「ウクライナが日本から学ぶもの」2012年11月16日 東京両国

「世界から見た日本文化」スベトラーナ教授 Youtube
 
サイトはこちら 2011.3.26

スベトラーナ教授のHP:サイトの右上、「ロシア語を常に翻訳のボックスをクリックする」と日本語で
見ることができます。例) http://rybalko-orient.com.ua/category/news/
最近刊書は日本の彫刻コレクッション 豪華本
「東から西へ」

桜見物、歌舞伎 2012.4

日本ウクライナ文化交流会(きもの展)  2006.6.20 東京・虎の門

  
  
 中曽根元総理と歌舞伎で          第7回和の実学・哲学研究会 2011.11.19

 1、スべトラーナ・リバルコ女史について もっと詳しく

現在、ウクライナで日本をテーマにした芸術学博士の称号を持つのは、スヴェ
トラーナ・リバルコ教授ただ一人。今回の来日目的は日本文化を総合的に理解
するためではあるが、最大の目的は「日本の文化の普遍的要素を着物を通して
考察する学術論文」を書き上げるための最後の資料集め。日本の文化を扱った
学術書はこれがウクライナでは初めてとなる。

女史は、スターリンの大粛清によって崩壊したハリコフ東洋学派復興を願い
(4をご参照ください)、精力的に執筆、展示会活動を行っている。また、ポ
スト・ドクターの学位を取得するために動き出した動機は、「私が行かなくて
は(開拓しなくては)、ウクライナにおける東洋学の復興をあと何十年待たせ
てしまうだろうか」という切迫した真摯なる思いからである。また、「日本文
化を理解し自国に伝えることは、国民を幸福にし、社会を良くすることであり、
自国の文化を保護する知恵を得る使命である」と確信しれ、母として、妻とし
て、講師として、ジャーナリストとして、人々の心に光と慈愛を呼起こす活動
を黙々と続けている。 

2、 ウクライナにおける東洋学の歴史

ソヴィエト政権下のウクライナにおける東洋学研究は、1920年代、ハリコ
市から始まった。その本拠地となったのが「全ウクライナ東洋学者協会
(Всеукраинская ассоциация востоковедов)

この協会は、ウクライナ全土の東洋学者を統括し、ロシアの学者との共同研究
も行い、定期的に東洋の歴史、文化、政治について書いた雑誌「科学の世界
(научный мир)」を刊行、研究活動の他、学者たちによって書籍、
芸術作品も蒐集され、ゆくゆくは東洋美術館を開く計画を持っていたが、つい
にその日が訪れることはなかった。「東洋学者協会」は、始まった当初から警
察の監視下に置かれ、30年代には知識層への弾圧(「スターリンの大粛清」)
がまさにウクライナから始まった。協会は閉鎖され、雑誌は廃刊になり、そし
て東洋学者と門弟たちは全員逮捕され、その殆どが銃殺された。

スターリン統治時代の後に訪れた、フルシチョフ政権下では「雪解け」(国家
警察による監視緩和と文化・芸術における表現の自由)の時期を迎え、東洋学
研究は国家から公認を受けたものの、許可された都市はモスクワとペテルブル
ク、ウラジオストックの3箇所のみの局地的なものであった。つまり、国家か
ら禁止されなかったものの、奨励はされなかった。当時、日本史、もしくは日
本語学科への入試は4年に1度だけ行われ、巨大なソ連邦全土から7名ずつし
か入学することができなかった。また、外交官育成機関としての比重が大きかっ
たため、文化・芸術について研究する者は殆どなく、特に日本はソ連が敵対す
る資本主義陣営だったため、研究者となってからも厳重な制限と監視が加えら
れた。

ペレストロイカによって自由を得た90年代から、スヴェトラーナ女史によって
ウクライナの東洋学発祥の地であるハリコフにおける東洋学派再建のための活
動が始められた。それらの活動を私はこの目で見てきたが、常に日本文化普及
のため全力を傾けられる女史の姿に感銘を受けている。

現在、ウクライナにおける学術の拠点はキエフ、リボフ、ハリコフの3都市。
キエフとリボフの大学では主に日本の言語、政治に関わるものが研究されてい
るのに対し、ハリコフでは伝統的に文化・芸術に関する研究が行われている。
ハリコフは芸術の街、職人の街とも言われ、東洋への非常に強い感心が驚くほ
ど受け継がれている都市としても知られている。

3、 スヴェトラーナ女史のご祖父様

女史のご祖父様は、ソ連時代モスクワで活躍する有名なジャーナリストであっ
た。しかし、「日本人記者と挨拶を交わした」というだけで密告され、強制収
容所に15年間送られた。刑期を終え帰宅した時には、収容所での重労働から
不具となっていた。しかし、生涯変わらなかったのは、ご祖父様とそのご家族
が抱いていた日本への関心と憧れだった。お亡くなりになられるまで、日本人
記者の行方を気遣っておられたご祖父様だったそうだ。

