脚下照顧(無知の知)  PowewrPointスライド11枚   PDF(文章の解説7P 骨子(PDF1枚)

 2021222日午後1時半~40分 国際ズーム会議スピーチ  

 NPO法人未来構想戦略フォーラム/地球市民機構(市民国連)
 共同代表 大脇準一郎     *番号はスライド(PP)番号 計11枚

 

1,脚下照顧

いつの時代にあっても人類は、誰しも何らかの課題に直面し、危機を乗り切ってきた。
一昨年発生したコロナ禍を始め、環境破壊、経済格差、人権問題、戦争の脅威、等々、
これらの問題解決のために必死の努力をしている。

 人類は、今まで培ってきた経験と知識も然ることながら、「色即是空」から
「空即是色」、思いがけない解決のヒントが意外と身近な所で見つかるかもしれない。
「脚下照顧」と題したのは、そのような意味合いを込めたかったからである。


2,スピーチの概要

1)現代の課題とは?(ローマクラブから学ぶもの)  

2)何が問題なのか(⇒東西の存在観の相違)

「教科書を疑え」「ユニークなことをやれ!」
ニュートン、釈迦、人生の意義、異文化体験からの悟り

3)文明の危機と希望を求めて(事例)

     医療と平和  ②核エネルギー  ③農業

4) ニューコンセプトの創造(発明)

いくつかの事例

5)自らに学ぶ

     人体構造から学ぶ    ②人間生活の三側面

6)結びに代えて 

現代の課題

 1970年代初頭、「成長の限界」、「宇宙船地球号」が話題となった。197310月末、
第2回ローマクラブ会議が東京で開催された。30歳の若輩の小生も招待を受け、全日
(4日間)参加した。その中でいまだに印象深い発言がいくつかあった。一つは「現代の
様相は、自然科学の行き過ぎ、社会科学の怠慢、哲学の貧困、宗教が死んでしまった。

表現できる。」という発言であり、次には「科学技術の発展、新しい価値観の出現、

そして社会システムの改革が歴史発展の三つの動因である。」という発言であり、
次い
では、デニス・ガボール氏の「人間社会の発明」という造語を新鮮に感じた。
今回、
国際ズーム会議「平和・環境・健康はひとつ」を主催されている人間自然科
学研究所
理事長の小松昭夫氏は、小松電機産業株式会社の社長でもある。事業活動だけ
でも大変
であるのに、「面白く、愉快に、楽しく」を社是に、平和文化活動にも専念
してこられた。
ある著名な財団会長は小松社長と会うなり、開口一番「小松さんは俺より
も偉い。自分
で儲けたお金で文化活動をされているから。」とおっしゃっていた。

1960年代初頭の理工ブームの頃、小生は、電気工学科の大学生であった。実家が電機
会社・工場もあったこともあり、理工ブームの時流に乗っていた。人類的に見れば、
科学技術分野に頭脳が偏り過ぎてはいないか?「何のための科学技術の発展なのか?」
「確かに便利で豊かな社会にはなるであろう。しかし、その究極は平和な社会、人間の
幸せのための手段に過ぎないのではないか? 科学が発達すればするほど、人々は時
に追われ 、同じ屋根の下に暮らしていても互いに何を考えているか分からない。
人と人
の心の距離が益々遠のいている。そのような疑問を抱いて、清水の舞台から飛び
降りる
覚悟で方向転換を図り、若い仲間と共に夢中で走ってきた半生であった。小松
社長のよう
に二刀流をこなせなかったことは悔やまれる。

 1970年代から80年代にかけて、「科学の統一に関する国際会議(ICUS)」日本事務
局長をしていた関係で、毎年のようにA.ペッチェイ、A.キング、A.ラズロー博士らに
お会いした。ローマクラブは人類の目標・使命を掲げて世界の有識者を束ね、活発な
活動を展開した。知的ビジョンを描くだけではなく、これを実現するのは教育である
し、その担い手としてNGOに期待を寄せた。国の立法機関、国会に上院と下院と
ある
のに、国連は国益の代表者で構成される下院しかない。目先の利害を超えて、
大所、
高所から論ずる上院が必要であるという理念のもとに国連改革にも取り組んだ。

現今の国際諸国や世界の課題も「省益(社益)あって国益なし」と云われる状況と 同様、
全体を見る視点と頭脳が無くて、それぞれの器官、細胞が勝手にうごめいて
いるような
現状である。なんと無駄の多い政治体制であることであろうか?
 

