社説 宗教新聞5月1日号

サムシング・グレート
 「サムシング・グレート」を提唱した村上和雄筑波大学名誉教授が4月13日、85歳で逝去された。血圧の調節にかかわる酵素レニンの遺伝子の全解読に世界で初めて成功した村上教授は、『生命(こころ)の暗号』(サンマーク文庫)で、自身の研究から遺伝子工学の最先端、さらに死生観、人生観を語っている。
 「ところがここに無意識の世界というものがある。これは自分でもはっきり意識できない世界ですが、この世界が魂とつながっているのではないか。魂は無意識とつながっていてそこからサムシング・グレートの世界へ通じている」

 人間は自然と同じ
 2012年11月、天理市で開かれた「宗教と環境」シンポジウムで、村上教授は次のように語っていた。
 「生まれ育った天理の環境が私の人生と研究に大きな影響を与えたと思う。30年遺伝子の研究を続けて、心を変えたら遺伝子も変わるのではないか、笑いは悪いストレスを消すかもしれないと思い、吉本興業の協力で笑いと血糖値の研究を始めた。
 糖尿病患者20人余に昼食後、大学の先生の講義と漫才を聞かせ、それぞれの血糖値を測ってみた。すると、前者では平均123だったのが、後者では77に落ちた。5年間、人を代えて実験しても同様の結果が出て、糖尿病の専門医も驚いた。笑いは遺伝子をオンにするので、どの民族の神話にも笑いがあり、人々は笑いと共に生きてきた。
 すべての生き物は遺伝子でつながっていて、これは環境問題を考える上でも大切なことだ。人体は60兆個の細胞でできている。利己的だけではなく助け合う利他的な遺伝子を持っているから生きられるので、その遺伝子を発見したい。地球の元素からできている私たちの体は宇宙からの借り物で、私たちの命は宇宙年齢137億年を引き継いでいる。
 そうした不思議な業を行う根源を『サムシング・グレート』と名付け、『命の元の親のようなもの』と説明している。それが今、私の中に働いているので、生きることができる。
 ダライ・ラマ法王は『仏教は心の科学だ』と言っている。インドのダラムサラに1週間滞在し、法王と対話していた時に、ノーベル平和賞受賞の知らせがあった。法王は『21世紀は日本の世紀だ』と言っている。神道と仏教に基づく精神文化と科学・技術力、経済力を持っているからだ。奇跡的な命を授かったことに目覚めれば、日本は世界に貢献できる国になれる」
 生物の基本単位は細胞で、細胞の働きは遺伝子によって決定され、遺伝子は同じ一つの原理で働いている。これは全ての生物が一つの細胞から始まったことを意味している。
 前掲書で村上教授は、「私たちが草木を見て心安らぎ、犬猫に出合って親しみを感じるのは、あらゆる生物が起源を一つにする親戚兄弟だからかもしれません。科学者はこの発見を土台に生命の謎の研究に取り組み、いまようやくヒトの遺伝子暗号を解読するところまできました」と述べる。これは、最澄が唱え、日本仏教の基本にある生命観「山川草木悉有仏性」に通じている。
 NHKこころの時代で4月から「瞑想でたどる仏教」が始まった。瞑想は仏教以前の古代インドからあった自己観察法で、自己と自己を取り巻く環境、自然の深い考察がインド哲学、仏教を生み、その思索が中国を経由して日本に伝わり、それぞれの風土や人によって変容しながら、今日の仏教を形成してきた。今のコロナ禍でそれがどう変わるだろうか。

 パウロによる転換
 西洋の自然観を大きく転換したのはパウロであろう。ギリシャ哲学の機械論的、目的論的自然観に、神からの恩恵という感情を注入した。それに人々は感動し、生きる力を与えられたのが、キリスト教の大きな力になったのではないか。自然から生まれた人間は、自然への深い問いをし続け、そこで得たつながりの実感が大きな力となる。
 前掲シンポで講演した松長有慶・高野山真言宗管長(当時)は、弟子の環境倫理学者ロデリック・ナッシュの『自然の権利』
(ちくま学芸文庫)に触れ、環境問題はキリスト教より天台宗か真言宗から論じれば十分の一で済むと語った。コロナも人と
自然との関係の問題であり、宗教からの貢献が期待される所以である。



