『永遠の空知覧特攻早春賦』

  〈あらすじ〉
昭和20年3月。 米軍が沖縄に上陸作戦を開始した第2次世界大戦末期。
特攻隊に志願した陸軍兵朝倉正雄・少尉と許婚岡田香奈子の恋愛を軸に、
それを取り巻く特攻隊員達と女子挺身隊、その家族の物語。
場所は鹿児島 知覧飛行場の三角兵舎。出撃を前にして再会した朝倉と香奈子。
自分の死が無駄になるのかと悩む朝倉・・・。
「天皇陛下万歳」と言って死ぬ事が自分の生きる証と信じる若い特攻隊員。
彼らの出撃までの特攻に行く事への苦悶、
出撃前に見せる神のような笑顔、 その狭間で揺れ動く彼らの心情を
一つの青春という形で舞台化します。  

場所:〈劇場〉新宿村http://www.shinjukumura-live.com

日時: 2016年6月29日(水)~7月3日(日)
  

29日(水)14:00~   19:00~
30日(木)14:00~   19:00~
1日(金) 14:00~   19:00~
2日(土) 14:00~  19:00~
3日(日) 12:00~   17:00~

*昼と夜の部合計10回の公演です。


●前売プレミアム最前列指定券1列~2列6,300円(事前振込のみ)
●稽古見学付きプレミアム前売券(自由席)

  6,300円(事前振込のみ)  ※稽古見学の日程は後日発表!
(一部キャストを除き、見学時にお気に入りの キャストとのチェキ付き)

原作: 米倉秀一 「知覧特攻早春賦」より
脚本・演出: 抱晴彦 主催・企画・制作: 株式会社グスタフ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

一般社団法人 静岡県人会 5月28日 14:25・ .

舞台『永遠の空 知覧特攻早春賦』観劇のお誘い

青葉が瑞々しいこの頃、 皆様におかれましてはますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
この度、6月29日から7月3日までの5日間、新宿にて舞台『永遠の空?知覧特攻早春賦』
を公演いたします。 第二次世界大戦時の特攻隊と挺身隊を描いた作品です。

私は物心ついた頃から祖母に戦争の話をしてもらいました。 勿論、体験者ではない自分が、
戦争の悲劇や当時を生きていた方々の心を伝えるには大きな隔たりがあると重々承知して
おります。それでも少しでも多くの方々にご観劇していただき、 繰り返してはならぬ悲劇を
伝えたい所存です。

そして今年8月、大阪公演を皮切りに特攻隊のお芝居を全国でさせていただきます。
静岡公演も予定しております。jun10cky@gmail.com (井央 倫)
万緑の候、皆様の健康と平和をお祈り申し上げます。

知覧特攻平和会館

当サイトは、鹿児島県南九州市にある知覧特攻平和会館の公式サイトです。大東亜 戦争(戦後は太平洋戦争ともいう。)末期の沖縄戦において特攻という人類史上類の ない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の 遺品や ...

縄での陸軍による航空特攻作戦は、米軍主力が沖縄南西にある慶良間(けらま)列島に上陸した1945年(昭和20年)3月26日から始まりました。特攻作戦とは、重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈める、パイロットは必ず" 死ぬ・亡くなる" という『必死』条件の作戦でした。

 特攻作戦には、知覧基地を始め、宮崎県の都城など九州の各地、そして当時日本が統治していた台湾など多くの基地から出撃していますが、知覧基地が本土最南端だったということもあり最も多く、全特攻戦死者1, 036名のうち、439名(中継基地となった徳之島・喜界島を含む)、全員の半数近くが知覧基地から出撃しています。

特攻作戦に至る経緯

 第二次世界大戦は、1941年(昭和16年)12月8日、ハワイの オアフ島真珠湾にあるアメリカ海軍基地への奇襲攻撃によって開始されました。 日本の陸・海軍主力は、真珠湾攻撃の後、東南アジアに進攻しました。先に述べたように、当時東南アジアのほとんどの国々が欧米列強の植民地となっており、現地守備隊しか残っていなかったこともあって、奇襲攻撃が成功し瞬く間にオーストラリア北側の線まで進出しました。

 ところが、1942年(昭和17年)8月になるとアメリカを中心とする連合軍が態勢を回復し反撃に転じました。その後の日本軍は連合軍の強大な戦力に押され防戦一方になり、開戦から3年後の1945年(昭和20年)初頭になると、沖縄はもちろん日本本土も空襲を受けるようになりました。特に1945年(昭和20年)5月7日、同盟国であったドイツが降伏すると、連合軍の攻勢は日本だけに集中するようになり、日本全土が苦戦を強いられるようになったのです。

 当時、日本政府は沖縄を本土の最前線と考えていましたので、その最前線を守るために採られたのが、特攻作戦でした。

 この段階では、圧倒的な物的戦闘力に勝るアメリカの進攻を阻止する日本軍としては、兵士一人一人の精神力を武器とした特攻戦法しか他に手段がないとの結論に達したのでした。

 つまり、日本の軍人が命を懸けた特攻を重ねることで、アメリカ軍にも大きな被害を与え、そうなると嫌戦気運(戦争を嫌がる気持ち)が広がっていき、お互いに損害を出したくないから、そのうち停戦になるのではないか・・・という期待を、政府はしていたのではないでしょうか。

航空特攻作戦の概要
 本格的な特攻作戦は、陸海軍共同で4月6日第1次総攻撃として始まり、7月19日第11次総攻撃の終了まで続きました。 特攻部隊のうち、九州から出撃した部隊は" 振武隊(しんぶたい)"、台湾から出撃した部隊は" 誠飛行隊(まことひこうたい)" と呼称しています。 3月26日開始された慶良間(けらま)列島海域への特攻作戦は、沖縄本島・石垣島・宮古島から出撃しましたが、4月1日沖縄本島に上陸後は、九州及び台湾から出撃するようになりました。
特攻戦没者1036名、知覧からの出撃者436名