教育再生への示唆
    ─ 和譲平和フォーラムを終えて


        2006年11月26日 NPO 未来構想フォーラム 共同代表 大脇 準一郎

 去る11月21日、出雲大社にコーヘン駐日イスラエル大使を迎えて和譲平和フォーラムが開催された。“和譲”をどう定義し、他言語へ翻訳するのに苦労したが、“和譲”とは“共通の目的の実現を目指して、お互いにゆずり合うこと”との合意に達し、英語では“mutual concession for realization of co-purposes” と訳した。

 天気や健康を気使う北東アジアに対して、中東の日常の挨拶が「シャローム:平和を!」であるように、中東の人々の願いはまず“平和”である。「中東和平と日本・出雲への期待」と題するコーヘン大使の基調講演で、最も印象的だったのは、中東和平へのイスラエルの創造力溢れる平和への努力であった。

 ハエには国境は無い。ヨルダン峡谷にハエが異常発生したとき、イスラエル政府はヨルダン政府の了解を得て、ヨルダン側からもハエ対策を講じることができた。殺虫剤を一切撒かず、生殖能能力の無いオスのハエを大量に培養し、ハエの繁殖期に一斉に放つと交尾しても子が繁殖せず、ハエを全滅することができた。紅海から海抜マイナス400m.の死海に海水を注ぎ、水力発電を起し、電力を利用して海水を淡水化してヨルダン側にも灌漑用水を配水し、砂漠を緑化する計画、既にイスラエルの淡水化技術は完成し、美味しいトマトは米国へ輸出されているとのこと。ヨルダンのイスラエル国境近郊に誕生した新興商工業都市は、ヨルダンブランドからイスラエルブランドに変わったことで、商品の付加価値が10倍以上に急騰、急成長を続けており、いまや数十万人のヨルダン人が働いている等々、平和のインフラ造りに努めている。

 今回、奥様の追悼記念行事のためにボストンから帰国された、久司道夫先生の基調講演もあった。偕子夫人と共に半生を「食を通じての平和」を唱道、実践されてきた久司先生の豊富なデータを交えたお話は、わかりやすいユーモアたっぷりのお話であった。「食から見れば、夫は妻の家畜である」との表現に、聴衆は笑いながらも、意味深長に受け止めていた。

 今回2日間大使に随行して多々学ぶことが多かったが、その一部を日本が今、苦慮している教育問題への示唆に絞ってお伝えしたい。

 連日のように報道される、登校拒否、いじめ、自殺。関係者の多くは、机上の議論やその場しのぎの対象処置を講ずるだけで、一向に解決の見通し立っていない。
11月は出雲では神有月:中東、韓国、米国を始め、全国各地から集った現代の神々の叡智に耳を傾けてみよう。

  
コーヘン大使から学ぶ教育への示唆

1) 押し付けから、問いかけへ;子供の自主性を重んじた教育


 ユダヤの子供達は幼い頃からトーラ(律法)を暗記する。問答集からなるタルムード(口伝律法とその注釈)を通じて、ユダヤ人の生活規範・精神文化基盤を造成する。

 出雲大社の参道を歩いていると、大使は突然、「どうして鳥居が2つあるのか?」と質問された。案内役の宮司に助けを求めると、「鳥居は2つではなく4つある。鳥居をくぐって行くごとに聖域に近づく心がまえを準備するため」との答えだった。「出雲」を「いずも」とどうして読めるのか? 宮司を通じてこれにもいろんな説があることを知った。
 小泉八雲記念館では、扉のガラスに張ってある挿絵入りのはがきを指して、「これは小泉八雲の書いたものか?」。説明の館員は不意を突かれてとっさに「そうです」と答えたものの、後で訂正する始末。多くの陳列品の中でカタカナの手紙に大使の足が止まり、「これは誰の手紙か?」。日本語3級の試験の準備をされている大使は、日本語と英語がちゃんぽんのカタカタを声を出して読まれる。それは、せつ夫人が八雲に書いた手紙であった。お蔭で、当時の小泉八雲夫妻の言語の壁を超えた、コミュニケーション努力の一端に触れる恩恵に我々も浴することができた。
 ティファニー美術館では、説明に当った館員が、あるステンドグラスを差して、「金魚鉢を上から見た情景」と説明していた。
しかし、どう見ても、金魚には見えない。大使は上に大きく描かれているカジキの絵と右上の鉢の側面図を指しながら「カジキが鉢に映った絵ではないか」とコメント。ガイドも目から鱗であった。また別のステンドグラスの藤の枝を見つめながら、大使は
「藤の花に白い大理石がはめ込んであるのはどうしてか?どう見ても不自然だ。藤の花と石との調和がこの絵のモチーフではないか」とコメントされたが、通常そのような不自然さに気がつくことなく通過するものである。りんごが木から落ちる情景に疑問を感じたことが、ニュートンの万有引力発見の糸口であった。

