マザー・テレサに学ぶ

 
Mother Teresa

1910-1997, Macedonia
1997年、87歳の生涯の大半、69年の間、インドの最も貧しい人々に仕えた。ハンセン氏病患者をも積極的にケアーし、彼女にそのようになさしめた秘訣は、毎朝4時半からの瞑想・ミサ、そして貧しい人々のなかにキリストを見出していたことにあると言えよう。ヤコブがエソウを心から愛することが出来たのは、エソウの中に「神を見出したがためであった。 「あなたが喜んでわたしを迎えてくださるので、あなたの顔を見て、神の顔を見るように思います。」 (創世記34:10)

マザー・テレサは、聖書山上の垂訓そのままを地でいく清貧、清潔(マタイ5~7章)、さらに奉仕「人の子が来たのも、仕えられれるためではなく、仕えるためであり、また多くの人の贖いとして、自分のいのちを与えるためである」 (マタイ20:28)、何よりもイエス様のみ言葉にあるように、「兄弟である最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしたのである。」(マタイ25:34~40、マタイ10:40~43)と最も貧しい人々の中に主を見たのであった。 

マザー・テレサの生涯は、いかに人々、怨讐(カイン)さえもを愛することが出来るか、我々に多くの教訓を与えてくれている。インタネットホームページ、女子パウロ会発行書籍、佐賀の林正一さんの協力を得て以下の通りまとめてみました。これをたたき台にして解説がさらに充実され、皆様の奉仕活動の助けになれば幸いです。  大脇  拝 
 
1910年、8月26日、)スコピア の
アルバニア商人の家庭に3人の
兄弟の末子に生まれる。
両親はアルバニア系の熱心な
カトリック教徒

【愛について】 マザー・テレサに学ぶ

私は世界中に愛の手紙を書き送る神の手に握られた小さな鉛筆です。

お互いに心から深く愛しあっている人たちは、世界で一番幸せ者です。私達
  が接するとても貧しい人たちを見ているとそれがわかります。子供を愛し、
  家庭を愛しています。持っているものは少なく、場合によって無一物ですが、
  幸せな人たちです。

*「愛は家庭から始まります。まず家庭の中で不幸な人を救いなさい。両者が
  愛し合い、母親が家庭の中心となりなさい。平和とうるおいの家庭が築けた
  ら、隣人を愛しなさい。自分が、自分の家庭が、愛に満たされなければ隣人
  を愛せません」  (1981年4月、初来日の際)

* 自分の家族、隣近所の人達から始まった愛は、やがて全ての人に向けられて
 いくようになるのです

* 一緒に住んでいたり、または血のつながった親族といった人たちにほほえみ
 かけることは、あまり親しくない人々に対してほほえみかけるよりむずかしい
 時があるものです。「愛は近きより」ということを忘れないようにしましょう。

*「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して
  考えるべきです。 愛はまず手近なところから始まります」
               (1981年4月、初来日の際)

* 「人間にとって最も大切なのは、人間としての尊厳を持つことです。パンが
  なくて 飢えるより、心や愛の飢えのほうが重病です。豊かな日本にも貧し
  い人はいると思い ますが、それに気づいていない人もいるでしょう」
               (1981年4月、初来日の際)  

*「この国にも飢えがあります。一切れのパンを求める餓えだはなく、合いを求
  める激しい餓えです。】  (1982年6月、ハーバード大学卒業式で)

* 油を足し続けなければ、ランプを灯してはおけない

* 愛は、一年中が旬で、誰でも手が届くところになっている果物である。

* この世界は食べ物に対する飢餓よりも、愛や感謝に対する飢餓の方が大きい
  のです。この世で最大の不幸は、 戦争や貧困などではありません。人から見
  放され、「自分は誰からも必要とされていない」と感じる事なのです。

* どんな人にあっても、まずその人のなかにある、美しいものを見るようにし
  ています。この人のなかで、いちばん素晴らしいものはなんだろう?
  そこから始めようとしております。そうしますと、かならず美しいところが
  見つかって、そうすると私はその人を、 愛することができるようになって、
  それが愛のはじまりとなります。

