ブラジル日系移民の未来

                     国際企業文化研究所長  大脇 準一郎

 我々日本人にとっては、ブラジルは地軸の真反対、遠い国とのイメージ、そして日本
の二十三倍もの広大な面積を有する、肥沃な土地の印象ではなかろうか?
 事実、世界の熱帯雨林の五〇・はブラジルに属しており、全地球上のオゾンの五分の一
を生み出し、母なる大地のイメージを抱かせる。 また、ブラジルは日本人海外移住民二
百五十万人の半数以上の百三十万人が住む移民大国であり、“遠くて、近い国”である。
 

 一九〇八年六月十八日、ブラジル第一回移民七百八十一人が笹月丸で、サントス港に
上陸してから、今年で九十年、日本政府代表として、小淵外務大臣(当時)が九十年祭
式典に参加した。氏は三十五年、早稲田の学生時代、九カ月間、世界三十八カ国の漫遊
旅行に出掛け、ブラジルにも立ち寄って、先輩、高井義信氏の家を拠点に三カ月間、ブ
ラジルをくまなく歩いている。

 ブラジルのもう一つのイメージは 「未来都市国家」ある。一九六〇年、中央高原
の荒野に、突如、新首都、ブラジリアが出現した。その後、極度のインフレや軍事クー
デターを経験しながらも、カルドール現政権はレアル・ブラジルを成功させ、アジアの
経済危機に対して、金利引き上げ等の緊急経済措置を取り、経済の安定を維持している
。「伐採王」とリオ・デ・ジャネイロ州知事も攻撃されるほど、環境破壊の進むブラジ
ルであるが、豊かな資源を生かし、自然と調和した、理想郷をつくってほしいものであ
る。ブラジルにはそのような「若さ」と「夢」がある。

 小生、今回、初めてブラジルを訪問した。三週間余、日系人の七割以上が居住するサ
ンパウロ州を中心として取材した。その間、各地で快く、受け止めてくださった各位に
心から感謝を申し上げる。いま、膨大な資料を読破しているのであるが、日系移民、ブ
ラジルと日本との関係に焦点を当てて検討してみたい。

 「文協四十年史」という本が今年三月、発行された。 「文協」はブラジル・日本文
化協会の略称であるが、日本の敗戦後、勝ち組と負け組とに大きく分断された日系社会
を統合した連合団体で、サンパウロ市の東洋人街の八階建ての日本文化センターの生み
の親である。この本の中で感銘するのは、散り散りになった日系人の心を一つにまとめ
上げた山本喜誉次初代会長の公益無私な人柄、遠大なビジョン能力である。「ブラジル
には人種差別はないけれども、文化差別がある。日本人は働き蜂と言われるが、長い歴
史で培った文化をもっているから、それを理解してもらわなければならない」「原始林
は征服できても、文化的差別を征服できなければ、排日の材料は絶えないであろう」と
の言葉は卓見である。

 天皇陛下(皇太子時代を含め三回)をはじめ、皇室の方々を熱狂的に迎えた何万もの
観衆、皇室以外の余人をもってしては果たせないカリスマ性がブラジルでは素朴な形で
生きている。

 日本移民五十年祭(一九五八年)、三笠宮をお迎えした二万人の式典にクビッチェク
大統領はブラジルに対し、長年の日本人の貢献を高く称賛して次のように述べている。

 「この移民五十年祭典は単に日本人コロニアだけでなく、すべてのブラジル人のもの
である。我々は続々と来伯した日本移民がブラジルにもたらした利益を認識している。
日本移民は一九〇八年初めてブラジルの土を踏んで以来、ブラジルの活動に積極的に参
加し、労働意欲だけでなく、豊富な経験をブラジルにもたらした。我々は日系ブラジル
人の労働の結果を誇りをもって世界に知らせることができる。日系人は、現在我々のつ
くった文化と精神の中に完全に融合している。私は来伯した日本人たちが、ブラジルを
偉大な国にしたことを感謝する。またブラジルがいかなる種類の偏見も持たない国であ
ることを声明したい。政治的にも、人種的にも、宗教的にもブラジルを偉大な国にする
ために働き、協力するすべての人たちに偏見を持たないのである」 次に立ったクロド
ロス・サンパウロ州知事は祭典当日を州の休日と布告した。

 日本人の一人として、大いに意気に感じるところであるが、「日本人は正直で勤勉と
信じてきた我々であるが、最近の日本人はどうなっているのか?」と二世の日系リーダ
ーから質問されて、即座に返事することができなかったが、皆さんはどうであろうか?

