「第6回科学の統一に関する国際会議」に思う  

                                 大脇 準一郎 


 「科学的知識の理論的要請と実用化との双方を導く価値基準を求めなければ、
科学的知識は自己崩壊する以外にない」
との文明的認識の下に諸科学を導く諸価値
の一致化を求めるべく、このほど(1977年11月)米国のサンフランシスコで「第六回
科学の統一に関する国際会議」
が開催された。七人のノーベル賞学者をはじめ、
集まった四百数十人の科学者はいずれも各分野を代表する各国の著名なる科
学者ばかりである。 そこで今会議の傾向を述べよう。

 ①理化学の分野では科学の限界性の認識。科学、応用科学、科学技術の境界と
   社会的責任との関係。全体としての宇宙の考察が討議され、心と体の問題は
   物理化学と生理学の両面から脳の構造を中心に論じられた。

 ②理学、植物学、動物学を含め人間生活を主に医学的側面からアプローチする
  ライフサイエンスの分野では「DNA研究と倫理」の相克問題が論じられたが、
  今年はグローバルな問題としての健康管理の問題により多くの時間が費やされ
  た。

 ③社会科学の分野ではまずテレビや人工衛星などのマス・メディアの発達が国際
  コミュニケーションにもたらす諸影響について、おもに発展途上国の例を中心
  に論じられ、マス・メディアの発達と暴力の抑制との関係が先進国の例を中心
  に論じられた。

 ④宗教、哲学の分野では、エネルギー危機のあらわれのなか厳密の学問としての
  哲学からエコロジー的発想による社会問題の解決の方向が指摘されるのが目立っ
  た。昨年と同じく「近代化への諸宗教の対応比較」のセッションは世界宗教の
  勉強会、悪くいえば現実から逃避した学者のお遊びであった。「宗教と社会」
  「宗教と科学」のセッションでも社会問題へ対応する宗教学あるいは神学的基
  礎確立への努力は認めるとしても、もっと現実そのものに完全投入して、状況
  の中からリアルな問題意識を把握することが必要なようだ。

 ①、②において、あらゆる形面下的レベルで分析しても問題が残り、ついにその
 問題の満足のいく解釈をめぐって、④の神を仮説する科学者と、そうすれば全て
 終わりだとしてあくまでそれ以外のあらゆる仮説を試みて自らの携わる科学に
 しがみつく科学者との白熱した論議が見られた。 このように諸科学の探究に
 よって、現実に起こっている諸問題の本質がだんだんと解明されつつあるわけ
 であるが、このような問題に対して真っ正面から自分の問題として取り組むこ
 とを宗教人に期待したい。残念ながら「自然科学者の行き過ぎ、社会科学者
 の怠惰、哲学者の居眠り、宗教が死んでしまった」との印象は今回の会議
 でも拭うことができなかった。


参考:

「第10回ICUS準備会」 1981.10.9 ニューオオタニ

「事実を価値と区別することから始める科学的政策決定」

「事実」と「価値判断」

人類平和と価値の探求」(共栄出版 1983, 350頁,)
  (第9回科学の統一に関する国際会議報告書日本語版)

『科学と人類の未来』第8回科学の統一に関する国際会議日本委員会編、共栄出版)

ワインバーグ博士について

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