北朝鮮・拉致問題 「解決、資金援助が条件」 元高官証言「調査部門残っている
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北朝鮮の駐英公使を務め、2016年8月に韓国に亡命した太永浩(テヨンホ)
氏(55)が毎日新聞の単独インタビューに応じ、日本人拉致問題について金正
恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長が「拉致問題の解決と引き換えに、日本
から巨額の資金援助を受けられることを望んでいる」と明らかにした。また、北
朝鮮が「解体する」と表明していた拉致被害者らの調査のための「特別調査委員
会」について「裏では(担当する)部署はそのまま残っている」とも証言した。
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 太氏は17年12月中旬、ソウル市内でインタビューに応じた。

 拉致問題を調査する部署に関連し、太氏は「正確な名前は分からないが、国家保衛省(旧・国家安全保衛部=秘密警察)の中に、拉致被害者問題を担当する専門の部門が別途ある」と強調した。拉致被害者の安否情報を「(北朝鮮側は)当然すべて把握している」と述べたものの、具体的な情報には言及しなかった。

 太氏は拉致問題をめぐり「資金の入った袋を日本が明確に見せない限り、金正恩(委員長)は拉致問題を解決しようとしないだろう」と述べ、日本側と食い違っている点を強調した。

 太氏は「(北朝鮮側から)『資金援助で帰す』と持ちかけるわけにはいかない」との見方を示す。日本側の世論がより硬化する恐れがあると判断しているためだ。また「(金委員長は)拉致問題で日本から資金を得て、北朝鮮経済に輸血しようとしている」と例えた上、「資金を出すならば、日本に有利に解決するはずだ」との見解も示した。

 太氏は北朝鮮の高級外交官で、韓国統一省は「1997年に米国に亡命した張承吉(チャンスンギル)駐エジプト大使(当時)に並ぶ、外交官で最高レベルの脱北者」と位置づけている。韓国の情報機関・国家情報院の関係者は「妻やその家族が中枢に連なる人物であり、本人も出身成分(身分)は高い。拉致担当ではないが、省内や親族を通じ核心情報に接している可能性はある」と判断している。【北朝鮮情勢取材班】

「コメントする立場にはない」家族会代表
 太氏の発言について、拉致被害者家族会の飯塚繁雄代表は取材に対し、「コメントする立場にはない」と話している。

 ■解説
勝手な論理許されぬ

 北朝鮮による日本人拉致は国家犯罪行為である。無条件で被害者帰国・真相究明・実行犯の引き渡しに応じなければならない--これが日本側の一貫した立場だ。
 太氏は拉致問題の進展に「巨額の対価」が必要だと主張する。同氏によると、資金援助の規模は100億円以上とみられる。北朝鮮はこの巨額資金によって経済難からの脱却を図ろうとしているのだろう。
 もちろん、この北朝鮮側の身勝手な論理を受け入れることは到底できない。日本国内の世論も許さないだろう。

 ただ、日朝首脳会談(2002年9月)により一部の被害者が帰国して以後、15年以上もこの問題が進展していない。何度か交渉の機会は訪れたものの生かすことはできなかった。被害者の帰国を待つ家族らの高齢化が進み、昨年暮れには親族の死去も相次いだ。
 北朝鮮が今年、挑発行為を中断し国際社会との関係改善に乗り出すのか、予断を許さない。ただ、北朝鮮が国際社会の圧力に耐え切れず何らかのシグナルを発信した時、それを敏感に受け止め、核・ミサイル開発の断念と拉致問題解決に向かうよう北朝鮮を導いていく準備が必要だろう。
 そのためにも、北朝鮮がどういう指揮命令系統の中で、いかなる発想・価値観・ルールに基づいて、拉致問題をめぐる駆け引きを進めようとしているのかを探る必要がある。今回のインタビューで明らかになったのは、その一端に過ぎない。北朝鮮側と粘り強く意思疎通を図り、事態を動かす時期に来ているのではないか。【西岡省二】
https://mainichi.jp/articles/20180101/ddm/001/040/115000c?fm=mnm
クローズアップ2018
北朝鮮元高官インタビュー 軍の統制、核頼み 兵士の劣等感排除図る

==北朝鮮で駐英公使を務め、同国の外交政策を熟知する太永浩(テヨンホ)氏は、インタビューの中で拉致問題に対する北朝鮮側の論理に加え、核・ミサイル開発が国内統治に不可欠である点や、苦境に立たされる外交活動の舞台裏にも言及した。その北朝鮮を率いる金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長は1日、新年の辞(施政方針)で何を発信するのか、国際社会の注目が集まる。【北朝鮮情勢取材班】


 拉致問題は2002年9月と04年5月、小泉純一郎首相(当時)と金委員長の父金正日(キムジョンイル)総書記による日朝首脳会談の結果、拉致被害者5人とその家族の帰国が実現する一方、横田めぐみさんら8人の「死亡」が伝えられた。北朝鮮は14年になって金正恩氏直轄組織の特別調査委員会を設置しながらも、核実験に伴う日本の制裁を理由に16年2月、「調査中止、調査委解体」を表明し、被害者の安否に関する調査結果を一度も報告しなかった。

 北朝鮮は対日政策をどう策定しているのか。

 「政府間交渉は外務省が、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)関連事業は朝鮮労働党統一戦線部が、それぞれ立案する。拉致問題の場合、協議に出るのは外務省だが、政策は同省と国家保衛省が討論して決める」