日系社会は三大臣、四人の連邦下院議員、三十六市長を出している。このうち沖縄県は三
人の連邦下院議員、五市長をはじめ、軍、警察、大学、実業の世界に進出している。 日
系の一割、十三万人の最大勢力であることもさることながら、“イチャリバチョウデ”
(会えば兄弟)という琉球社会の助け合い・同族的団結が強いことが一つ、またブラジル
で最も大切とされる“アミーゴ”(兄弟)の友情・信頼を大切にする楽天的・大らかな性
格と気質が合っているせいもあろう。

 日系人に対する尊敬心もあって、ブラジルでは日本の宗教が浸透している。日本で下り
坂と見られる生長の家も会員総数二百四十万人とブラジル社会に浸透している。あらゆる
書籍をポルトガル語に翻訳し、本として大量に出回っていることが一つの要因、家庭崩壊
が叫ばれる中、家庭再建への道徳的指針を与えていることなどが挙げられるが、連邦議員
を三十九年も務めた野村文吾氏は「キリスト教が現実的でないからだ」とずばり指摘され
る。

 南米全体に言えることは、長い間の植民地政策、民衆にはできるだけ教育を与えず、
また団結しないように分割して統治してきた。そして民衆の隠れ家として宗教を与え、
「主にすがればすべて解決する」との信仰を与えられてきたが、今日の社会的貧富の格差
は覆いようがない。現カルドール大統領の最大の対立候補、ルーラー議員は、大地主の土
地に勝手に住み着く、何百万人とも知れない浮浪者たちや貧困層から支持されている左翼
政治家である。南米の教育投資は低く、国家総支出のチリー二・九%、コロンビア三・五
%、アルゼンチン四・五%、ブラジル五・二%、ベネズエラ五・二%。ちなみにドイツ九・四%、
日本は八・三%である。

に敬意混血が

 今年の九十年祭、サンパウロでは三百人しか集まらなかったのに、隣のパラナ州では、
三万人の日系人が集まり、大統領までもが出席したことが、新聞の紙面で比較して批評さ
れていた。一つにはサンパウロは野村議員を先回の選挙で落とし、片やパラナ州では連続
八期のアントニオ上野がいることが挙げられる。先に述べた山本会長にしても、いかに指
導者・政治家が社会の活性化に重要かということが分かる。 移民九十年を迎え、日系社
会は一世から二世への世代交代と日系社会の存続の危機感があふれている。 

 一世は日系人口の一二・五%、二世は三〇・九%、三世は四一・三%、四世は一三・〇
%、五世は〇・三%、世代交代は急速に進んでいる。 危機感の一つには混血問題がある。
二世が六%、三世が四四%、四世が六二%の混血だという調査から、日系人の血が失せて
しまうのではないかとの危機感である。 第二には、日系社会の求心力であった一世の時
代の終わりと、これに伴う日系人の拡散現象。特に日本語を話せない日系人が増えている
こと。日本語普及教育も最近、日本語学校を閉鎖しなければならないところも出て、低調
である。日、コバタは「ブラジルの日本文化にはまるでオーナーが居るかのような印象を
受ける」と一世の閉鎖的体質を批判している。 

 一九九三年の時点でブラジルの日本語学習者は十八万人に対して、韓国八十二万人、中
国二十五万人、オーストラリア十八万人の大半が外国人学習者であることを見れば、日系
人だけの日本語からブラジル人対象の普遍的日本語、日本文化を教える方向に切り替える
時であろう`この点、日本語学習者五万人を超える米国での日本語教授法が参考となろう。
米国のどこの大学でも日本人または日系人でパーフェクトな日本語を話せる人が日本語教
育の任に当たっている。 日本は百数十年前の翻訳外国語教育から脱皮して、ヒヤリング
・スピーチを中心とした実践言語教育に切り替えるべきである。サンパウロ大学の日本研
究所を訪問して失望したのは、万葉集とか古今和歌集を教えて、実践日本語教育から遠い
こと、日本語を近寄りがたい難しいものにしていることである。