* いずれにせよ、もし過ちを犯すとしたら、 愛が原因で間違った方が素敵ね。

* 平和は、 笑顔からはじまります。導いてくれる人を待っていてはいけません。
 あなたが人々を導いていくのです。あなたに出会った人がみな、 最高の気分
 になれるように、親切と慈しみを込めて人に接しなさい。あなたの愛が表情や
  眼差し、 微笑み、言葉にあらわれるようにするのです。

* 銃や砲弾が世界を支配していてはいけないのです。世界を支配していいのは、
  愛なのです。

* 人生は愛すること、そして、愛されることの喜びそのものです。 愛は「与
  えること」で、一番良く表現されうるのです。 そして、いま学びにあるあ
  なた方は、この「与えること」が痛むまで「与えること」を学ぶのです。
  何故ならば、これこそが本当の愛の証だからです。 
      (上智社会福祉専門学校・創立25周年記念誌へのメッセージより)

*私たちは、この世で大きいことはできません。小さなことを大きな愛をもって
  行うだけです。大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、ど
  れだけ心をこめたかです。

* 行く先々で愛を振りまきなさい。先ずは自分の家から始め、子供達に、伴侶
 に、そして隣人に愛を与えなさい。あなたに会いに来る人を幸せな気分にして
 帰しなさい。神の優しさをあなたが身を持って示しなさい。あなたの表情に、
 眼差しに、笑顔に、心を込めた挨拶にも神の優しさを宿すことによって

* どれだけ与えるかでなく、どれだけ愛を込めるかです。

* 優しい言葉は、たとえ短く簡単な言葉でも、いつまでも、いつまでも心にこだまします。

【貧困について】
*「この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。だれからも自分は必
  要とされていないと感じることです」(1952年、「死を待つ人の家」開設の際)

* あなたが触れているのは、病に悩む神様そのものなのです。「貧しい人たち
  は、私たちが彼らに与えるよりはるかに多くを、私たちに与えてく れます。
  彼らは、食べ物なしで日ごとに生きている強い人々。彼らは決して他人をの
  のしったり、不平を言うことはありません。私たちは、彼らを哀れみ同情
  を与える必要はありません。 むしろ、私たちが彼らから習うべきことがた
  くさんあります」  (1977年、インタビューに回答)

*「私は受賞者に値しませんが、貧しい人々に代わって、この名誉ある賞をい
  ただきます。私は、社会に望まれず、愛されず、顧みられていないと感じて
  いるすべての人々。社会の負担となって、皆から避けられている人々。おな
  かをすかせている人々。 障害者。盲人。ホームレスなど。こうした人々の
  名において、ノーベル賞を受けることを、ありがたく思っています」
          (1979年12月、オスロのノーベル平和賞授賞式で)

* もし貧しい人々が飢え死にするとしたら、それは、神がその人たちを愛して
  いないからではなく、 あなたが、そしてわたしが、与えなかったからです。
  神の愛の手の道具となって、パンを、服をその人に差し出さなかったから
  です。キリストが、飢えた人、寂しい人、家のない子、住まいを捜し求め
  る人などのいたましい姿に身をやつして、もう一度来られたのに、わたした
  ちが キリストだと気が付かなかったからなのです。

* 「私はすべての人の中に神を見つけることができます。ハンセン病患者のけ
  がを洗う時、私は神を看病していると感じます。美しい経験ではないですか」
                 (1974年、インタビューで)

* 最も悲惨なことは、飢餓でも病気でもない。自分が誰からも見捨てられていると感
  じることです。 貧しい人々が一番求めているのは、哀れみではなく、愛なのです。

* 神は、飢えている人、病める人、裸の人、家のない人の中におられます。飢
  えといっても、パンがないためだけでなく、愛、思いやり、誰かの“あなた”
  でありたいことへの飢えなのです。また裸といっても服がないだけでのこと
  ではなく、見ず知らずという理由だけで、優しい心遣いを示してもらえない
  意味での裸であり、『家がないというのは、石で造った家だけでなく、自分
  を招き、受け入れてくれる人を持たないゆえの家なしなのです。

* ある人が尋ねました。「いったいいつ、貧しい人々の貧困はやむのですか?」
  私は、あなたと私が分かちはじめたそのときに、と答えました。より少なく
  持てば、その分、より多く与えられるのです。より多く持とうとすれば、よ
  り少なく与えることしかできません。

