人材紹介業界の開拓者
江島優氏の逝去を悼む!

  先日村上和雄先生の追悼文を奏上したばかりなのに、江島優会長の逝去の報を
知人から聞いた。ネットで確認すると既に1ヶ月以上も前の3月5日に肺炎で逝
去と告知されていた。

 江島優会長には2002年1月、創発センター新谷文夫所長と日本総研本社ビルで
立ち上げた未来構想戦略フォーラムの初代理事長として中川十郎氏、一色宏氏、
大橋武郎氏らとともに大変お世話になった。カラオケによくお誘いいただいたり、
料亭でごちそうになった。お元気な頃は毎週末には厚木のアトリエで絵画を描く
ことを趣味として、その数200枚以上、国民絵画展で賞与を受賞するほどの腕
前であった。トマトや野菜を栽培することも楽しみにされていた。江島氏は同じ
久留米出身で旧知の上祐史浩氏の面倒も見た。青年の育成にも力を注がれ、青年
弁論大会の会長を引き受け、資金提供、資金集めも務められた。

 大変な愛妻家でミュージカルやコンサートにお誘いすると奥様、お孫さん共々
お見えになりお孫さんの喜ぶ姿がとても嬉しそうであった。奥様が病の床に伏さ
れるようになると会社の仕事を早引けし、奥様のために毎日、食事を作られた。
10年以上もの年中無休の介護、だれでもできることではない。奥様の介護に疲れ
て命を縮められたようだ。先日電話した時には「息をするのも苦しい」とおしゃっ
ていた。今までこのようなお姿を拝見したことが無かったので大変なショックで
あった。それ以来、電話するのも気が引け、どうしたものかと打つ手のないもど
かしさにいたずらに月日を過ごしていた折の出来事であった。

 江島会長とは何であったのか?その略歴詳細はこちら⇒と業績を顧みたい。
氏から折々頂いた雑誌や新聞の掲載記事は相当数に上る。 氏は英語会話を覚え
るラボの売り上げ全国一位に輝くなど日本企業で十分やって行ける地位に上りつ
めたが、それは海外へ行くための資金稼ぎであった。次の10年間、ブラジルの原
始林開拓に励む。その仕事で貯めた資金で米国へ留学し、ヘッドハンティングを
学び、これを日本へ導入した。

 江島会長の最大の業績は人材紹介業を日本に導入し、定着化させたことであろ
う。ハローワークを手掛ける労働省からすれば「お金を取って人材を紹介するの
は邪道である」「自分たちの職業斡旋の仕事を奪わる」と陰に陽に妨害をしてき
た。これを巡って裁判闘争は最高裁まで行き、江島氏は敗訴した。その後商工会
議所を始め有志が動き、ついには国会議員も動いて人材紹介業に関する法律が新
たに制定され、最高裁の再審で逆転勝訴となった。江島氏の熱情は国をも動かし
「人材紹介業で正当なお金をとっても良い」ということになり、人材紹介業は高
齢者社会へ突入とともに急速に発展した。奉仕に一定のお金を払うことが当たり
前となり、介護を受ける側、介護する側にとっても、今では社会になくてはなら
ない職業となっている。江島氏は人材紹介業界の会長も長年務められた。

 ここで注目したいのは江島氏の気骨である。裁判闘争で逆転勝訴するまで数々
の嫌がらせがあったことをお会いするたびによく聞いた。その嫌がらせが労働省
ならぬ検察庁検事からであったという。政府ぐるみの反対である。江島氏の受け
たような圧力は各業界にもある。例えば病気にならないと保険が利かない。病気
を予防するための栄養剤、指圧等も保険対象外。米国と日本の医療制度の格差を
廣瀨輝夫先生からお伺いしたことがある。医療制度も江島氏のように体を張って
省庁や既存勢力の圧力を撥ね退け、患者のために改革できる気骨ある医師の出現
が望まれている。

 杉原千畝はイスラエルや米国では絶賛の声が止まない。他方、日本の外務省内
では、杉原氏は未だ「卑怯者、裏切り者」と最低の評価である。日本では、たと
えそれがどんなに国民にとって良いことであるとしても組織を裏切ってまでもや
る勇気のあるサムライは中々出ない。官僚は法に守られており、法を外れること
はエリート・コースからの脱落を意味する。故に行政府内部から体制の変革を望
むことは極めて難しい。各省庁には一般社会に通じない暗黙の省内規範があり、
その一端が文科省、財務省等で露呈し社会から糾弾されている。「省益あって国
益無し」の保身の明け暮れる日本は衰退に向かっている。

 制度改革のきっけは米国発が多い。要は「何が本当に民のためになるのか?」
であり、弊害があるならそれを取り除き、良いと思えばそれを果敢に実行するこ
とである。和は我が国の長所ともなるが、短所でもある。事実を見ないで人間
(専門家)を見る人間信頼社会である。これは第2次大戦において、「なぜ国民
が、不必要な多大な犠牲を払わざるを得なかったのか?」その反省にも通じるこ
とである。

 江島氏のご逝去を惜しむとともに人材紹介業の道を拓いた氏の功績を共に称え
たい。願わくは各分野に気骨のある第2、第3の江島が陸続として出現されんこ
とを!
 大義に生きた義人、何次かに渡って、人生10年計画を立て、その目標を実現する
戦略略・戦術を立て、これを見事に実現できた企業人、ご母堂や奥様、お孫さんに
あふれる愛を注いだ良き家庭人、社会から批判される人をも助ける懐の深い人間愛
の人、常人ならば、これだけでも精いっぱいである。かてて加えて、カラオケ、
絵画、趣味としての農業、人生を楽しむという余裕しゃくしゃくの粋な人、
江島会長のような豊かな人生を歩みたいと思うのは私だけではあるまい。江島氏が
お世話した2000人を超すオーストラリア移民の方々も氏の訃報に接し、ご哀悼
されていることであろう! 

 記:令和3年5月20日、令和4年2月27日、お別れ会から帰宅後加筆。

         大脇 準一郎 拝

   ~~~~~~~~   江島論説・写真 ほか   ~~~~~~~~~~

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