4,東西の存在観の相違

現代の諸問題の根底に、見方の違い、パーセプションギャップがある。小生がこのことに
気が付いたのは以下の異文化体験を通してであった。

20歳から40歳の20年間は、世界平和と真の幸福を求めて実践した期間であった。
42歳になって米国の大学院で神学・哲学を勉強した。「若いうちに旅をせよ!」と言
われるように、年をとれば取るほど、頭が固くなり、環境に適応するのに苦労した。

米国滞在4年間の前半は、都合が悪いことが起こると、「これだからアメリカはダメだ!」
と日本的価値観に基づいてアメリカ人を批判することが多かった。しかし、3年目位から、
小生が良かれと思って言ったことが米国人を痛く傷つけるカルチャーショックを幾度か
体験する内に、米国人の良さと逆に日本人の欠陥も見えてきた。ハワイ大イーストウエスト
センター吉川宗男教授らの指導を受けながら、日・韓・米の比較文化論も何とかまとめる
ことができた。年を取ってからの文科系の理解は相当の重荷であった。特に哲学・神学に
出てくる固有名詞は、原語、日本語、英語それぞれスペルも異なるので大変苦労した。

正に悪戦苦闘の4年間であった。ここで悟ったことは、「東西の存在観の相違」であった。
我々東洋人は「存在とは関係性(連体)である。」と見る。西欧人は環境を捨象した個体と
見る。例えば「人間」と言えば、東洋では読んで字のごとく、関係性が主体で家庭において
も個、個人の家庭の中の役割、「お父さん、お母さん、お兄さん」と呼ぶ。西欧では家庭に
あっては、たとい父親であっても「John、メアリー」等、ファーストネームで呼ぶのには
カルチャーショックを覚える日本人も多い。国家観、世界観においても西欧では個の集まり
が全体を意味することが通常である。神学上の難問題、三位一体論、キリスト論、哲学上の
唯物論、唯心論、事実と価値の分離の問題等、西欧の知的伝統(ABか?)に則って探究
すれば迷路に陥る。しかしこれを東洋人の目(AもBも、関係性)で見れば、
簡単に難問も
解けることを発見した。(貢献できる東洋的思考

以下、西欧的近代のパラダイムの行き詰まり、東洋的パラダイムの導入による、東西文明
融合、新しい文明の兆候の例を見て見よう!

5,文明の危機と希望1:医療の例)

われわれは今、コロナの猛襲に対して応戦に苦慮している。2019年現在、世界では11,526
万人がコロナに感染し、257万人が死亡。他方、がんは、年間1,810万人ががんに冒され、
960万人が死亡している。(日本では101.2万人のがん患者、37.9万人のがんの死者)。

現在施行されているがん治療法はがんを敵視し、これを根絶しようとする西欧近代治療
である。がんを摘出手術、制癌剤で抑えるか放射線で焼き殺す西欧近代医療はお金が
かかる
ばかりでは無く、母体の自然治癒能力を弱体化させ、本来治るべき患者も復元力を
失わせ、
死に追いやっている。
画像診断でがんであると判明してから治療を始める病理学的結果対応
ではすでに遅い。
未病医学(予防医学)が普及しつつある・将来は、東西を融合した健康医学
の出現が待望
されている。『がんの正体がわかった』(小林常雄著)では、「がんは細胞の
原型ミトコンド
リアが不規則な生活習慣の影響を受け、異常な状態にあり、これを元の状態
に復元しようと
発熱、食欲不振、倦怠感等が生じている。不規則な生活習慣を改め、不足が
ちなビタミン
A,C,D等を補えば元に復元する。病気を治すのは本人の自然治癒能力であって、
薬や医者は
そのための補助に過ぎない。一度がんにかかれば免疫性が高まり、2度とガンに
罹り難く
なる。」と言っている。