村上和雄先生を偲ぶ
村上和雄筑波大学名誉教授を偲ぶ
天理教の「陽気ぐらし」を生きた科学者
 筑波大学名誉教授で国際科学振興財団バイオ研究所長の村上和雄先生が4月13日、肺炎のため死去した。享年85。生前の恩顧に感謝し、思い出と追悼の一文を捧げたい。
 村上先生は血圧の調節にかかわる酵素・レニンの遺伝子の全解読に世界で初めて成功し、高血圧治療に貢献した後、愛国心に燃えてイネの全ゲノム解読にリーダーシップを発揮し、さらに「思いが遺伝子の働き(オン・オフ)を変える」という仮説を科学的に証明するため「心と遺伝子研究会」を立ち上げて吉本新喜劇と共同研究を行い、その成果は世界を驚かせた。晩年には、「ありがとう」「おかげさま」を合言葉に、すべてに感謝して生きる日本人らしさを取り戻そうと、ユーモアを交えながら精力的に語り続けていた。
 村上先生は京都大学農学部農芸化学科で私の13年先輩という気安さから、「父親が天理教の教会長なのに、なぜ天理教の仕事を継がなかったのか」と聞いたことがある。答えは、「宗教家が語っても人々にあまり聞いてもらえないが、実績のある科学者の言うことなら聞いてもらえそうだから」だった。筑波大学の先生の研究室にはレニンの分子構造のモデルがあり、京都生まれの夫人が助手で、京都弁で楽しくおしゃべりしていたのが懐かしい。1985年のころ。
 当時、私は筑波大学のそばに本部がある国際科学振興財団の東京事務所で、85年のつくば科学博を記念し、同財団が編集・発行した『科学大辞典』(丸善)の販売に当たっていた。要するに企業からの寄付金集めである。
 実は先生よりも前、1973年に弟の村上智雄氏(天理教サウス・カリフォルニア教会長)とサイゴンで会っている。当時、ベトナムで布教活動をしていた同氏を、京都からの研修旅行団の現地講師として招いたのである。80年代初めに村上先生に会って、弟さんだと知る。そのころは難民支援センターで活動しているとのことだった。
 先生は講演の語り口も軽妙で、わずか0・5グラムの純化レニンを抽出するため、3万5千頭の牛の脳下垂体を食肉センターからもらい、それを一個一個手むきしたことから、「ドクター3万5千頭」と呼ばれるようになったと話し、会場を沸かせていた。
 先生の口癖は「私はサムシング・グレートのメッセンジャー」で、私は「どうしてサムワンではなく、サムシングなのか」と聞いたことがある。その回答は『アホは神の望み』(サンマーク文庫)に書かれていた。
 アメリカで著書が出版された折の講演ツアーで、サムシング・グレートの概念を話したところ、半数が「よくわからない」だったので、「God, the Parent(親としての神)」と言い換えたところ、多くの人が深くうなずき、「キリスト教の神には支配的で厳しいイメージがあるが、ムラカミのいう『親神』は母性的で、人間にたいするぬくもりとやさしさがある」と評価されたという。
 これは天理教のいう親神様、天理王命である。教派神道の一つである天理教の親神は、人格神というより、それを含む宇宙・大自然の根本のイメージ。密教でいう大日如来である。母性的というのは、遠藤周作の母なるイエス、同伴者イエスに近い。そして先生の言う「スイッチ・オン」の生き方とは、天理教の「陽気ぐらし」である。
 先生の父親は東大で自然地理学を学び、学問で身を立てる志を持っていたが、母親から全文ひらがなの手紙が届き、「おまえがどんなに出世しても私はうれしくない。たとえ一生、信者さんのゲタそろえをしても、そのほうがけっこうや」とあったことから、教会の仕事に就いたという。その長男が父の前段の、弟が後段の志を継いだのである。
 親しく話したのは2012年11月10日、奈良県天理市の陽気ホールで開かれた「宗教と環境シンポジウム」が最後になった。きれいな紅葉とともに覚えている。ご冥福をお祈りします。
 エトキ 「宗教と環境シンポジウム」で講演する村上和雄氏=天理市、2012年11月10日




村上和雄先生を偲んで 

 「サムシング・グレイト」を唱道された、村上和雄筑大学名誉教授が、4月13日に肺炎で逝去された。小生は先生の訃報を『宗教新聞』での多田則明編集長の記事により知った。多田氏は村上先生と同じ京大農学部の出身で、長年、先生と親交が深かった。「お父さんが天理教の教会長であられるのに、どうして跡を継がれなかったのですか?」と多田氏が村上先生に尋ねたとき、「宗教家が語っても人々にあまり聞いて貰えないが、実績のある科学者の言うことなら聞いてもらえそうだから」と述懐されたことを報じている。

 村上先生は、血圧の調整に関係深い酵素・レニンの遺伝子を世界で初めて解読するのに成功されたのを始め、稲のゲノム、人間のゲノムの全解読にも成功された。毎年ノーベル賞候補としてうわさされたこともある。江崎玲於奈先生を筑波大学に引っぱったのは村上先生でした。また、村上先生は「心と遺伝子研究会」を立ち上げ、「笑いが遺伝子に影響を与える」というテーマで吉本興業との共同研究を行い、その研究結果は世界を驚かせることになった。スイッチ・オンの生き方とは「陽気暮らし」である。天理教でいう親様(天理王命)のことを学的に立証するという所期の念願を立派に果たされた。
 小生は3年ほど伊豆に暮らしている間、サンフランシスコ在住の恩師から芹沢光治良のことを聞き、伊豆の図書館から彼の著作を借りて読んだ。「神の文学者」と呼ばれる彼の神シリーズの著作は、通常のストレートな伝道と違い、あくまでも読者の目線で親様や中山ミキ教祖を証している。恩師のアドバイスのお蔭で、伊豆の生活にも一段と深みを加えていただいた。人生も見方によっては豊かにもなり、貧弱にもなるということを悟らされた。自然科学を通じて神を証しようした村上先生と同じく、芹沢氏は文学という形を通して、見事に神様を表現している。

