『君の心で花は咲く 』  カルチャーエッセイ

    
隣人・被災地の友に贈る192の詩 李承信


出版記念パティー 2013.3.7 有楽町・外人記者クラブ



3.7_2013 中西進先生 の李承信さんのご紹介  スピーチ全文はこちら
          李承信さんのご挨拶

KBS TV 2003.3.1- 李承信の"架橋"
  花だけの春などあろうはずもなし春の来たらぬ冬もまたなし
                                             放映された映像はこちら

「李承信一行詩の力」 Youtubuはこちら 


ムクゲ(無窮花)は韓国の国花
花言葉: 「尊敬」「柔和」「信念」「デリケートな美」


樹皮・花は漢方の生薬として利用される。抗菌作用があり、水虫薬に配合された
りする。 花は、乾燥させて「木槿花(もくきんか)」という生薬になる。消化
器系に効くとされ、胃腸炎の改善や下痢止め等に用いられる。
花は、1日でしぼむが、次々に咲き変わる。
日本には平安時代に渡来したとされ、万葉集に出てくる「あさがほ」は、この花ではないかという説もある。
フヨウに比べてやや花が小ぶりで、樹型も縦に伸びる。

アオイ科 落葉低木 原産地 中国 高さ3~4メートル前後
花期 6~10月 花色 ピンク、白、紅紫、花の底部が紅色(紅底)など





桜は日本の国花の1つ(もう1つは菊)

花言葉: 精神の美しさ , 神秘な心, 高尚, 純潔
    「優れた美人」」「淡泊」「優美」「あなたにほほえむ」


桜は日本の国花の一つ(もう一つは菊)、主に北半球の温帯と暖帯に分布するバラ科、
サクラ亜科、サクラ属の落葉高木または低木。ソメイヨシノは江戸末期以降に広まった園芸品種。
成長が早く、葉に先駆けていっせいに花を咲かせる様子の美しさから、第二次大戦後、公園など
に大量に植えられていった。(植物界 Plantae 被子植物門 Magnoliophyta )

花付きと樹勢の周期が「人の一生」にもたとえられる。
「木の寿命およそ80年、花付きが良いのは樹齢15年~50年の間」。
ソメイヨシノは人為的に適切な手入れ・管理を必要とする花木。
「シダレザクラ」は、 平安の昔から庭木として植えられていた。

さくらの名の由来:古事記に登場する桜の霊『此花咲耶姫(このはなさくやひめ)』
が、最初の種を富士山に蒔いたことで『さくやひめ』と呼ばれ、その名前が『さくら』になった
といわれている。



李承信さんと国谷裕子さん


From: junowaki <junowaki@able.ocn.ne.jp>To: e-mirai <e-mirai@yahoogroups.jp>
Date: Sun, 10 Mar 2013 15:38:24 +0900
Subject: Re:日・韓共感共鳴協働時代の到来

敬愛する諸先輩の皆様、

新年のご挨拶もせず、心にかかっていますが、想いを表現するとなるといろんな
ことが次々と思い浮かんび、文章にする時間とエネルギーが足らず、今日を迎え
ております。

今日は3月10日、寒さも緩み、大地の生の鼓動を感じる季節となりました。陰暦
から言えばまだ1月29日(大安)、新春のご挨拶を申し上げることをお許しくだ
さい。

今年になって小生の心に去来するのは日韓関係、日華関係、東アジアの未来です。
全貌を書きおろすことはとてもできませんので、今回は日韓関係につき箇条書き
で述べさていただきます。

1、今回2月25日、朴槿恵大統領就任式の祝賀に参加しました。内外の敵の銃弾
に倒れた父母、自らも刺客に襲われるという苦難を乗り越え、原稿も見ず、一点
のよどみも無く、自らの信念を語られる大統領の雄姿に改めて感動した。槿(む
くげ)とは韓国の国花、無窮花を意味し、正に朴槿恵大統領は、幾度も亡国の憂
き目に遭いながら、不死鳥のごとく蘇る韓国そのものの姿と言って過言であるま
い。

 独身を貫く大統領は「自分の子供は国民であり、国家が父母である」と吐露さ
れる閣下は国の母としてぜひ、相争う南北の2兄弟を和睦へ導き、国の統一を果
たして欲しいいと世界は念願している。