 ここ連続4年間、桂離宮を始め、並み居る多くの庭園をさしおいて日本一の日本庭園の栄誉に輝く足立美術館、横山大観の
「紅葉」の大絵画との出会いの出来事に触れよう。まず、絵画に造詣の深いある識者が「この絵の素晴らしい所は、右端の墨絵の鳥にある。この鳥の白黒との対照で、紅葉の紅、川の青さが引き立っている」と説明。これに対し、大使は、「左の紅葉と右の鳥が別のスナップでは無意味。川が紅葉と鳥の両者を結び、統一性をもたらしている。」 すると別の識者が「鳥も飛んでいる、もみじも地に落ちている。一瞬を捉えたところにこの絵に生命を吹き込んでいる。」 さらに大使は「鳥が飛んでいるのは一時的で不自然、紅葉の枝へ留まる、安定を目指して飛んでいる。」 また別の芸術家が「紅葉は大地へ、“循環”がこの絵の背後のモチーフではないか」とコメントし、一同大いに秋の紅葉を楽しんだ。

 芸術は美の創造と鑑賞の術である。大使を通じて改めて、鑑賞の術の深みを感じさせられた。「どうしてわれわれが見過ごしやすい点に多々、目が留まられるのですか?」との問いに対し、「その作品を作った製作者の気持ちになってみるといろんなものが見えてくる」とのお答えであった。

 大使は地方へ行かれる折は、可能な限り、地方自治体のトップを表敬訪問される。
米子市長を訪問された折、同行の方が、「エルサレムとはどう言う意味ですか?」と質問された。高野山NO3の博学な僧正のご質問なので以外に思ったが、判らないことは判らないこととして自然に聞くことができる方が本当の偉いのかも知れない。「エル・サレム;平和の街」という意味だとの回答であった。
 質問することは、恥でもなんでもなくて、真理の扉を開く重要な手段である。教育現場において、問答法(ダイアレクティック)は取り入れられるべきである。生徒の自主性、ニード、関心に合わせ、教育者は真理探究の産婆役に徹すべきであろう。教師が生徒に問いかけること、生徒が先生に質問すること、このような問答方式は教育に活気をもたらし、登校拒否どころか、登校するなと言って登校する生徒で満ち溢れることになろう。

2) 生命第1主義を超えた価値観の確立を!

 大使の最近著「大使が書いた日本人とユダヤ人」のなかで、葉隠「武士は死ぬことと見つけたり」を紹介しつつ、空手・居合い道を通じて「死を恐れない心」を学んだこと、そのお蔭で爆弾テロ犯を現場で取り押さることが出来たことに触れている。
 「如何によく生きるか」を「如何によく死ぬか」と置き換え、死を踏み越えて永遠を視る。そこは宗教(聖)、哲学(真)、芸術(美)、道徳・倫理(善)の精神文化の領域である。今日、日本にいじめや自殺の増大は、安易な西欧文化の模倣と決して無関係ではない。個人主義、自由、民主主義、ヒューマニズムは、西欧の文化的伝統の土壌に花咲いた結実である。それを日本の文化的伝統を否定した荒地に挿し木しても枯れてしまうだけである。 いま、わが国では、如何に手前勝手な個人主義、わがまま、集団エゴが蔓延、徘徊していることか。われわれは、多くの死の犠牲を彼方に、西欧の人々がやっと手に入れた諸価値、その崇高なる精神に敬意を表すると同時に、安易な西欧文化の移植を正し、西欧の同胞とともに、文明史的危機とも言うべき課題解決に共に邁進すべきであろう。

 イスラエルは爆弾テロが日常茶飯事で、小生がイスラエルに行った折にも目の前のバスが爆弾テロに逢った。彼らは敵性分子とみなされるアラブ人と同居を余儀なくされ、いつも死と隣り合わせで暮らしている。 しかし、至って朗らかで、歌もリズミカルで社会全体が活気に溢れているのが印象的であった。「幻(ビジョン)無き民は滅びる」 ユダヤ人は決して希望を持つことを諦めない。アウシュビッツを生き延びた心理学の巨匠、V.E.フランクルは「生きる意味無くして、人は生きられない。人間は意味的動物である。」との悟りを強制収容所の経験から感得し、心理学の新分野を拓いた。 イスラエルの国歌のテーマは、「希望」であると大使から伺い、亡国の憂き目、数多くの悲哀を乗り越えることができた秘訣を見る思いがした。

 今、日本に必要なのは、小手先の対策ではなく、いじめや自殺の障壁を乗り超える、生きる意味を教える民族的ビジョンである。そのためには、文化的伝統の素地が必要不可欠である。

3) 文化的伝統の重視、歴史観の確立を!