 この点、全日制・全寮制でポルトガル語を中心に日本語・スペイン語・英語を教えるハー
モニー学園、渡辺ツギオ校長はモデル的である。日本も日本語をベースに少なくとも、近
隣の英語・中国語・韓国語を話せる異文化間コミュニケーション能力のある人材を養成す
べきである。 今から二十七年前、文協四代目会長となった延岡長五郎氏は日系人のみで
なく、ブラジル人一般にも門を解放した総合学園構想を述べている。また翌年の一九七二
年、日本力行会永田会長は第二アリアンサ四十五周年に寄せて「アリアンサ大学」の創設
を提唱している。今回、文協第八代山内淳会長は「日伯学園構想」を提唱し、九六年来伯
した橋本龍太郎総理の協力を得て、実現に向け挑戦中である。教育は良いことと分かって
いてもなかなか成果が目に見えて現れるというものでなく、金がかかるので、先送りにな
りやすい。 「三年で見たければ柿を植えよ、十年で見たければ木を植えよ、三十年で見
たければ人を植えよ」との格言もあるように、やはり人作りが根幹であるが時間がかかる。
その人は宗教、確固とした道徳、倫理の教えなくして、できるのであろうかというのが、
次に起こってくる疑問である。

 米国の繁栄の原因は「移民たちはまず、教会を建て(アイデンティティー・価値観の確
立)、神学校を中心とした最高教育の学校を建て(教育による価値観・文化の普及・伝播)、
第三に自分の家のこと(日常生活)を考えたことにあるといわれている。今日米国社会に
おいても、いまだ価値観の統合はなされていない。世界の各地で、いまだに民族・宗教間
の紛争の絶え間のない今日、我々は従来の民族・宗派・人類・国境を超えた普遍的価値観
の確立を、まず目指すべきであろう。 インド原始仏教との比較から、インド仏教学の権
威中村元氏は「日本人は、身近な感性的世界は得意でも、普遍を考えることが不得手であ
る」ことを指摘しているが、ブラジルの日系人社会の課題も結局、この民族的特性と深く
かかわっていることを考えさせられるのである。
       
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日伯文化交流
                                       大脇準一郎

1、 ブラジル日本会議

2000年11月、ブラジル永住権更新のためにサンパウロに1ヶ月程滞在した。 その間、11
月25日、ブラジル日本会議発会式が行われた。ほとんどが母国日本に熱い思いを寄せる日
系1世、2世の高齢者の集まりであったが、そのなかに日伯両国家を斉唱するべく、松柏学
園・大志万学院の生徒26名の姿があった。その中の1人、大野真由美・リアナさんが、若人の
祝辞として流暢な日本語で、日本文化のすばらしさを述べた。小生と松柏学園との出会い
は、この時が始めてである。この会の新任会長は、元連邦議員、現、パラナ州日伯商工会
議所会頭、上野義雄アントニオ氏である。

 「日本会議」は、前身団体である「日本を守る国民会議」と「日本を守る会」とが統合
し、平成9年5月30日に、東京で結成された全国ネットワークの国民運動団体である。
上野氏は、「悠久なる歴史に育まれた伝統と文化を継承し、健全なる国民精神の交流を期
す」との綱領、「教育に日本の伝統的感性を取り戻し、祖国への誇りと愛情をもった青年
を育成する」との基本方針に共鳴を覚え、日本会儀に参加したのだという。また氏は、日
系移民92周年を迎えて「日系コロニア社会でも、日系人同志の協和意識が希薄になってき
ている」現状を憂え、日系人、日本人の特性である、優秀で勤勉な民族性がブラジルの政治。
経済界に大きく開花し、“21世紀の大国ブラジル”の早期実現に寄与することを願う」と
挨拶。