*「不死鳥、韓国の根本精神は何であろうか?」李丙ドウ博士【韓国学術院院長、
韓国古代史】をご自宅に訪問した折、韓国服に身をまとい、高齢にも関わらず
凛とした姿勢で語られたことばは忘れられない。請う、御一考。)

2、朴正煕大統領は、李承晩大統領の反日政策に変えて親日政策を取った、その
内容は「朴正煕選集」に述べられている。
 
 朴正煕大統領はまず、「わが五千年の歴史は、一言でいって退嬰と粗雑と沈滞
の歴史であった。このあらゆる悪の倉庫のようなわが歴史はむしろ燃やしてしか
るべきである。」と断罪し、「われわれが真に一大民族の中興を期するなら、ま
ずどんなことがあってもこの歴史を全体的に改新しなければならない。」と未来
への決意を語る。

 氏は民族の悪い遺産として次の4点を挙げている。
第一に、われわれの歴史は始めから終わりまで他人に押され、それに寄りかかって
生きてきた歴史である。自らを弱者とみなし、他を強大視する卑怯で事大的な思想。

第二に、われわれの党争に関することである。これは世界でもまれなほど小児病
的で醜いものである。

第三に、自主、主体意識が不足していた。「我々のもの」を失い、代わりに「よ
そもの」を仰ぎ見るようになり、それに迎合する民族性に陥らせてしまった。
「われわれのもの」はハングルのほかにはっきりとしたものは何があるか。

第四に、経済の向上に少しも創意的な意欲がなかった。

日本の政治家でこれほどまでに自国の歴史を断罪し、祖国を再建しようとの決意
に燃えた英雄は居たであろうか?

朴正煕大統領は日本に近代化、明治維新に学ぼうとし、明治天皇のようなに国父
になることを夢見ていらっしゃった。願わくは、御令嬢がその遺志を継いで、国
母の夢を成就されるよう祈念したい。1980年代半ば、筑波大で博士課程留学され
ていた李教授(韓国国民倫理学会会長)の先導で、日本に学びたいと黄永時氏
(朴正煕大統領側近、元陸軍参謀総長、監査委員長)が何年間か来日された。そ
の時見せられた研究項目は「日本とは何か」その本質に関するもので、日本人と
して襟を糺されたのを覚えている。日本は隣国に比べ、いち早く西欧を学んだ。
学んだ方が学ばない方よりは優れるのは歴史の理、文明興隆の移動を見ても明白
である。米国から多くを学んだ日本が、いまや後進発展と途上国から追い上げら
れるのも当然の歴史の成り行きと言える。
                               詳細はこちら

2、今、日本を代表する大企業が経営不振で喘いでいる。シャープがサムソンの
支援を受け、再生の道を選んだとのニュースが流れている。

日本人の最大の弱点は不変を描くことが苦手で、世界観を描けないこと、頭の中
に日本地図しかないことである。日本の戦前の最大の失敗は、日本的価値観をそ
のまま隣国に押しつけたことである。

 小生はいまモラトリアム状態にある大学の再生をかけ、韓国の大学関係者と協
議している。これが成功するかどうかは極めて厳しい状況であるが、国の枠を超
えて「共存共栄」の夢を追う時代が到来していることは確かである。

このことは「共義」(互いを尊敬する)があっってこそ可能である。1980年代日
本は「アメリカ発日本校」を全滅させ、日本人国際化の絶好の機会を逃してしまっ
た。秋田の国際教養大学が再生出来たのは、先日他界された中嶋嶺雄先生、秋田
県知事の協力があってこそであった。偏狭な国粋主義にこり固まった文部省官僚、
“教育労働者”の圧力が如何に国益を存しているか、元文部官僚、阿部美哉氏
(元國學院大学学長)の「アメリカ大学日本校」に詳しい。

昨年から日韓を往来する中で、3000人もの韓国戦災孤児を世話した田内千鶴子生
誕100年祭に韓国で出会った。御長男、尹(田内)基氏は日韓の高齢者介護の
ために「アジア平和福祉大学院大学」構想を提唱されている。また、『韓国人が
見た東アジア共同体─新巨大戦略』の著者、李承律氏の招待を受け、日韓トンネ
ル、韓中トンネル構想、最近中国から依頼され創立された延辺科学技術大学、北
鮮から依頼され開校した平譲科学技術大学の様子をお伺いした。氏は国や体制の
違う他国に大学を造ることが如何に難しかったかを吐露された。