 未だに堪えない紛争や戦争、こん棒や竹やり程度なら、けがで済んだであろうか、道具を
使う人(ホモ・ファーベル)は武器を発達させ、核兵器、生物兵器、科学兵器まで
出現し、
人類の生存のみならず、地球星の存在さえ危うくなっている。

第2次大戦中『最終戦争論』が出たが、軍事史的に見て、今や武器による戦争はできない
時代に突入している。ガンを悪性腫瘍であると敵視し、これをせん滅する、制癌剤、
放射線
治療、外科手術等、母体の危険を伴う唯物的科学的荒療治から、ガンと友として
共生し、
これを生かし切る唯心的ホリスティックな母体に優しい融合医療へと向かって
いるように、
戦争と平和においても新しい視点が必要とされている。

6,文明の危機と希望(2:核エネルギーの例)

星が夜空に輝くのは核融合の力である。(注)。第二次世界大戦末期、人類はこの核
エネルギーの扉を開けてしまった。安全性を度外視して破壊力最大の武器の開発が緊急で
あった。亡命ユダ人学者達はF.ルーズベルト大統領に熱心に嘆願した。古今
未曽有のマン
ハッタン計画が立ちあがり、原爆は完成した。ヒットラーの世界制覇
の野望を挫くためで
あったとは言え、「パンドラの箱」を開けてしまった。その後、
次々に人類に災難が降り
かかって来た。最初に原子力の火を灯したU.ウィグナー
博士や軽水原子炉を完成したA.
インバーグ博士も口を揃えて、トリウム熔融塩炉を
推奨した。原理的に絶対に事故は起こり
得ない、核兵器にはなり得ない、今、処理に
困っているプルトニウムを再燃焼して焼却でき
るからであった。安全性、核兵器廃絶、
プルトニウム処理でどれを見ても国家を挙げて取り
組むに値する一大プロジェックト
である。(「トリウム原発は第3の道と成りうるか?  
核融合へ至る中間エネルギーとして、U. ウィグナー(原子炉)博士やA. ワインバーグ

(軽水炉)博士が推奨したトリウム熔融塩炉発電に注目されたい。

7,文明の危機と希望3:農業の例)

 近年、大農法の発展と相まって、大量の化学肥料が用いられた。害虫や雑草を駆除し食物
増産のためであった。有害物質が植物を通して人体に影響し、新たな病気の温床となった。

小生の郷里、鳥取県の八頭町で30年も前から有機農業を手掛け、農協に頼らず農場を経営
している後輩がいる。また最近、同じ町内の大江之郷では鶏を放牧し、「天美卵」という
本一おいしい卵を生産している。さらに自然豊かな場所にレストランやホテルを建て、
一大
観光スポットになっている。過疎化する田舎に200人近い若者が嬉々として働いて
いる。
これらの例は、自然と共に生きる、おいしいものを作ることが農の原点でることを
教えている。
「農の源流を求めてー有機農業:山陰への旅 国際農業アカデミー設立構想
 

8,ニューコンセプトの発明

先にNo5~7で3つの事例を取り上げた。医療、核エネルギー、農業、いずれにも共通
するのは、分ける(科学)ことにより環境を捨象し、個物に集中するあまり、全体像を
見失っていること、勝つか負けるか対象を敵視し撲滅しようとする。 その弊害と
して
母体の衰退、地球環境の破壊を招いている。西欧的荒療治には、即効性はある
ものの弊害
も多いことが明白になって来た。今、必要なことは西欧的唯物的科学的
アプローチと東洋
的ホリスティック唯心的アプローチを融合した第3の道を生み出
すことである。

 文明的危機の本質は、既存のパラダイムの行き詰まりであり、必要なことは新しい
パラダイムの創造である。歴史を振り返れば、新しい発想(ニューコンセプト)が時代
の行き詰まりを打開してきた。今日も、現代の危機を乗り切る知恵の萌芽が各所に
見ら
れる。