2、 松柏学園

 松柏学園、川村眞倫子園長は、ブラジル日本会議の副会長の1人である。日系2世だある
川村園長は、親族訪問の母親に連れられ、1940年、13歳のとき、一時帰国。ところが第二
次世界大戦が始まり、最後の汽船に乗りそびれ、日本の地で戦争を体験。自分の国籍、ブ
ラジルを隠して、ブラジルの敵国である日本の軍事工場で働くことを余儀なくされる。防
空壕でのあさましい体験、等、数々の残酷な体験をした彼女は、このような惨めな思いを
子供たちに及ぼしてはならないと、がブラジル帰国後、学園を設立し、日本文化と歴史を
伝えることに教育的使命感に燃えている。彼女は、ブラジル人は、日本人の根性に見習う
べきであり、日本人はブラジル人のおおらかさに学ぶべきであると言う。二つの世界をこ
よなく愛する彼女の情熱は、平和への願望と日本的伝統の美しさ、これを子供たちに伝え
たいという教育愛でると言えよう。松柏学園・大志万学園には、保育園・幼稚園、初等・
中等教育に学ぶ生徒、140名がいる。高校生は、隔年日本に、40日間来日し、日本文化と伝
統を学びながら、ブラジルについて反省する機会を与えられる。本年も1月15日、16名の
一行が来日し、東京、明治神宮会館で歓迎会が持たれた。当日は、歌のおばさん、安西愛子
先生を始め、100人ばかりの有識者がと集った。ここでも松柏学園の生徒代表が日本の印
象をスピーチ、日本でもう急速に失われ行く、日本的伝統を伊勢神宮や皇居参拝の体験を
感動的に語る高校生に、参加者も新しい感動を覚えているようだった。

  小生、この1月24日から「ブラジルにおける日本の国際協力の現状」調査のため、1
週間ほど、再びサンパウロへ出かけた。鳥取出身の本橋さんは、東山農場(三菱創設者、岩
崎家3代目当主、岩崎久弥による開拓事業の1つ)の3期生として、ブラジルへ移住した
方で、獣医である。現在は、魚の餌を供給するリベルダージュにある会社に勤務されてい
る。同じ鳥取出身の松本、JICAサンパウロ次長の運転で、本橋さんが元の古巣、東山農場
を案内して下さった。 記念館には、吉田茂、中曽根康弘、力道山、新珠三千代、越路、
古いものでは、島崎藤村等、多くの著名人のサインがあった。岩崎小弥太は、見渡す限り
のコーヒー園の小高い丘に一心亭という展望台を作り、ここでお茶やバーベキューを楽し
んだという。この本橋さんのお子さんが、いずれも松柏学園に通ったため、父兄として長
年、松柏学園をお世話されてきた。本橋さんの案内で松柏学園を訪問。あいにく川村園長
は日本から帰国されておらず、不在であったが、娘の真由実さん(校長)が、3つのキャ
ンパスを案内くださった。 いずれも普通の人家の借家であるが、今、に本会議の篤志家
の協力で、新校舎建築中である。 冬休みに期間中であるのも関わらず、24名の教職員
達は、生徒の教材作りに余念がない。

 嬉々とした表情から、園長の薫陶がよく伝わっていると感動した。
 2月8日、日本に帰国後、ブラジルへ帰国間じかの川村園長と再びお会いした。

 日本一と小生が、尊敬する、教育者をご紹介するためである。日本教育史を専攻され、
教育一筋に賭けてこられた先生は、この3月「人が育つ喜び」という本を出版される。先
生によれば、「教育は、時間をいくらかけたかではなく、魂のふれあいである。」と吉田
松陰、クラーク博士の例を挙げられる。弟子との出会いは、いずれも半年、1年に満たない
のである。

 松柏学園の発展に対して、何も出来ない無力な私であるが、せめて学校の発展を祈念し
たいと思う。


3、日本語圏の形成を

ある学校関係者から、ブラジルから日本へ一時訪問している日系人を紹介された。
   ブラジル柔道監督、会うなり、「日本人の国際化のためにぜひブラジルに日本文化を教える
   日伯学園を作るのを応援して欲しい」と依頼された。

  明電舎を始め日本企業のブラジルでの失敗は、日本人の国際化問題と深い関係がある。
  日系人の経験をぜひ後孫に伝えるために、、、以下省略