 よど号事件当時の韓国大使、金山政英先生のお墓が韓国にもあることを御存じ
の方は少ないであろう。日韓弁護士会会長、陛下のチェロの先生らと金山大使の
お墓に詣で、「死してもなお日韓関係を見つめたい」との金山大使の篤い想いに
衝撃を受けたことを今も忘れられない。またその折陛下が韓国を訪問の意向があ
ることをお伺いした。東大教授だった金鉄佑博士は朴大統領に請われ、以後50年
余、韓国浦項製鉄の建設、退職後は報奨金を叩いて韓・日・中の中小企業の育成
に献身された。最近在日韓国人の人々と協働することが多いのも、新らしい日韓
関係の始まりの予兆なのかも知れない。

3、3月7日「一行の詩の力」と題して詩人の李承信(イ・スンシン)氏の出版記
念パティーが外人記者クラブで開催された。

2003年に他界された母、孫戸妍(ソンホヨン)詩人が生涯をかけて実践してきた
“詩を通じた韓日間の架け橋の役割”を李承信さんは引き継いでいる。孫さんは
韓国唯一の短歌詩人として日本の天皇の招請を受けるほどに日本でその名声を知
られた人物。小泉首相が日韓首脳会談の共同記者会見の最後に残した短歌 「切
実な望みが一つ我にあり 争いのなき国と国なれ」は、孫さんの短歌で、青森県
の六ヶ所村に歌碑にある。

「花だけの春などあろうはずもなし、春の来たらぬ冬もまたなし 」
「この廃墟にもう花などはと思いしが、君に心あり花は咲くなり」
「今日吾は宮城の君に思い馳せ、空で悲しむ母をも思う」

李さんは「私たちは桜が日本の国花であることを誰もが知っていますが、日本
人は槿(むくげ)が日本全国に美しく咲いているにもかかわらず、それが韓国
の国花であることを全く知らないので、そのことを知らせたかった」と語る。
また「日本の国詩として仰がれている短歌は、千四百余年前に渡来人によって
伝えられたもの、日本の最も古い短歌集である万葉集は百済人がつくったもの
である。そのような事実を日韓両国民に知らせる仕事をしている」とも語って
いる。日本の短歌専門家の中西進氏(元京都市立芸術大学元総長、奈良万葉文
化館長、陛下の短歌の師匠)は、「隣国の災害にこんなにも悲しみを詠んだ詩
人に私は深く感動し、そうした愛に尊敬の心を強く抱いた。国境を跳び越え心
をつなぐ詩の力を私は大きく感じた」と『君の心で花は咲く』の今度の新刊書
に述べている。⇒ http://www.owaki.info/shiryo/lee/Lee.html

2010年8月、「詩の力で世界平和を!」と東大、広島、長崎で世界の詩人11人が
結集して国際平和文化フォーラムのお手伝いをしたことを思い起こす。
http://poet2010.com/)人はそれぞれ持てる特技を生かして世界平和実現に貢
献すべきと思う。

李承信さんの出版記念パティーに参加を薦めてくださったのは、在日韓国人医師
会会長の石川(曹)自然博士である。
      ⇒ http://www.owaki.info/shiryo/hokoku.html

 韓国春川市生まれ、日本で育ち、米国に留学やドイツに留学した国際的に活躍
する医師である。若き頃3000mスケート競技に記録を造るほどのスポーツで鍛え
た強靭な体力を生かして、日韓を繋ぐボランティア活動の実績は日韓両国政府か
ら何度も表彰を受けるほどである。最近の東北震災に当っては在日韓国人医師と
して先頭にたって何万にもの被災地の患者の往診に当った。その貢献の謝礼とし
て国より埼玉県皆野町の小学校跡をいただき国際医療研究所とされている。少子
化、人口激減に伴い廃校となる校舎、家屋も多い。石川博士はボランティアの力
を結集して地域おこしに取り組もうとしている。3月8日、韓国MBC放送は32分に
渡り、氏のように国を超えたボランティア活動を放映した。近日中にフジTVでも
放映される予定である。

