令嬢『ジュリー』 20112.12.15
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令嬢ジュリー Julie 作曲:Philippe Boesmans (ブスマンス 1936〜)
内容:スェーデンのストックホルム生まれの多作家J.A Strindberg(1849〜1912)の映画にもなった同名の戯曲を
もとに、演出家L.BondyとM.L Bischofbergerが台本を書き、モネ劇場の作曲家Boesmansが作曲したもの。男女の
葛藤、身分階級の葛藤、家族内の問題をテーマにしたもので、原作には「自然主義悲劇」という副題がついている。
世界初演。1幕 ドイツ語
伯爵令嬢ジュリー25歳は、2週間前に正式な婚約が壊れたばかりで、聖ヨハネの祝日の前夜祭(夏至の夜)、
伯爵の留守に納屋で使用人達と祭りのダンスを踊っている。彼女は、伯爵の下男で料理女のクリスティン35歳の
許婚である魅力的なジャン30歳を「祭りの夜には身分を捨てるの」とダンスに誘い、クリスティンが居眠りする間に
ジュリーは少しずつ彼を誘惑する。「私は身分を降りてゆく」と言う彼女を、最初は少しいましめるが、ジャンは「自分
は暗い森の木の下にいて、高い梢の黄金の卵を手にしたいと思って登るが届かないという夢を見る」と話し、「子供の
頃、貴方に恋をして、貴方はいわば生まれついたこの貧乏人の境遇からは抜け出る望みはないという事の象徴の
ようなものだった」と言う。「湖でボートを漕いで頂戴」と言うジュリーに、彼は「伯爵に追い出されたくないし、
クリスティンに対しても責任がある。貴方自身の為にももう休みなさい」と言うが、そこへ他の使用人達が2人の
事を陰口にした歌を歌いながらジャンを探しにやって来るので、彼はジュリーに彼の部屋へ逃げるよう言う。
彼女は部屋に入り、ジャンもその後を追う。
一変して出世欲のある本性が出たジャンは、「伯爵が帰る前に2人でここを出て、スイスのコモ湖に行きホテルを
経営しよう。金はあるか?」と言うが、ジュリーは「私を貴方に惹きつけたあの力は何だったのだろう。愛だったの
だろうか?」と自分のした事に苦しむ。「香水の匂いのするハンカチは汚れていた。今迄せっかく手に入れようと
努力してきたものが、それ程高尚なものではないという事が分かった」と言うジャン。ジュリーはワインを飲み
ながら「私の母親は貴族ではなく、男女同権と言われた時代の教育を受けたので、使用人達にも男女逆の
仕事をさせて領地は荒れ放題になってしまい、それを父が改革した。母は病気になって、放火して家を再築
するお金を、母親が出資していた愛人に出させる事によって父に復讐したの。何も知らない私は母の味方を
して男への不信を母から教わった」と話す。2人にはもはや何の共通項もなく心が通い合わない。どうしたら
よいか分からなくなったジュリーに、ジャンは「バレてしまう前に1人で旅に出なさい」と言い、彼女は旅支度を
する為に部屋へ行く。
そこへ、教会に行く支度でクリスティンが来て、「一緒に行く約束だったろう」とジャンの面倒を見るが、そこに
あったワイングラスを見て、ジュリーとの間に何があったか分かり、「私はここを出てゆく。あんたも役所の仕事で
もさがして」と言うが、ジャンは、「俺はもっと出世したい」と言う。クリスティンが恐ろしい事だと呟きながら部屋に
行くと、ジャンが合図して旅支度のジュリーが入ってくる。「お金は準備したからどうか一緒に来て」と言う彼女に
ジャンは承諾するが、ジュリーが持ってきた飼い鳥は連れて行けないと殺してしまう。血を見たジュリーは気が
おかしくなり「私は行かない。お父様が帰ってくる。そして引き出しが壊されてお金がなくなっている事に気づく。
警察が来る…。」とうわごとを言う。入って来たクリスティンにすがって助けを求めるが、クリスティンは冷たく
「そんな事にはかかわりたくない。ただジャンと駆け落ちする事だけははっきり止めていただく」と言う。ジュリーは、
3人で外国に行ってホテルを経営しようと途切れ途切れに彼女を誘い、その横でジャンが髭を剃りながらうなずくが、
クリスティンに「お嬢様は本当にそんな事を信じているのか?」と尋ねられて崩れるように座り込む。「お前さんが
仕組んだ事なのか?」と詰め寄るクリステインと言い争うジャン。クリスティンは「教会に行ってお前さんの分もお赦しを
頂いてくる。イエス様はあの方を信じ、悔い改めの心を持っておすがりすれば、罪を引き受けて下さる」と言い、「貴方
のように信仰が持てたら!」と言うジュリーに、「神は人によって差別はしないし、金持ちが天国に行くよりも駱駝が
針の穴を通るほうが易しいとも言いましょう」と言って1人教会へと出て行く。「どうしたらお終いになるの?」とジュリー