 大使は、「居合い道の最も大切なことは、基層に横たわっている文化的伝統である」と師の教えを熱意を込めて紹介される。いろんな話の折に、つい昨日のことのように、2千年、3千年前の出来事をお話される。まさに話が歴史的である。上記1)が人間の創造性(ホモ・ファーベル;工作人間)、2)が、文化的存在(意味的存在)を表すとすれば、3)は、歴史性を表わしていると言えよう。
 「歴史を忘れた民は滅びる」イスラエルの溢れる自信と信念、民族の誇り、生活規範、不死鳥のごときバイタリティーの源泉は、豊富な歴史的経験、その民族的共有と伝承にあると言える。島根県副知事表敬の待合の折だったと思うが、大使はパレービー国王の時代は、「イランとイスラエルとの関係は本当に良かった」と懐かしがっていらっしゃった。小生も1978年夏、パレービー国王のご招待を受け、イランへ訪問した。その超一流のマナー、豪華絢爛たる芸術の数々、思い出すと心が痛む。過去の伝統を無視して近代化を急ぎすぎたつけは余りにも大きく、悲惨であった。

 日本が明治以降の近代化に成功したのは、「和魂洋才」;豊かな日本文化の伝統の土壌に外国文化を接木できたからである。 しかし、第二次大戦後、ドイツと対照的に日本人は連合軍の占領政策になんら抗することなく、戦争責任も曖昧のまま過ごしている。“大和魂”を根絶するという占領政策は、日本人に過去の伝統文化との断絶をもたらしている。「日本は、日露戦争以後、そして戦後も、経済大国となって、再び傲慢となった。アジアや世界へ向けて普遍的ビジョンを提示できるか、日本の急務の課題である」と知日家は危惧する。(参照;金容雲氏;第53回「世界へ向けての日韓文明の可能性」9/15/06 、ニューオオタニ) 日本文化の伝統の延長線上に、この夢を描けるかどうか日本の存亡を賭けた課題であろう。

 小生の出身地はお隣の鳥取県であるが、改めて松江や出雲の文化的豊富さに感銘した。山陰唯一の天守閣が残ったのも、当時の城打ち壊しの風潮に抗して、有志が守ったためである。粋な殿様のお蔭で、毎年、多彩な流派総出の茶会が松江城内で盛大に行われている。武家屋敷、小泉八雲、足立美術館、出雲大社、たたら製鉄、石見銀山、 島根県の文化遺産は豊富である。これにディファニー美術館が加わったが、今、この美術館は3月末をもって閉鎖される。ジャポニズムの影響を見ることができるアール・ヌーボー(新芸術)、ディファニーの美の世界が今、松江から去ろうとしている。世界の有名な美術館、博物館には美を守った隠れた人々の自己犠牲の感動的インサイドストーリーがある。大使にディファニー美術館の閉鎖のお話をすると、「全国の子供達にここで絵画を書かせるとか、1人の教師と道具で済むのだから、ディファニーの世界を製作体験させる教室を作ってはどうかと」の提案があった。観客をどう動員するかが最大の課題であるが、NHKはディファニー美術館が開館の折、知事談話を報道しただけで、その後一度もティファニーの中身を報道しなかった事が動員に大きく影響しているとのこと。公的機関と私的財団との微妙な関係がそこには横たわっていたようだ。お互いのこだわりを捨てて、より高次元の共通目的の実現を目指した“和譲の精神”で、瀕死のディファニー美術館を復活して欲しいものである。

 このたび、多忙な仕事の合間に、油絵を300枚も描き上げていらっしゃる未来構想の理事長、江島優氏、世界的ロゴ・デザイナー、一色宏氏ら芸術の世界に造詣深い人々も参席された。ここに一色氏のコメントを参考に小生の解釈を加えてご紹介し、「美しい日本」創造を目指す新政権への激励のメッセージとしたい。

 教育大国を目指すなら、まず文化大国の土壌が必要。文化は心の機能、知・情・意の外的現われである真・美・善を追求した総体、歴史的には、自然の開拓(cultivate)、市民化(civilization)から主に人間の精神活動の産物、総体を意味する。
 美の探究は真・善に、聖の価値にも通じる。プラトンは「自己の哲学を一口に示すと“美の教え”である」と言っている。真が存在の意味であり、善が存在の機能であるとすれば、美は存在の恵み、愛である。美は人の心を潤す、豊かな感性を呼び覚ます文化の源泉、美は形に現れた美しさ、内面的な心の美しさ、人格的美に根源的に繋がっている。美には、善、義と同じく、天に捧げるいけにえを意味する羊がある。美は目に見える正義であり、他のために自己を捧げることを惜しまない利他的行為、人間の尊厳性の輝きである。