 朴大統領の父子の決断、李母子の国境を越えた詩の情(こころ)を受け継ぎ、
日韓共生、東アジアの共栄、共義の世界を拓いてもらいたいものである。その心
意気は在日の韓国人を始め韓日両国民の心を揺り動かし新しい歴史を解産するこ
とでしょう。明日は3月11日、東北大震災から2年目の日である。隣国にも多くの
心ある友人の居ることに改めて感謝したい。

         2013年3月10日記

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

李承信さんの東北震災に遭遇した人々へ捧げる詩

君よ
一輪の花として咲く君 ひとつの星としてまたたく君 
残された者の胸深く刻まれる君

美しさ
あなたの配慮と忍耐 危機の中に 引き立つ 真の美しさ

新しい国
あなたの底力と見識を思う 再び興す新しい国が見える

ごめんね
住民を救おうと家族を亡くした消防士
「ごめんね」とむせぶあなたに もらい泣くこの胸

驚くべき自然の災害 驚くべき君の姿勢 驚くべき国の未来

その節制と忍耐 配慮と毅然たる姿 母の中に見受けられたもの

母が無くなる前に私に 言った言葉─ 毅然たれ 今もそれを悟る

はかり知れない死の前 あなたの毅然さに 頭がさがります

花が咲けば あの人かと 雨雪がふればあのひとかと 
微笑みで迎える美しき沈黙

列をなす世界の寄付 隠そうとしても現れる 天使の心

競争を止め 温情を施す世界 愛は決して死にはしない

成功した人より偉人を求めるこの時代 深き感動をもたらすあなた

原発を遠く避けて行く人がいて 原発に向かって行く人がいて

「天が崩れても 抜け穴はある」隣国の格言に心を留めてください

痛みの歴史があるゆえに あなたの痛みを抱きしめることができる
新たに芽吹くわたしたちの関係

何も手には無い ただ胸の夢だけが そのままあなたの未来となる

                合 掌


 
 読売新聞2013.3.13国際6面      

                            韓国語はこちら 

李承信の詩があるカルチャーエッセイ
  2012 7

“真率な心は国境を越えて伝わるもの” 日本で大震災を慰労する詩集を出した李承信詩人
               イ・スンニョン記者 francis@joongang.co.kr | 第265号 | 2012.04.07


 李承信詩人が鐘路区弼雲洞90 “孫戸妍・李承信親子詩人の家”にて新作詩集につい
て語っている。親子詩人の家にはマルク・シャガールの作品等を所蔵する‘芸術空間
ザ・ソホ’と孫戸妍短歌研究所がある 写真:チェ・ジョンドン記者

目に見えど この胸に事実伝いくる 傷負い痛む 君のその胸

君の胸 さらに大きく暖かく その悲しみの大きさほどに

花だけの 春などあろうはずもなし 春の来たらぬ 冬もまたなし

再出発 命拾いし吾等から偉大なるもの 築き上げゆく

 3月20日、日本で出版された詩人李承信の『君の心で花は咲く』(下記写真)にある詩の
一部だ。この詩集には2011年3月11日、日本の東北地域を襲った東日本大震災の惨状
にみまわれた人々への慰めと、苦痛を踏み越えて未来に向って進もうという希望の詩篇
192首が収録されている。本を出したのは日本の飛鳥新社、‘百歳詩人’の柴田トヨを
発掘し、日本社会に大きな反響を引き起こした有名出版社だ


 大震災から1年が経ったが、東日本大地震の惨状は現在進行形だ。公式集計された
死亡者だけで現在1万5900余名、行方不明者3200余名だ。日本政府は被害額が
最大25兆円(約345兆ウォン)にのぼるものと推算している。福島第一原発の放射能
漏出事故のため故郷に背を向けざるをえなくなった人だけでも数万名だ


 李詩人は「災難を見守った方なら誰もが衝撃とともに胸に奥深くに 憐憫の情を感じた
はず」とし「わたしも連日報道に接してはらはら していたが、ある瞬間その心が詩
となって溢れ出た”と語った。そのように書き下ろした詩は250余編に達した。
その切々とした 詩は日韓の言論にも知られた。昨年3月27日付の中央SUNDAY
と日本の朝日、産経新聞にその詩の一部が載せられた


 日本人の反応は熱かった。李詩人は「東京大学の総長等学者、文学者 等の有名人
から一般人にいたるまで、切とした感動と感謝の心のこもったたくさんの手紙が来た」
とし「人間に対する真の愛情と憐憫が詩を通して国境を越え、心が届いたことを感じた」
と語った


