永久平和への道
 
   「個人における平和」が出発点

 既に皆様が御存知のように、世界が日ごとに混乱すればするほど、人類はますます
平和を渇望するようになります。では、平和は如何にして達成されるのでしょうか。
今日の世界において、秩序性は既に破壊されて久しいのです。したがって、平和の確
立とは、その秩序を回復することを意味します。秩序を回復するためには、主体と対
象が各自の位置を見い出し、さらに相互間の統一された関係を樹立しなければなりま
せん。

 平和が望まれているのは、世界的次元だけではありません。平和は国家、社会、家庭
といった次元でも望まれています。人間一人ひとりも同様に、自己の精神と肉体との間
における平和を切望するではありませんか。

 平和に関するこれらの次元のうち、どの次元の平和が最初に確立されるべきでしょう
か。「もし世界平和が最初に碓立されたならば、その基盤の上に諸国家から社会、家庭、
個人に至るまで、おのずと平和が確定するだろう」と考えるのは容易です。

 しかし、これは間違った見解です。実際のところ、平和を確立するために必要な経過
は、全く逆なのです。「個人における平和」が最初に実現されなければなりません。そう
すれば直ちに、家庭の平和がその後に続くはずです。そして個人と家庭の平和の基盤
の上にのみ、社会と国家とせ界の平和が期待され得るのです。なぜなら、個人は家庭
という単位の基礎であり、家庭は社会および国家の基礎となる単位だからです。


  愛の実践による秩序の回復

 指導者たちは「社会と世界の平和、秩序を回復することは、素晴しい機構と優秀な思
想を通して可能となる」と信しています。しかしながら、人類平和は、これらの手段だけ
では決して実現されません。国際連合という機構や、共産主義、民主主義などの思想
体系は、それぞれ独自の方法で世界平和の実現を計ってきました。しかし、平和は依
然として、私たちの及びもつかないところにあり、今や世界はますます混乱の中に陥り
つつあるのです。

 個人における平和から始まらなければ、その実現はどれほど時間を費しても、必ず失
敗するようになっているのです。では、個人の平和はいかにして達成されるのでしょう
か。それは、各個人が絶対的な愛を持ち、その愛を実践することによって達成されるの
です。これは真実です。というのも、愛はすべての統一の前提条件であるからです。統一
は愛という基礎の上にこそ可能であるし。平和は統一という基礎の上に確立されるのです。

 愛には、相対的愛と絶対的愛とが存在します。相対的愛は、所与の時間と空間に応じ
て変化しますが、絶対的愛は不変であり普遍的です。相対的愛は自己を中心としてい
るので、その時の利害に応じて変化します。一方、絶対的愛は、いつも他人の利益の
ために存在し全体に奉仕しますから、それは不変です。絶対的愛は、絶対者の愛に
他なりません。したがって、その愛は神の愛であるに違いないのです。


  絶対的愛は他の利益のために

 相対的愛によっては、統一は決して達成されません。統一が可能となるのは絶対的
愛によってのみなるのです。一個人の精神と肉体は、絶対的愛によってのみ統一が可
能なのです。その時に、平穏、喜び、満足といった感情や「自分は価値あり」との自覚が
体験できるのです。平和のための標準は、以上のような個人からのみ抽出されます。

 ある家族の親子、夫婦、兄弟姉妹が各自の立場で絶対的愛を実践するならば、その
家庭の統一が達成されます。その家庭は幸福と調和、そして何よりも平和に満ちあふ
れるでしょう。
 このような平和な家庭によって構成される社会は、平和な社会であるでしょう。社会の
内の家庭が調和的であり、社会の構成員が互いに助け合うなら、社会は間違いなく明
朗かつ平和であるでしょう。そこには秩序が確立され統一が獲得されるでしょう。

 このような平和な社会によって構成される国家はどうでしょうか。確実に平和国家とな
るでしょう。ただ、国家は単に社会の集合体ではありません。国家は、愛の個人と愛の
家庭に基づき構成された有機的組織なのです。その内部では、完全な秩序と統一が確
立されていなければなりません。それでこそ真の、国家的平和が実現するのです。

 言葉を代えると、国家であっても、平和を実現し維持するためには、神の愛を必要と
すると言えるでしょう。国家の基礎である家庭が絶対的愛=神の愛を中心として結ばれ
ていたとしても、有機体としての国家も、国民的次元における絶対的愛を実践すること
ができなければ、国家の平和は成り立ちません。政府と国民は内的に一体化し、外的
には隣接諸国家との一体化を成すべきです。そうすることによって、真の平和が実現
されるのです。

 言うまでもなく。世界平和はすべての国家の平和の上に訪れるものです。いわゆる国
家利益を確保する方向に貿易や他の手段の照準を合わせるといったことを止める時…
…あるいは各国が他の国々に対して絶対的愛によって奉仕し始める時……さらに各国
がこのような国際的雰囲気を一貫して維持する時……このような時には、人類の恒久
平和は保障されることでしょう。
 

  真善美の価値形成は神の愛から

 ここで私は、絶対的愛と絶対的価値について述べたいと思います。真善美の価値が
形成されるのは、愛という基礎の上においてであります。たとえば、愛の実践は善として
評価されます。すなわち、神の愛である絶対的愛を実践する時、絶対的善が現われる
ということになります。平和のために絶対的愛を実践する個人の行為は善であります。
家庭、社会、国家についても同様です。
 言い替えますと。平和を実現するためには、個人や家庭、社会、国家および世界は、
絶対的真善美としての絶対的価値をすべて実現しなければなりません。絶対的善の実
現は、最も緊急に要請されています。なぜなら、絶対的善が実践されたら、いかなる自
己中心的な要素も、秩序を乱し破壊することはあり得ないからです。

 真善美の精神的価値は、愛という基礎の上にのみ形成されるので、神の愛を知るこ
となくしては絶対的真善美は実現不可能です。これらの絶対的価値が実現されないと
ころには、真の平和は存在し得ないのです。

 真の人類平和のためには、絶対的愛が実践されなければなりません。また実践され
る以前に、絶対的愛とは何であるかを理解する必要があります。「絶対的愛とは、他人
の利益のために行動し、他人に奉仕する愛であり、それは永遠かつ普遍的である」と
説明することができます。ではなぜ、絶対的愛は全体に奉仕し不変のままに維持され
るのでしょうか。そして、何故に「平和は愛を通じてのみ実現される」と言えるのでしょう
か。


  創造の動機と目的を知ること

 その答が必要です。しかし、これらの疑問が完全に解かれるためには、絶対者の存在
と、絶対者が宇宙と人類を創造した動機と目的、この二つがまず明らかにされなければ
なりません。如何なる計画といえども(絶対者による創造は、この範疇に属する。 それ
が実行に移される前には、明確な目的がまず存在しなければなりません。目的のない
如何なる行為も無意味であります。

 もし、人類が絶対者によって創造され、絶対者の愛の実践を予定されているとするな
ら、人間の創造に対して、何らかの動機と目的が存在していることは確実です。その動
機と目的が明確にされるためには、絶対者、すなわち神に関する正確な概念が確立さ
れなければなりません。正確な神概念のもとで、創造をめぐる神の動機と目的が明確
にされるでしょう。そして、当然のことながら「平和を実現するためには、なぜ絶対者の
愛が実践されなければならないのか」という理由も明らかにされるはずです。

 以上のように、真実の意味における人類平和のために、すなわち、私たちが絶対者
の愛を実践し。最終的には絶対者の絶対的価値を実現するためには、絶対者を正確
に理解することが必要なのであります。

                   国際文化財団 創設者   文 鮮明

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