 文化(美)は、伝達される情報ではなく、自ら燃え立つ力である。「美は自由なり、平和なり、無限なり」(国木田独歩)、ドフトエフスキーの予言めいたことば「美は世界を救う」の意味を日本の未来と併せて考えてみたい。

 今回、この会議を主催した(財)人間自然科学研究所、小松昭夫理事長は、「自分がやりたいことをやるのは勝手、まず人が困っていることを探せ、そこに未来のビジネスチャンスがある。」と環境から健康、そしてこれからは、万民の願いを束ねる平和事業が最大のビジネスであるとして未開の処女地の開拓に挑戦されている。

 最後に日韓8人の委員によって起草された出雲宣言をご紹介してこの稿を終えることとする。

             

                   和譲平和フォーラム 出雲宣言

   この美しい水の惑星には、66億人が住んでいます。日本人は東西冷戦下、世界一の長寿国となり、
 平和を享受してきました。

  しかし、世界には貧困と飢餓、また戦火の中で、生存すらおぼつかない多くの人々がいるという現実
 があります。
  現代科学・技術文明は、人類に快適さを与えてくれた半面、地球生態系の破壊、核の脅威、非人間化を
 もたらしました。

  この難局を打開すべく、国内外から日本発祥の地とも言われる出雲の地に有志が集結し、“和譲平和
 フォーラム”を開催致しました。

    フォーラムに参画した私達一同は、人類恒久平和の実現を祈念して、
                         次の通り「和譲」出雲宣言を致します。

1. 和譲平和学・平和シンボルタワー研究会
  出雲大社の和譲の精神を発展させ、和譲平和学の研究と世界の戦争で亡くなった方々を記録する、
  平和シンボルタワー建設の研究。

2. 映像による世界の戦争・平和歴史記念館研究会
  共生文化を世界に先駆け生み出すため、世界の戦争と平和歴史記念館が、全国各地から映像で
  見られる環境整備研究と各国記念館の縁結び及び訪問動機付けの研究。

3. 先端科学技術を活用した環境・健康研究会
  汚染が深刻化している中海・宍道湖圏で「災い転じて福と成す」微生物・IT技術を活用した、新しい
  農業・漁業、下水道技術、また大地・魚場の蘇生化、循環型農・漁業システム、高免疫力食料・醗酵
  加工食品の研究。                                                                                                                        以 上
  平成18年(2006年)11月21日  出雲大社社務殿大ホール   
                                     神有月和譲平和フォーラム参加者一同

後記:
 今回、(財)アジア・太平洋問題研究所日本代表の具末謨氏もフォーラムに参加されました。具先生が朴政権時代、
10年も西大門刑務所に入られていたこと、また具先生を通じて韓国独立運動の父、安昌浩先生の偉大さを再認識しました。
 具先生は、コーヘン大使とご一緒の飛行機便が取れず、フォーラム前日、11月20日、お出になったことが幸いして、朴民団議長、元韓国KBSディレクター金氏らとじっくり南北統一についての話をされました。これも戦後、北鮮に帰還して帰らぬ実姉との出会いを含めて、長年、南北統一にかける具先生の熱意と積極性の成果といえよう。
 金氏は、今回、奥出雲町で始めるキムチ生産指導のための韓国側一行の団長としてお見えになり、奥出雲発のキムチが市場に出る日も近い。
 市民国連では来年、国際フォーラムの企画案が出ています。NGOの国際組織との共催も視野に入ってきました。12月8日午後4時から40のNGO・NPOの代表が集まり、来年の企画を準備します。市民国連の移転した新しいビル、屋上には明治天皇の分骨をされた、全国に類例の無い神社があります。9階の大会議には明治天皇、西郷隆盛、ゆかりの品々が陳列されています。11月3日の市民国連の来賓挨拶は明治天皇の玄孫(孫の孫、皇太子と同世代)の竹田の宮でした。12月8日も9階の大会議で行われます。11月24日には、NGO・NPO活動資金を生み出すための、事業コンソーシャムの立ち上げ会もここで開催されました。
     年の瀬も迫り、何かとお忙しいことと思います。皆様の活動が実りある2006年であるよう祈念しています。    

 神有月 和譲平和フォーラムはこちら
  当日のメモ
            
 コーヘン大使出雲大社訪問⇒
  小泉八雲記念館、足立美術館、�ティファニー美術館訪問
  奥出雲訪問
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