 250余編の詩から選んだ192首が昨年9月に国内にて『花だけの春などあろうはずも
なし』(ソチュン)というタイトルで出版された。この本の出版後、反響はさらに大きく
なった。本にはハングルの原本と、これを日本の短歌形式に合わせて日本語で
翻訳したものをともに載せた


 森嘉郎元日本総理は、少し前国会議事堂にて李氏とともに一時間ほど本のページを
繰りながら詩を詠んだ。森元総理は「外国の詩人がこのような詩を書くとはただただ
感動だこれらの詩は教科書に載せるべきであり、たくさんの日本人が読まねばならない」
と語り、その場で100冊の詩集を注文しもした

 昨年10月、東京で開かれた‘韓・日交流まつり’行事に訪れたチェ・グァンシク文化
体育部長官は、祝辞にて李詩人の詩を引用し「このような精神こそ両国が共有
しなければならないもの」であると強調し、共感を引き出した。祝辞が終わるや、
その場に参席していた鳩山由紀夫元総理、山口那津男公明党代表等、与野の
指導者たちが雷のような拍手を送り共感していた。

武藤正敏日本大使も今年3月11日の大震災1周期を迎え、韓国の寄付者たちを
招待した行事にて、やはり李詩人の詩を引用し、感謝の意を表した。李詩人の
詩が両国外交関係に少なからぬ寄与をしているかたちだ

 反響が大きかったことには、詩を日本の伝統詩である短歌で翻訳したことが一役
買っている。漢詩に対し日本の固有の詩をまとめて和歌というが、いくつかの
形式のうち特に短歌がその代表格である。5 7 5 7 7で全31文字からなる短歌は、
17文字からなる俳句とともに日本が最も大切にしている文学ジャンルだ。日本人の
精神的支柱であり、“心の故郷”と呼びもする一行の短歌に対するときの思いには、
あわれさ、懐かしさ、悲しさ等がそっくりそのまま込められている。

 当然日本の必須教育課程に取り入れられており、幼いころから有名な短歌を学び
諳んずる。また、短歌を作る詩人を歌人と呼んで待遇する


 李詩人が短歌という形式をとったのにはまた別の理由もある。李詩人は韓国人としては
唯一、生涯をかけて短歌創作活動をした孫戸妍歌人の娘だ。日本帝国主義時代に
東京に留学し、日本の短歌の詩聖と呼ばれた佐々木信綱に師事した孫詩人は、
帰国後も60余年間に2000余首以上の珠玉のような短歌を残した。

 孫詩人の歌集は日本で全6巻が出版され、1997年には青森に歌碑が建てられもした。
孫詩人の短歌が国内で注目されたのは、2005年6月の日韓首脳会談の場においてだ。
小泉純一郎当時日本総理は、会談と外信記者会見にて孫詩人の平和の短歌を詠みあげた

‘切実な望みが一つ吾にあり諍いのなき国と国なれ’

一行に深く両国の友好を願う切なる心情が込められた短歌だ。


 李詩人は「母は短歌の根は百済と新羅の郷歌であり、韓国から伝えられたものと見
ていた」とし「三百年を越す韓屋で韓国の情緒を込めて短歌を作った」と語った。
孫詩人は1998年、天皇が皇居にて主催しNHKに生中継される短歌朗読会である
新年御前歌會始めの儀に外国人として初めて短歌の大家の資格で招請され、
韓服を着て参席しもした。しかし、李詩人は短歌の根について語ることよりもさらに
重要なことは、短歌の中に普遍的な人類愛を込めることだという

 李詩人は「韓国は面積や人口、経済力、軍事力等では決して大国になることは
できない」とし「しかし、私たちの心と考えを育てること、それが結局は国のリーダー
シップとなり、
私たちの大きさになっていく」と語った。そのような心を表現する方式として文学が
重要であるというのが李氏の考えだ


 だからといって、外交を考えるような物々しい覚悟で詩を作るのではない。
李詩人は「母であれば自身の心を先に認めてくれた隣国の災難に心を痛め、
真心込めた短歌の一行を作ったはずと考え、列をなし皆がお金だけを寄付する
のを見て、傷ついた心に届けと一行の詩を書くことになった。日本人の熱い反応
を見て、真心は国境を越えても伝わることを今さらながら悟ることになった」と語る。