* 貧しい人々の中で最も貧しい人々をキリストご自身の姿として助けてゆく。私
  たちは、教会の維持を受けませんし、政府からの補助も受けません。また、
  月給もありません。神の愛の宣教者は、貧しい者の中の最も貧しい者です。
  誰一人、私でさえも、自分の物は何も持ちません。

* 飽くことなく与え続けて下さい。しかし、残り物を与えないで下さい。痛み
を感じるまでに、自分が傷つくほどに与えつくして下さい。

* 残り物を与えるのは、貧しい人々が持っている尊厳に敬愛を払っている行為
ではありません。貧しい人々を私たちの主人と見てする行為ではなく、彼らを
  見下げた行為としか言いようがありません。

* 私は福祉活動をしているのではありません。私にとって大切なのは、群衆と
  しての人々ではなく、個々の魂なのです。

* 私は、あなたの世話をし、出来ればもう一人世話をするだけです。

* 世界で一番恐ろしい病気は、 孤独です。

* もし貧しい人々が飢え死にするとしたら、それは神がその人たちを愛していな
  いからではなく、あなたが、そして私が与えなかったからです。

【奉仕】
*何もしなくてもいい。そこに苦しんでいる人がいることを知るだけでいいのです。

* 問題なのは、富んでいる人や裕福な人が、多くの場合、貧しい人のいること
をまるで 知らないことです。ですから「、その人たちを許せるのです。知る
気になれば 喜んで 愛するようになり、愛は奉仕を生むからです。 貧しい
人のために心が動かないのは、 貧しい人を知らないからです。

* (世界平和のために何をしたらいいのかと聞かれて)帰って家族を大切にしてあげて下さい。

* 100人に食べ物を与えることができなくても、1人なら出来るでしょ?

* あなたがちょっとほほえむだけでいいのです。新聞を読んであげると喜ぶ目の不
 自由な人も、買い物をしてあげると、重い病気の母親もいるでしょう。小さいこ
  とでいいのです。そこから、愛は始まるのです。

* 健康な人やお金持ちは、どんなうそでも言えます。飢えた人、貧しい人は、にぎ
  りあった手、見つめあう視線に、ほんとうに言いたいことをこめるのです。

* ある人が尋ねました。「いったいいつ、貧しい人々の貧困はやむのですか?」
 私は、あなたと私が分かちはじめたそのときに、と答えました。より少なく持
 てば、その分、より 多く与えられるのです。より多く持とうとすれば、より
 少なく与えることしかできません。

* 神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦するこ
 とを望んでいるだけよ。

* 私は、不親切で冷淡でありながら奇跡を行うよりは、むしろ親切と慈しみの
 うちに間違うほうを選びたいと思います。

* 貧しい人々の中で最も貧しい人々をキリストご自身の姿として助けてゆく。
 私たちは、教会の維持を受けませんし、政府からの補助も受けません。また、
 月給もありません。神の愛の宣教者は、貧しい者の中の最も貧しい者です。誰
 一人、私でさえも、自分の物は何も持ちません。

* 飽くことなく与え続けて下さい。しかし、残り物を与えないで下さい。痛み
  を感じるまでに、自分が傷つくほどに与えつくして下さい。

* 残り物を与えるのは、貧しい人々が持っている尊厳に敬愛を払っている行為では
  ありません。貧しい人々を私たちの主人と見てする行為ではなく、彼らを見下げた
 行為としか言いようがありません。

* 私は福祉活動をしているのではありません。私にとって大切なのは、群衆とし
  ての人々ではなく、個々の魂なのです。

* 私は、あなたの世話をし、出来ればもう一人世話をするだけです。

* わたしたち一人一人が、 自分の玄関の前を掃除するだけで、世界はきれいに
 なるでしょう。

【心の姿勢・信仰】
* 神がお与えになるものは何でも受け取り、またあなたから取り去られるもの
 は、何でも差しあげ、かもの恵みが確かにあなたのうちに働くようになさい。
 まことの聖性とは、神のみ心のままを、心の微笑みをもって生きることです。

* 大切なことは、たくさんのことをし遂げることでも、何もかもをすることで
 もありません。大切なことは、いつでも何に対しても喜んでする気持ちがある
 かどうかなのです。