1)成長の限界、宇宙船地球号、地球交響曲、人類一家族

2)愛敵、慈悲、仁、「恨みに対して徳を以てす」、怨讐の彼方に、勝敗超克の思想

3)平和の事業化、世界平和への積極的国家戦略

)ボランティア経済の時代、国際ボランティア制度の国策化

5)『愛と恐怖の経済』、経済学は人間学の一部、経済の循環性、新しい経済学の胎動 

)所有:個人所有と共同所有(株式、国有・・・・)領土問題、
  政党:右翼・左翼、中道

7〉分度と推譲、和道(恩田杢)、和譲
 

9,自らに学ぶ(人間 未知なるもの1)

1)    人体構造(個体)と文明

人間のいかなる試みも、最も身近な人体構造にも及ばない。文化・文明は人間(原型)
の投影に過ぎない。最も身近な集団から国会、国連に至るまで、民を忘れた私利・私欲
党利・党略が徘徊している。地獄絵図のような世間にあっても、人体は、右手と左手が
喧嘩かをするのか? 60兆をこえる人体細胞は一糸乱れぬつながりを持っている。
細胞一つの痛みも全身の痛みとして瞬時に伝わり、全力で治そうと働く。 動脈・静脈、
栄養の吸収と排泄、またその循環が永続を確かなものとする。血液の循環と神経の働き
は、交通網と通信網の発達と相似する。携帯電話は半世紀足らずで世界の隅々にまで
行き渡り、アフリカの奥地の老人さえ持っている時代。単に受信さるだけではなく、
発信もできる時代、科学はバラバラであった人類を有機的存在として繋いでくれつつ
ある。
 数々の脅威も、新しい生命を生みだす陣痛のようにさえ思える。いずれ人類は結構な
五体、満面の笑みを浮かべた赤ん坊のように健全な社会、地球環境を取り戻す時が近い
と予感される。人類の難問題解決の秘訣は身近な自分(人体構造の秘密)に学ぶことに
ある。忙しい」から「悟り」へと「脚下照顧」を教えているように思われる。

  そのいくつかの事例を見てみよう!
  南北問題(貧富の格差)は、益々広がっている。それぞれの所有をリセットして,人体
 構造に学ぶほかはあるまい。一兆と言われる細胞が頭脳と結ばれ、一部の痛みを全身
 痛みとして捉え、復旧するのに全力を傾けている。待てる者が出し愛しみして、経
済の
 循環を止める。
餓死する人も年間4,000万人も出して平気でいる。人殺しの兵器を作って
 金儲けを
して良心の痛みを覚えない軍事産業に狂奔する人々は猶更である。ただ、最近、
 著名
な投資家たちが軍事産業から平和産業投資へ関心を寄せつつあるのは希望の兆し言えよう

国家や世界から家庭、個人に至るまで経済に頭を痛めている。アダム・スミスも国富論
で「Other things being equal」と、くどいくらに繰り返している。今日の経済の行き詰
りは、ホリスティックなアプローチを欠いた科学(個別)主義の弊害である。経済学
は人
間学の一部に過ぎないとの原点に返るべきであろう。景気を刺激しようとケインズ
主義者
は消費に注目し、公共事業を増やし政府の財政出動をする。マネタリストは貨幣
の流通に
注目し、貨幣量を一定に保ちながら、市場経済の自立性に期待する。サプライ
サイドエコ
ノミストは、生産に注目し、企業が活動をしやすいように、便宜を図ろうと
する。企業の
生産活動が活発になれば、経済が活性化すると考える。生産と分配と消費、
貯蓄はいずれ
も経済政策の重要な要素であるが、大切なのは全体のバランスである。

このことは人体において肺を中心とする消費、心臓を中心とした循環、胃を中心とした
生産体制、肝臓を中心とした貯蓄、いずれか一つでは健康を維持するのに十分ではない。
すべからく、人体の働きに学ぶべきであろう!

