の家庭へ行くのもおっくうになって
いるそうですが、洪蘭坡さんを苦しめた韓日の蟠りを取り払うのに役立つなら最
後のご奉公と思って訪韓を前向きに検討のご様子でした。

Ida Haendel  ヴァイオリン・コンサート
ダ・ヘンデル  2013年3月27日(水) 浜離宮朝日ホール

イダ・ヘンデル CBE(Ida Haendel CBE、1928年12月15日 - )は、ポーランド・
ヘウム出身のイギリスの最長老ヴァイオリニスト。

ワルシャワ音楽院に学んだ後、ベルリンでカール・フレッシュに、またパリでジョ
ルジュ・エネスコにも師事。第二次世界大戦中は、他の多くのユダヤ系ヴァイオ
リニストと同じく、英軍・米軍のために慰問演奏を行なった。鋭いテクニックと、
ニュアンスに富んだ音色が特徴的だが、気品よりは感情表出の激しさによって、
女性ヴァイオリニストの中でも一頭地を抜いている。
影響を受けた芸術家として、同郷の先輩ヴァイオリニストブロニスワフ・フーベ
ルマンや、指揮者ラファエル・クーベリックへの傾倒を語っている。

今なお現役で、テクニックや艶やかな音色にはいささかの衰えもみせてはいない
が、1980年代の実質的な活動停止や、録音嫌い(長いキャリアにもかかわらず、
録音数は非常に少ない)、長年にわたって実年齢を伏せてきたことから、「マル
ツィやヌヴーと同世代の伝説の女性ヴァイオリニスト」といわれ続けてきた(そ
れでも生年については諸説あり、1924年生まれ説も有力である)。先年、ウラジ
ミール・アシュケナージとの共演によるCD制作によって見事な復活を果たし、
1998年には指揮者サイモン・ラトルと、2004年にはピアニストフー・ツォンとと
もに来日も果たしている。現在はカナダ在住といわれる。

ヘンデルはヨーロッパ大陸の出身者にもかかわらず、イギリス音楽にも深い関心
と理解を示し、エルガーやブリテンの協奏曲を積極的に演奏・録音したほか、ウォ
ルトンのヴァイオリン協奏曲の録音は、この作品の模範的演奏の一つに数えられ
ている。英国楽壇への功労が認められ、1991年にはCBEを受勲した。

演奏に専念するため入門志願者を断わることでも有名だったが、例外的に米独の
混血ヴァイオリニスト、デイヴィッド・ギャレットを世に送った。しかしヘンデ
ル自身は、「私は彼の(最初の)ファンであって、師匠ではない」と主張してい
る。  (「ウイキペヒア」より)

イダ・ヘンデルホームページはこちら    Englishはこちら

IDA HAENDEL: VOYAGE OF MUSIC Program UpLoad: 2009/10/24

PROGRAM 1 PART 1 of PROGRAM : 1 of the of the 1988 documentary of the life
and career of violinist Ida Haendel, produced and directed by Richard Bocking.
Ms. Haendel started playing at three and a half years and was entering adult
competitions and giving recitals by the age of 7. Ms. Haendel has had an
extraordinary career spanning over 7 decades, most recently giving 2 recitals
in Japan (October 2009) .

The 2-part program includes excerpts from many recital and orchestral performances
with conductors Zubin Mehta (Israel Philharmonic Orchestra), Paavo Berglund
(Finnish Radio Orchestra), Gennadi Rozhdestvensky (London Symphony Orchestra),
Charles Dutoit (Montreal Symphony Orchestra) Claudio Scimone (Il Solitsti Veneti) and others.

イダ・ヘンデル健在Add StarUpLoad 2011/04/25

◎インタヴュー⇒ 井熊よし子のブロッグ