* 私たちは皆、神の手の内に握られている鉛筆です。」

* 祈ることを愛しなさい。日中たびたび祈りの必要を感ずるようでありなさい。
 そして、実際に祷るよう努めなさい。祈りは心を広くし、神ご自身という贈り
 物を受け入れることが出来るようにしてくれます。願い求めなさい。そうすれば、
 あなたの心は大きくなって、神を自分のものとしてお受けし、神から離れる
 ことがなくなる程になるでしょう!“あなたの心の中の最良のものを”

* 人は不合理、非論理、利己的です。 気にすることなく、人を愛しなさい。
 あなたが善を行うと、 利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
 気にすることなく、善を行いなさい。

* 目的を達しようとするとき、 邪魔立てする人に出会うでしょう。
 気にすることなく、やり遂げなさい。

* 善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
 気にすることなくし善を行い続けなさい。

* あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう
 気にすることなく正直で誠実であり続けないさい。

* 助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
 気にすることなく助け続けなさい。

* あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。
 けり返されるかもしれません。

* 気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。
 気にすることなく、最良のものを与え続けなさい…。

* あなたは、あなたであればいい。

* 信仰が足りないのは、自己中心と、自分に得になることだけを求めることが
 多すぎるからです。信仰が本物なら、それは仕えずにはいられない愛があるは
 ずです。愛と信仰は、ひとつになっているもの、互いに補いあって完成しあう
 ものです。

* 信仰を失うことより、いのちをなくすことを私は選びたい。

* キリストがあなたを愛しておられる愛には限りがありません。そしてあなた
 が教会に抱いて折られる、わずかな疑問は限りあるものですね。有限なものを
 無限なるものによって克服してください。

* 今日、教会の表面で起こっていることは、やがて過ぎ去ることです。キリストは
 お叱りなさらず、ただ『信仰の薄い者よ、何故恐れたのか』とおっしゃっただけ
 です。私達もキリストが愛されたように愛することができるならと思います。
    ――それも今、このときに。

* 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

* 今、この瞬間を幸せでいましょう。それで十分です。その瞬間、瞬間が、 私
 たちの 求めているものすべてであって、他には何もいらないのです。

【緊迫する世界情勢のなかで】
* 「どうか平和への道を選んでください。短い間には、戦争の勝者と敗者がいる
 かもしれません。でも、決して、苦しみ、痛みは消えず、武器が引き起こす 
 生活の損失を正当化できるものではありません」
    (1991年1月、ブッシュ・米、フセイン・イラク両大統領への手紙で)

* 難民かキャンプの苦しみは大きい。キャンプ全体がひとつの大きなゴルゴダ
 の丘のよう。キリストが再び十字架につけられている。助けがいる。しかし、
 許しがないところに、平和は、来ない。ベルファストでもベトナムでも同じこ
 とが言える。

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【マザー・テレサの傑作アイデア】
* 1964年 にボンベイに来たローマ法王パウロ六世は、アメリカ人の富豪から
  贈られた純白のリンカーン・コンチネンタルをマザー・テレサにプレゼント
  した。マザーはこの車を賞品に宝くじを行い、車の価格の五倍に当たる50万
  ルピーの資金を得て、ハンセン病者のための大きなセンターを建てそこを平
  和の街と名づけた。

* 街頭に捨てられたココナツの殻を水にひたしてから棒でたたくと繊維にな
  ることに着目したマザーは、ココナツの繊維からマットやたわし、枕のなか
  に入れるパンヤを作った。さらに、その製品を売って失業対策や、収入化を
  図った。    (ed. by J.Owaki)



  マザー・テレサに学ぶ

多くの方から感動のお便りいただきました。

* マザーテレサのお話には、私も感動して涙を流しました。いつもすばらしい内容の御言葉を
  ありがとうございます。

* いつも奉仕されるお姿、誇りに思います。先程、メール読みつつ、あまりにも共感し、御礼を
  申し上げずにはいられなくなりました。
 私が不公平な現実を目の当りにし、胸が張り裂けるように苦しかった時、マザー・テレサの
 “私は全ての人の中に神様を見出す”という言葉に出合い、それ以降、私の人生における人間
 関係の柱を成すものとなっています。