 小生も若きころ、宇宙と人生の究極を探求し、神と霊界の実在に自分なりの結論を得たが、それを宗教という形で50年余過ごしてきたので、村上先生のように科学的な究明への道には進まなかった。

 小生が思うに、神を証しする最も妥当な方法は、歴史を通して証しすることではないだろうか。ヘーゲルは「人類歴史は自由獲得の歴史である」とした。マルクスは、これを逆さまにして「人類歴史は階級闘争の歴史である」とした。それで、自由か平等かで、今も熾烈な戦いが展開されている。これを統合できるのは、右(自由)でもなく、左(平等)でもない頭翼(神)主義であろう。神主義とは真の愛主義である。宇宙の究極は法、生命、その奥にある愛であること、そして、これが宇宙を貫く究極のエネルギーであることを人類は悟るときが来るであろう。

 ヘーゲルの観念的弁証法もマルクスの唯物弁証法も誤っている。まず唯心、唯物という半面的な見方が間違いである。存在物の真相は物心一如である。ヘーゲルの正反合は、18世紀のキリスト教神学の混乱を乗り越えようとしたことからヒントを得たものである。神・人(イエス)・聖霊はヘーゲルの単なるアナロジーであって、頭の中でいろいろ夢想するのは自由であるが、正しいかどうかはまた別物である。正反合の弁証法で、「行こうか、行くまいか、いややっぱり行こう!」と心で思っている間は何の害もないが、これを唯物的に捉えて、他者の否定、根絶、殺戮、暴力闘争を正当化するような哲学になれば、これはいただけない。また、それが歴史的必然であるとする唯物史観のこじつけ、強弁は更にいただけない。正に、マルクス・レーニン主義は歴史発展のがんである。

 人類歴史が宗教を中心とした文化圏の発展史であったとするのは、トインビーである。小生は時間が許せば、司馬遷の『史記』を読むのを楽しみにしている。殺されることも覚悟で真実を著述しようとした司馬遷の迫力には圧倒される。そこに書かれた王や家臣の野望、成功と失敗の赤裸々な文章の中にある、多くの歴史的教訓を東洋の指導者たちは学んできた。

 「この矛盾だらけの地獄のような社会に神も仏もあったものか」という人も多いが、小生は、神の実在を最も確実に証明する方法は人類歴史が神の摂理歴史にあったことを解明することであると思う。神の実在証明を誰かがやらなければ、と悲壮な決意をしていた小生は57年前、偶然の出会いから、それを既になした方がいたことを知り、感動と共に、心の重荷が下りた安堵感を忘れられない。それは何気ない単なる物語のような聖書の中に、神の秘められた奥義を解明したものであった。現代の世界大戦、今、展開している国際情勢に至るまで解明されるとき、正に神とこれに抗する力との戦いの真っ最中に我々はあることを体感する。

 若き頃、アダムスキーの本『宇宙円盤同乗記』を読んだ。訳者の久保田氏と面談もした。そこには「神は両性である、聖書の中に人類の根本問題を解くカギがある」とあった。

 村上先生には、国際振興財団の仕事を通じて色々とお世話になった。2018年にお電話をした折、先生は自宅療養中で、終日床に臥せておいでであった。幸い、奥様が電話を取り次いでくださり、先生は床から立ち上がり電話口に出てくださった。その折、先生とのお話しした案件は、諸般の事情から延期となっており、誠に申し訳なく残念である。

 村上先生との思い出は、1984年、芦ノ湖のプリンスホテルでのセミナーのときに、湖の水辺でご夫婦と談笑したことが懐かしい。当時、岡本道雄、草柳太蔵、斎藤進六、景山哲夫、鈴木博夫先生等もご一緒であった。 1980年代後半に米国の大学院で学んでいた小生は、『世界経典』編纂の総責任者であるA. Wilson教授の授業を受講していたので、編纂作業の一部を手伝うこととなった。小生の分担は日本新興宗教であったので、各宗派の英語経典を探していたところ、サウスカロライナ教会の村上智雄師が、天理教の経典を快く寄贈くださったことは有難かった。この村上師は、村上和雄先生の弟さんであった。
 村上和雄令夫人によれば「心と遺伝子研究会」が先生の最も心を注がれたお仕事あったとのこと。「神を科学的に証したい」との村上先生の志が後世に受け継がれることを祈念してやまない。先生を偲ぶ多田氏の記事の紹介をきっかけにして、ここに小生の追悼の言葉を捧げます。


      令和3513                     
                               大脇準一郎 拝