 T.ベブレンは経済と人体モデルとの相関性を指摘した。K.ボールディングの「愛と恐怖
の経済」三橋貴明勇気ある氏、高橋洋氏らの従来の経済学の枠を超えた新しい
試みに期待
したい。

如何に、経済体制が機能しても国民が活力を失い、希望もなく団結力を失えば経済
衰退する。人体において各器官が如何に機能しても生命力が衰退すれば健康が望め
ない
と同様である。経済学は人間活動の一部をとらえたに過ぎない。既存の経済政策は、

化施策との関連性が欠落している。国民が「よし、やるぞ!」と元気の出るような
文化
政策と一体でなければならない。人間は単なる物のではなく、心を持った精神的
存在で
もあるからである。


 政治の世界、日本の与・野党の国会答弁を見ても、野党は与党の欠陥を論うばかりで、
与党も含め何のための政治なのか、共に国家や世界の為に何を為すなすべきか?
一旦、
積み重ねた知識や経験は置いて、虚心坦懐、人体構造に秘められた叡智に学ぶ
ことを
お薦めする。
 

10,自らに学ぶ(人間 未知なるもの2)

人間は個体であると同時に関係的存在(連体)である。

2)人間生活(関係性)の三つ側面を見て見よう。(注M. ブーバ )

    自然生活

人類は火の発見と道具を使う知恵の獲得により自然を利用してきた。科学技術の発展は
便利で、豊かな生活をもたらした半面、環境破壊、資源の枯渇、富の偏在、人間性の枯
渇を齎している。科学技術は益々発展する。しかし、科学技術は道具に過ぎない。

「何のための科学なのか?」その目的の認識が極めて重要である。戦争のための科学
から平和への科学へ、人間の精神を空洞化させる科学から精神の充実を助ける科学へ、
富の平準化をもたらす科学、社会的規制も必要である。

     社会生活

社会システムの発達:法、国民風土、世界的良心、民主主義か?社会主義か?
第3の道は?

 人間は社会的動物であるといわれるように、人と人の関係性に生きている。米国で長年、
 臨床医として活躍している医師によれば、人の幸福感は実に60%以上は人間関係が占め
 ているという。社会生活を平和に麗しく過ごすために、風俗、習慣、伝統文化が
生まれ、
 法的規制も確立されてきた。今、人類は個人、家庭、氏族、部族、民族から、
未だ国家
 間の争いの渦中にあり、民主、社会両陣営の覇権争いを経て、一つの世界、
頭脳の命令が
 1兆の細胞と結ばれるように、世界一家族、恒久平和実現の一歩手間にある。

  核廃絶の機運の高まり、コロナの急襲は、それを加速化させる天の声と言えるかも知れない。
 つい最近まで、一つの国の中で、また、国家間で、領土争いを続け、人命や資財を費やしきた。
 先人達の犠牲、艱難辛苦を想うにつけ、「愛の効果においては時代を超えて平等である。」

 「どのような艱難でも、それとどう向き合い、どのように生きたか?その生き方が大切である」
 と痛感するこの頃である。

   精神生活

  知情意(真美善)、愛の探究と実現、内観法、精神文化の発達。

 科学技術の行き過ぎは、人の生活の三側面にいろんな歪みを垂らしてきた。20世紀初頭、
 多くの文明論者が警告した通りである。科学の発展は、世界を結び、人や物の移動を容易
 にした。コロナ禍は一地域で発生したコロナがたちまち世界へ広がり、深刻な
人類的危機
 に至っている。これは科学の発達の負の面であり、人類は物の世界から
精神世界へと再び
 シフトすることを迫られている。物や人を多量に動員した科学の
時代から、情報をネット
 でつなぎ、勤務先の事務所に所在しなくても、仕事が出来る
在宅の時代へと移行している。
 心の中で価値創造することは、ほとんど資源を浪費し
ない。これから精神生活が重視され
 る時代となることであろう。

11,結びに名言の紹介をもって、結びしたい。)

「宇宙の究極の力は愛」  A.アインシュタイン

すべての宗教芸術科学は同じ一つの木の枝である。同上

包括的教育が必要   A.トインビー

「ネットワーク」     R.ミュラー

「情熱・責任感・決断」  M.ウェーバー

・「自由・責任・勇気」   安藤忠雄