 今回Fをする上でも、“出会う全ての人を神様とし、自分の持てる最高の敬意と愛情を持って、
 必ずや“美”を残し、この一瞬の出会いを永遠の価値あるものとして、神様にお返しよう”と思い
 つつ歩みました。そうしているうちに、一つの言葉がきっかけとなり、謙虚に歩めば歩むほど、
 今度は自分の中から湧き起ってくる言葉が私を導いてくれるようになっていきました。
 み言も読む前から、そしてマザー・テレサの残した他の言葉の多くも、既に“内なるロゴス”によって
 教えられていたことを感じます。人は与える事によって、逆に与えられ、死ぬことで逆に生かされる
 という、キリスト教の教えは、信仰によってはじめて理解する、現実には認めがたいパラドックスで
 あります。
  しかし、私達は誰しもが、哲人・聖人等が自分の中に神の声を見出したその事実を、実体を持って
 感する可能性を秘めているとは、なんとすばらしいことでしょうか!
  二世教育が騒がれている昨今ですが、神が育ててくださる内的環境を準備さえすれば、必ずや
 神は導いてくださるとお父様がおっしゃることも確かですね。中庸を尊び、神が与えた感覚を通し
 愛し合い、内外の調和をもった個人となり、家庭となり、神様までも喜ばせて差し上げるものに成り
 たいと、改めて決意させられました。

*はじめまして。マザ-テレサの生涯についてとても良い内容をありがとうございました。
 私はマザ-・テレサの出身地であるマケドニアで宣教師として歩んでいましたので、とても身近に
 感じられました。是非他のマケドニアの宣教師の姉妹達にもこの内容を転送したいのですが、宜しいですか?

*私たちは気負うって奉仕活動しているみたいですね。マザーテレサの言葉にもありましたが、
 身近なところから愛をかけることが大切だと思いました。もっと素直に現実を見て、相手を変えようと
 思うと難しく感じられるけれど、自分が変わることが重要なんですね。そしてできることからやれたらと感じました。

*  今春にも、マザー・テレサのビデオ希望の御投稿があり、ダビングして差し上げている間、そのビデオの
 中のお話に感動を新たにし、そこから感動した事を箇条書きにして投稿したいと念願し続けておりました。

*大脇さんの御投稿の中から、私が感動したものを選び出してレスしようと思って選んでいる内、結局全部選んで
 しまうのです。そこで、中でも皆様に思い起こして戴きたいと感じ続けて来たお話を抜粋させて戴きます。
*心や愛の飢えのほうが重病です。豊かな日本にも貧しい人はいると思い ますが、それに気づいていない人もいるでしょう

* もし貧しい人々が飢え死にするとしたら、それは、神がその人たちを愛して いないからではなく、あなたが、
  そしてわたしが、与えなかったからです。
* 神の愛の手の道具となって、パンを、服をその人に差し出さなかったからです。キリストが、飢えた人、寂しい人、
  家のない子、住まいを捜し求める人 などのいたましい姿に身をやつして、もう一度来られたのに、わたしたちが
  キリストだと気が付かなかったからなのです。

* あなたが触れているのは、病に悩む神様そのものなのです。

*一般の人々が見下しているその人が、実は神であり、キリストの訪れであることに気が付かないのですね。
 これは私自身に向かって語られているような気がするのです。
  
以上、感想の一部紹介 終わり



最近、マザー・テレサについて考えさせられました。

1997年、87歳の生涯の大半、69年の間、インドの最も貧しい人々に仕えた。ハンセン氏病患者をも積極的に
ケアーし、彼女にそのようになさしめた秘訣は、毎朝4時半からの瞑想・ミサ、そして貧しい人々のなかに
キリストを見出していたことにあると言えよう。ヤコブがエソウを心から愛することが出来たのは、エソウ
の中に「神を見出したがためであった。
 「あなたが喜んでわたしを迎えてくださるので、あなたの顔を見て、神の顔を見るように思います。」
  (創世記34:10)