 この保衛省の中に拉致問題を担当する組織が存在する、と太氏は明らかにした。

 太氏は北朝鮮が核・ミサイル開発を進める背景にも言及した。

 米国の敵視政策と核の脅威に対抗するための自衛的核抑止力--これが北朝鮮が掲げる大義名分だ。17年は軍事行動をちらつかせるトランプ政権が誕生したこともあり、北朝鮮は6回目の核実験で過去最大規模の爆発力を見せつけ、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の試射も繰り返して、戦力強化を急いだ。

 だが、太氏は別の理由にも言及した。兵士たちの「敗北意識」の解消だ。

 朝鮮半島では南北間に大きな軍事的格差がある。韓国は経済成長を遂げて兵力を大きく近代化させた。一方の北朝鮮では兵器は老朽化し、下級兵士は深刻な栄養失調に見舞われている。

 「さすがの兵士たちにも『南とやりあって本当に勝てるのか』という敗北意識が広がり始めた。だからこそ、金委員長は核・ミサイルをかざして『我々にはこれがあるから勝てる』という自信を与えた。さもなくば軍隊は統制できない」

 太氏は核開発に、さらにもう一つの意義を加える。経済再建を進めるための「担保」という考え方だ。

 金委員長は最高指導者になって間もないころ、経済改革に強い意欲を見せていた。13年と14年、国内計20カ所に「経済開発区」を設置することを決めた。しかし、これをうまく動かせなかった。経済改革をしても体制が揺るがないという確信がなかったためだ。

 「外国企業家を国内の奥深くまで呼び込んで、この世襲システムは大丈夫なのか。その担保がなかった。だから金委員長は核・ミサイル完成を急いで『体制に危険があればこのボタンを押す』と示す必要があった」

外交政策、省が立案 「正恩氏の意思」と対外宣伝

 最近、北朝鮮の外交官が駐在国から「ペルソナ・ノン・グラータ」(好ましからざる人物)に指定され、退去を命じられる例が相次いでいる。

 「北京やモスクワなどの大きな大使館には、武器販売部門や朝鮮人民軍偵察総局(工作組織)、党39号室(指導部の外貨調達機関)など、外務省以外から『外交官』として派遣された職員がいる」

 もちろん、太氏のような「プロ」の外交官もいて、本国の指示を受けて外交活動を展開する。駐英公使だった太氏の場合はこうだ。

 「北朝鮮に対する制裁決議案が安保理で討議される前に英外交官に接触し、英国が決議案に同意しないよう働きかけよ、という指示が来る」

 外交政策は原則、外務省主管だ。対米政策なら米州局が政策を立案し、外相の決裁を経て金委員長に報告される。了承されれば、それが執行される。

 「省内だけで極秘に進められる。(党の最有力機関の)党組織指導部は外務省の上に位置づけられるが、だからといって政策に干渉できるわけではない。知ろうとしてもいけない。(外務省と党統一戦線部にまたがる)対日政策だけが特異だ」

 この外交政策が外に出る時、すべてが金委員長の意思であるかのように対外宣伝する、というのが北朝鮮独特の方式である。もちろん、核・ミサイル開発の情報は知らされていない。

 「党軍需工業部がひたすらミサイル開発事業を進めて金委員長に報告し、『発射』という指示があればそうする。外務省はもちろん、党組織指導部もこの過程には参加できない」
       北朝鮮を巡る主な動き(肩書は当時)
2002年 9月 小泉純一郎首相と金正日総書記が首脳会談、日朝平壌宣言採択[1]
   5年 2月 核保有宣言
      9月 6カ国協議で核放棄と見返り支援などを盛り込んだ共同声明を採択[2]
  06年10月 初の地下核実験
  09年 5月 2回目の核実験
  11年12月 金正日総書記が死去
  12年 4月 金正恩氏が朝鮮労働党第1書記と国防第1委員長就任[3]
  13年 2月 3回目の核実験
     12月 金正恩氏の叔父・張成沢氏を処刑
  14年 5月 日朝が拉致問題を含む再調査で合意
  16年 1月 4回目の核実験
      2月 拉致を含む再調査の中止、特別調査委員会解体を表明
      5月 36年ぶりに党大会開催。金正恩氏が党委員長に
      9月 5回目の核実験
  17年 1月 金委員長が新年の辞で「大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射実験の準備が最終段階に入った」と言明
      2月 金正男氏が殺害される
      5月 中距離弾道ミサイル「火星12」発射[4]
      7月 ICBM「火星14」試射、約933キロ飛行、最高高度約2802キロ(4日)
         ICBM「火星14」試射、約998キロ飛行、最高高度約3725キロ(28日)
      9月 6回目の核実験
     11月 米がテロ支援国家に再指定
         新型ICBM「火星15」[5]を試射、約950キロ飛行、最高高度4475キロ

 ■人物略歴
テ・ヨンホ
 1962年7月、北朝鮮生まれ。中・高校在学中に中国に留学し、北京外大付属中で英語と中国語を学んだ。当時の学友には、北朝鮮の副首相を務めた許〓(ホダム)氏の子息らがいた。平壌国際関係大卒業後、外務省入り。デンマークやスウェーデンなどで勤務した。駐英公使だった2016年8月17日、妻子と共に韓国に亡命。北朝鮮の体制に対する嫌悪感や「子どもや将来の問題」が動機と説明している。 ]
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