 このようにして今度は日本で本が出版されることになった。今度の本は日本語での
翻訳方式が全く異なる。短歌に翻訳すると文字数と韻律を合わせなければならず、
現代日本語では使わない古めかしい表現が多くなる。昨年翻訳した詩篇がそうだった。
今度は現代日本語で作った。若い読者たちにも広く読まれることを意図してのことだ。


 「ソーシャルネットワークサービスSNSにより地球は一層狭くなり、どこにいても人類は
‘一つの家族’であるという自覚が必要。わたしたちの真心を詩というもう一つの言語に
変えるとき、そこに愛情と魂が宿っているなら、結局はそれが万国共通語になるのです」と、
世界唯一の親子詩人の娘は力強く語った。
                             2012 4 8 イ・スンニョン記者


韓国詩人、日本の詩で大震災の傷を抱き締める

日本語からなる短歌で日本人の心を慰めた李承信詩人(東京=連合ニュース)
特派員= 2代にわたり定型詩である短歌を書く李承信詩人が、7日東京外信記者ク
ラブ(FCCJ)にて出版記念会を開催し、挨拶をしている。韓国人短歌歌人として日
本人にも深く愛された母孫戸妍(1923~2003)詩人の長女である氏は、2011年の東
日本大震災の惨状に接し、短歌を一気に作った。  
   
2013.3.7 <国際ニュース部記者> 東京連合ニュース ジョ・ジュンヒョン特派員

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“再出発 命拾いし吾等から偉大なるもの築き上げゆく”

二代にわたり日本の定型詩である短歌を書いている李承信詩人が7日、東京の日
本外信記者クラブ(FCCJ)にて開かれた出版記念会にて、挨拶の中で上記の自作短
歌を詠むと客席から大きな拍手がわきあがった。3月11日に大震災二周忌を迎え
る東日本大震災の傷を抱き締める詩人のメッセージだ。
現在の日韓関係は冷たいが、現場にいた韓国人と日本人250余名は、李承信詩人
の詩を紐として、この日の夜確かに互いの心を結び合った。韓国人短歌歌人とし
て日本人にも深く愛された母である孫戸妍(1923~2003)詩人の長女である李承信
詩人は、2011年の東日本大震災の惨状をながめ、短歌250余首を一気に作った。

「隣国の韓国人たちがあのとき長い列を作って寄付するのを見ながら、愛する人
を失った彼らの心にも触れなければならないと思った」と短歌を作った動機を紹
介した。母の詩心が今なお生きてあれば、力のある一行の短歌で慰めることがで
きるのにと残念がり、母のことを覚えている日本人たちが「李先生が短歌を作っ
ては」と勧めた。李承信詩人は昨年及び一昨年、東日本大震災を素材とする短歌
詩集二冊を続けて両国で出版した。

この日は東日本大震災の二周忌に際して二つの詩集『君の心で花は咲く』と『花
だけの春などあろうはずもなし』を日本人に紹介する場だった。反応は熱かった。

韓昇州元外交部長官と申?秀駐日韓国大使をはじめとする韓国人もいたが、日本
人の方がはるかに多かった。孫戸妍歌人を記憶する日本人は、歌人の娘が短歌で
日本人を慰めることに深く感動した。行事が終わった後、サインを求め、一緒に
写真を撮ろうとする行列が長々とできた。

万葉集研究の第一人者である中西進高志の国文学館館長、被災地岩手県の一関工
業高専の丹野浩一元校長、六者会合の杉山晋輔六カ国協議首席代表、武藤正敏、
寺田輝介元在韓日本大使、橋本明会長、大森義夫日本文化大学学長等が参席した。

李承信詩人は行事の後、連合ニュース記者とのインタビューにて「私たちが千四
百年前に伝えた短歌は日本人の‘心の故郷’になりましたが、韓国人がその心の
奥底に触れることでとても感動してくださったようです」とし、「今、日韓関係
がよくありませんが、そういうときにこそ私たちがより広く深い心で隣国に近づ
くことが、先進国になろうとする正しい道であると思います」と語った。

ジョ・ジュンヒョン特派員 <mailto:jhcho@yna.co.kr>jhcho@yna.co.kr



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