マザー・テレサは、聖書山上の垂訓そのままを地でいく清貧、清潔(マタイ5~7章)、さらに奉仕「人の子が来たのも、
仕えられれるためではなく、仕えるためであり、また多くの人の贖いとして、自分のいのちを与えるためである」
 (マタイ20:28)、何よりもイエス様のみ言葉にあるように、「兄弟である最も小さい者の一人にしたのは、わたしに
したのである。」(マタイ25:34~40、マタイ10:40~43)と最も貧しい人々の中に主を見たのであった。 

マザー・テレサの生涯は、いかに人々、怨讐(カイン)さえもを愛することが出来るか、我々に多くの教訓を与えてくれている。

インタネットホームページ、女子パウロ会発行書籍、佐賀の林正一さんの協力を得て以下の通りまとめてみました。
これをたたき台にして解説がさらに充実され、皆様の奉仕活動の助けになれば幸いです。  大脇  拝

  
「一本の鉛筆になればいい」

在りし日のマザー・テレサが過ごした最後の12年半、日印を何度も行き来する中で、
親交を深めてこられた一般社団法人ピュア・ハート理事長の五十嵐薫さん。

マザー帰天後も、その精神を継ぎたいと、インドを中心に活動を続けた五十嵐さんに、
マザーの生き方とその偽らざる素顔について語っていただきました。

─────────────────
(五十嵐)
中でも私の人生の大きな転換となったのが、インドに建設したレインボー・ホームでした。
ことの起こりは、マザー・テレサが亡くなる4年ほど前に遡ります。

ある日本人の団体がマザー・テレサに会いに、バングラデシュからマザー
・ハウスにやって来ました。残念ながら彼女は留守だったため、代わり
に私がマザー・テレサの施設を案内してあげたのです。

聞けば、彼らはバングラデシュで親のない子供たちのお世話をしている
とのこと。いろいろと話を聞くうちに、それこそ私がライフ・ワークとして
やりたかったことではないかという気持ちが湧き上がってきたのです。

その思いは毎朝の祈りを通して日増しに高まっていきました。そしてあ
る日のこと、思い切って打ち明けました。

「マザーは貧しい人の中で最も貧しい人たちを助けているけれども、私
はインドの親のない子供たちにお母さんを与えるような家をつくりたい
と思っています」

マザー・テレサは目を閉じて数秒間沈黙したのち、私にこう問いかけました。

「あなたに私と同じことができますか」

いつも微笑みを湛えている時とは違い、彼女はとても厳しい表情で私を見据えました。
私は即座に「世界中、誰だってできません」と答えました。

「そうでしょ。私にだってあなたと同じことはできません。人にはそれぞれ役割、
ミッションがあります。あなたは自分のやりたいと思うことをやりなさ
い。しかし、祈りを忘れないこと。祈りなさい。あなたの祈りが神に届
いたら、きっとその願いは叶うでしょう。

ただし、あなたがやるのではありません。神がやられるのです」

それから私は毎日のように祈り続けました。ところが祈ろうとすればす
るほど雑念で心はザワつきます。孤児の家をつくれば周囲から褒められ
るのではないかなどという不純な心が顔を出し、祈りが祈りになりませ
ん。

それでも真剣に祈り続けると、ある日、自分の心に響く声がありました。

「Make pure heart and I build.」。
純粋な心をつくりなさい、そうすれば私がつくろう──。

突然、私は肩の力がふっと抜けていく気がしました。

自分がつくろう、つくろうと思っているうちは祈れない。「つくる人は
私ではない、見えない世界にいる」と感じました。

私はマザー・テレサが言っていたように、自分も天に身を委ねて一本の
鉛筆になればいい。与えられているものをすべて受け入れられたら、も
う迷わない。

そう意を決した瞬間、内なる声が心にストーンと落ちたのでした。

そして日本に帰り、講演に招かれるたび、出会う人に自分の夢を語って
いきました。そのうちに私の思いに賛同してくださる方が次々と現れ、
祈っていたらいつの間にか孤児たちの家「レインボー・ホーム」ができ
たのです。

(※月刊『致知』2012年5月号 「その位にして素して行う」より抜粋・編集)


 
マザー・テレサの生涯  
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1910年、8月26日、(明治43年 )スコピア(現マケドニア)のアルバニア商人の家庭に
3人の兄弟の末子に生まれる。本名;Agnes Gonxha Bojaxhiu、(アグネス・ゴンジャ・ボジャクシュ)、
両親はアルバニア系の熱心なカトリック教徒

