「親日派」洪蘭坡の断罪は正しいのか

 「先月30日夜、ソウル市鍾路区紅把洞の丘の上にある洪蘭坡(ホン・ナンパ)
=1898‐1941=の旧宅に人々が入っていった。れんが色の壁がツタで覆われた2
階建ての洋風の建物だ。居間に並べられたパイプいす約50脚はすぐにいっぱいに
なった。午後7時、テノール歌手の金振元(キム・ジンウォン)がステージに上
がった。「洪蘭坡先生が住んでおられたこの家で『鳳仙花(ほうせんか)』を歌
えるかと思うと、厳かな気持ちでいっぱいです」とあいさつした金振元は、「垣
根の鳳仙花よ 君の姿は哀れでもの悲しい…」と歌い始めた。 (中略) 

 民族問題研究所は今年4月、『親日人名事典』に収録する4776人のリストを公
開した。その中には洪蘭坡の名前も含まれていた。日本統治時代の末期に親日派
の団体に加入し、日本をたたえる歌を作曲したというのがその理由だ。晩年のたっ
た3、4年の間の経歴のために、洪蘭坡は「親日派」と決め付けられ非難を浴びる
ことになった。京畿道で1969年から開かれている「蘭坡音楽祭」のウェブサイト
には、「親日派の名前を冠した音楽祭を開くなんて、一体何を考えているのか」
という抗議が殺到した。 (中略) 

 洪蘭坡が音楽史に残した功績が大きいからといっても、その親日派としての
前歴を帳消しにすることはできない。洪蘭坡を「朝鮮歌曲の先駆者」「近代音
楽の先駆者」としてたたえるために残されたその旧宅にも、親日派としての経
歴を示す資料は展示されている。1937年、独立運動団体「修養同友会」のメン
バーとして日本の警察に連行された後、親日派に転向する論文を発表し、日本
の軍歌を数曲作ったというものだ。だが問題は、こうしたわずかな過ちのため
に、「親日派」と決め付け、その人生や業績をすべて否定し、歴史から消し去
ろうという極端な論理がはびこっていることだ。今や、困難な時代を生きた洪
蘭坡の生きざまを、バランスの取れた視点で見詰め直す寛容性を、韓国社会も
持つべき時ではないだろうか。

 「後世に生まれた者の特権として、先の時代を批判してはならない」という、
ドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマスの警告は今も生きている。「自分が同じ
立場にあったとしたら、どんな行動を取っただろうか」と省みる視点が抜け落ち
た「親日」論争は道徳的な偽善でしかないというのが、過去数年間に「高い授業
料」を払って得た教訓であるといえる。」(2008/11/14 朝鮮日報引用ここまで