その後、スヴェトラーナ女史が始めて来日したときに驚くべき出会いがあった。
女史がテレビ・インタビューを受ける会場へ向かう電車の中で偶然に同席した
女性が、なんと女史のご祖父様と同じ時期に、スパイ容疑で収容所に送られた
日本人記者の娘さんだということが分かったのだ。その後、日本人記者は帰国、
名誉回復も叶ったそうだ。
 先生と私の日本における活動目的。
  先生の研究範囲は多肢に渡りますので、箇条書きにします。

 @ 着物(舞台衣装、歴史的着物、性別年齢別の着物、人形)
 A着物の生地  B根付 C象牙彫像を始めとする置物 
 D日本の精神的(内的)美が生きつづける―茶道

アドバイスを頂きたい専門家
 @早稲田の歌舞伎専門家 A長崎 巌 氏(国立博物館) 
 B斉藤佳代子先生 (着付け)C渡辺正憲氏(根付専門家)
 E現代根付師 F芸子さんや舞妓さん(着物文化の保存者)

参加されたい企画
 @ 出雲大茶会  A源氏物語千年祭に関する企画

  最低限回る必要のある地域 
 @日光  A横浜(三渓園) B静岡 C福井 D出雲 E大阪 
 F名古屋 G 京都 H 神戸

*また私は先生の通訳をしながら論文を本にするときに必要な写真を撮ったり、
 専門家に会います。David Burliukが足を運び、絵にした各地が対象です。

 5,滞在スケジュール(作成中2008.10.13現在)


スベトラーナ女史・プロフィール
 SVITLANA
 RYBALKO

Home : St. Klaptsova 67-a, # 24, Kharkov 61093, Ukraine
 Phone: 38 (057)-772-3976  E-mail: kornev@datasvit.net,

[学歴]1990年 サンクト・ペテルプルク国立レーピン記念美術アカデミー、
 芸術史・芸術論学部卒業 2001年、博士学位論文 《日本古典における文化的芸術の
 普遍的特性とそれらの徳川時代の造形芸術へ の反映》 2002年、芸術学博士号授与 
 2003年、助教授   2006年、教授 現在:ハリコフ国立デザイン・芸術アカデミー、
 芸術史・芸術論学科主任教授


大学名:(ロシア語)Санкт-Петербу?ргский гос
 уда?рственный академи?ческий институ?
 т жи?вописи, скульпту?ры и архитекту?ры
 и?мени И. Е. Ре?пина /
 (英語)Repin State Academic Institute of Painting Sculpture and Achitecture]
[職歴]
 2000年〜ウクライナ芸術家同盟会員、
 2002年〜ハリコフ国立デザイン・芸術アカデミー,芸術史・芸術論学科主任
 2002年〜同大学付属東洋学センター所長 2003〜2006年 助教授
 2005年〜国際芸術評論家連合会員 (AICA) 2006年〜教授

[著書]
・古典日本文化:辞書・便覧( 2001)          ・からし種の中の世界( 2004)
・巨匠達と侍( 2005 ) ・神々の微笑み:日本のミニアチュールな彫刻芸術( 2005)
・天照大神の国:着物、根付、印籠( 2006)      ・その他、多数

[学外活動]
  展示会プロデューサーとして、ハリコフとキエフで開かれた6つの日本芸術展を手がける。
「天照の国」2005.11ハリコフ 展示会2008.1.キエフ・リボフ

 世界から見た日本、および日本研究」講演 2011.3.36 東京.赤坂
   
2 研究内容
 現在取り組んでいる論文は、日本服飾史の総合的で多面的な研究。
 多様な文脈の中、舞台衣装を1つの章として考察します:

 1. 演目の一部としての衣装(役柄に合わせた衣装の特徴と意味論的解釈。衣装の 芸術的・
   構造的特徴、舞台における衣装替えの技の起源、衣装替えの象徴的意義)

 2.役者と衣装(その関係の性質、踊りの型と衣装の形の関係、衣装を作る人々について)

 3.演劇文化の一部としての衣装(役者の服飾品における紋について、衣装の
  保存とコレクションにおける関係)

 4.流行の先駆けとしての劇場と町人の衣装への影響(模様、色合わせ、装飾品)

  スヴェトラーナ教授来日の目的とスケジュール:2008.10.22-11.20 野村千恵子・編
 
2005年7月7日

東京芸大学長室 平山郁夫先生と
左から千恵子、大木、スベトラーナ、平山、大脇、仁美子
   
2008年6月6日 博士論文審査会 左から.

V.Y. Danilenko ,ハリコフ国立デザイン芸術 アカデミー学長、野村千恵子、Svitlana Rybalko 芸術論学科主任教授  O.K.Fedoruk キエフ芸術大学芸術学主任教授,ウクライナ芸術学院正会員 R.T. Shumagalo リボフ芸術大学、芸術学主任教授
   
ウクライナのレヴェジナ市美術館

左から,リバルコ女史、スンミ国立画家連盟の代表、
ブリュルーク記念財団代表、ジャーナリスト、千恵子
 
 **********************************************

千恵子とスベトラーナ教授の手紙の往来