1928年(昭和 3年 )アイルランドのロレッタ修道会に入会し、カトリックの修道女として同年、
  年インド・ダージリンの修練院に派遣される。

1931年(昭和 6年) ロレッタ修道会修道女として初誓願を立てる。修道名はシスター・テレサ
 カルカッタにあるロレッタ修道会経営のセントメリー高等学校に赴任。歴史と地理を教え、
 その後、校長を務める。

1946年(昭和21年) 黙想のためダージリンへ向かう汽車の車中で“あまりにも明白な
 神の召命”を受け、修道会を出て貧しい人々の中に入ることを決意する。
  (『病める人、市に行く人を助けよ、神の手となり、愛をもって貧しい者の中の最も貧しい
 者を救え!、餓えた者、裸の人、家のない人に神の愛を行動でしましなさい!』)

1948年(昭和23年) イギリスの植民地から独立したインドで、貧困救済の活動に入るため、
 派遣伝道師としての身分の除籍をローマ法王に申請。(修道女のまま修道院外で働く許可)
 スラム街にまず最初に「青空教室(文字を教える)」を開設。(薬を買って粗末なサリーをまとい
 貧民街に立ったとき、所持金わずか5ルピー(約150円)。
  「富の中から分かち合うのではなく、ないものを分かち合うのです。」
    持ち物と言えば、サリーと草履

1949年3月9日、ミッションスクールの教え子、ベンガル少女、最初の弟子となる。
     “アグネス”の名を与える。

1950年(昭和25年) インドに帰化。 12人のシスターと共に、”貧しい中の最も貧しい人に仕える
 修道会”「神の愛の宣教者会」(Mission of Charity)設立、総長に就任して「マザー・テレサ」と
 呼ばれるようになる。

1952年(昭和27年) 路上で死にそうになっている人を連れてきて、最期をみとるための
  施設「死を待つ人々の家」(Home for Sick and Dying Destitutes)を開設。
  (地元住民の強い反対と施設撤去を求める誓願。ヒンズー教徒の国ですから、
  キリスト教のシスターは良く思われません。また、どうせ死ぬ人のためにそんなに
  苦労しても、あまり意味がないのではないかという批判もあった。しかし、マザーは、
  最期の一瞬だけでも人間らしく扱われることの大切さを痛感。)ある日、コレラで死に
 そうなヒンズー教徒の僧を引き取り、死をみとったことをきっかけに、住民の彼女を見る
 目が変わる。
  「恵まれない人々にとって必要なのは多くの場合、金や物ではない。世の中で誰かに
  必要とされているという意識なのです。見捨てられて死を待つだけの人々に対し、自分の
  ことを気にかけてくれた人間もいたと実感させることこそが、愛を教えることなのです。」

1955年(昭和30年) 孤児のための施設「聖なる子供の家」を開設する。
1957年(昭和32年) ハンセン病の巡回診療を開始する。
1965年(昭和40年) インド国外での最初の修道院をベネズエラに開設する。
1968年(昭和43年)西ベンガル州にハンセン病患者のコミューン「平和の村」を開設する。
1975年(昭和50年) 学校・病院・作業所持つ複合センター「プレム・ダム」を開設する。
1979年(昭和54年) ノーベル平和賞受賞、「わたしは受賞に値しないが、世界の最も貧しい
  人々に代わって賞を受けました。受賞後も、朝4時に起床、シスター達と一緒に、路上
  生活者やごみ捨て場に捨てられた幼児を施設に連れてくるといった生活をほとんど
  変えずに行い続けた。
1981年(昭和56年) この年と翌年に二年連続して来日し、各地で講演を行う。
1984年(昭和59年) 三度目の来日。
1997年(平成 9年 3月病気のため総長を引退。新総長にシスター・ニルマラが選ばれた。
1997年(平成 9年 9月5日(日本時間9月6日午後6時)「もう息が出来ないわ」の言葉を残し
  永眠。9月13日インドで国葬が行われた。マザー・テレサの精神は、現在,126カ国、537
  修道院、600の施設で受け継がれ、4000人のシスターが奉仕している。


参考
『マザー・テレサ語録