は剃刀を取り上げて“死しかないか?”とジャンに素振りで問うと、彼は「しかし、私は男だからしません」と言う。
下男を呼ぶ伯爵のベルが2度鳴り、ジャンが制服を着て伝声管に答え、コーヒーと長靴の命令を受ける。ジュリーは
ジャンに「私が何をすべきか、最後の勤めとして私に勇気を与えて命令して」と言うと、彼は「制服を着たらもう貴方に
は命令できない」と拒否するが、ついに剃刀を彼女の手に握らせて「さぁ、幕です。納屋へ行って、それから…。」と
何かをささやく。ジャンはベルに脅える。再びベルが2度鳴り、飛び上がったジャンは気を取り直してもう1度ジュリーに
「行きなさい」と言い、彼女は決心して出て行き幕となる。
![]() ヨハン・アウグスト・ストリンドベリィ( Johan August Strindberg 1849年1月22日 - 1912年5月14日)は、スウェーデンの作家。 |
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目次 1 生涯と作品 2 逸話 3 主作品(前記以外) 4 外部リンク |
生涯と作品 [編集]
ストックホルムに生まれる。ウプサラ大学に入り自然科学を修めたが、中途で退学し1874年に
王立図書館助手となり、その間1870年に王立劇場へ《ローマにてI Rom》という一幕物を提出
して採用され上演。1872年に史劇《メステル・ウーロフ師 Master Olof》を発表したがそれは
認められず、憤懣のはけ口として1879年に諷刺小説《赤い部屋 Roda rummet》を発表して
名声を得た。1877年に男爵夫人であったシリ・フォン・エッセン(Siri von Essen)と結婚する。
史劇、童話劇、ロマン的史劇等を発表し1883年にフランスに行き、1885年に社会主義的傾向
の短篇集《スイス小説集 Utopier i verkligheten》《結婚 Giftas, 1884-85年》を書き、後者は
1884年に宗教を冒涜するものとして告訴され、フランスから国外退去を命ぜられた。
自伝的小説《女中の子 Tjanstekvinnans son, 1886年》《ある魂の成長 En sjals utvecklingshistoria,
1886年》《痴人の告白 Die Beichte eines Thoren, 1893年》を発表。この最後のものはフランス語で
書かれ、ドイツ語ではじめて発表された。のちゲーオア・ブランデスとニーチェの影響のもとに精神的
貴族主義に転じ、小説《チャンダラ Tschandala, 1889年》《大海のほとり I hafsbandet, 1890年》を書いた。
1891年に離婚し、1893年オーストリアの女流作家フリーダ・ウール(Frida Uhl)と結婚したが2年後に
不幸な結果に終った。1894年パリに移り、自然科学、特に錬金術に没頭する。またスヴェーデンボリの
影響をうけて神秘主義に接近し、不幸な結婚生活を回顧して自伝的小説《地獄 Inferno, 1897年》
《伝説 Legender, 1898年》を書き、また戯曲《ダマスクスヘ Till Damaskus, 1898-1904》によって
自然主義から離れた。
1899年からストックホルムに定住し《グスタフ・ヴァーサ Gustaf Vasa, 1899年》をはじめ多くのスウェーデン
史劇、ルターを主人公とした《ヴィッテンベルクの夜鶯 Naktergalen i Wittenberg, 1903年》を書いた。
1901年に女優ボッセ(Harriet Bosse)と結婚したが1904年に離婚。長篇小説《ゴシックの部屋
Gotiska rummen, 1904年》《黒い旗 Svarta fanor, 1907年》は、このころの混乱した精神から生れた。
1907年に〈親和劇場〉を設立しその劇場のために《室内劇 Kammarspel》を書いたが、経営困難のため
3年後に閉鎖。晩年の随筆集《青書 En bla bok, 1907-12年》には、ふたたび社会主義的な関心が示されている。
逸話 [編集]
カール・ラーションが1899年に描いたストリンドベリ。
リッカルド・ベリが1905年に描いたストリンドベリ。
オカルト研究でも知られ金の製造の研究をしていた。若い頃から科学ファンであったし「アンチバルバルス」を
書いた時は大科学者としての名声を期待したが「詐欺師」「馬鹿」と言われた。
画家のカール・ラーションとは1879年から交流があり、ラーションに著書の挿絵を依頼したりしたが、1908年に
ストリンドベリィが著書でラーションを批判したことから、二人の関係は終結した。いっぽう、画家のリッカルド・
ベリと1889年より交流を持ち、ベリがストリンドベリィを描いた肖像画はベリの最も有名な絵画の1作となった。
主作品 [編集]
戯曲
父 Fadren, 1887年
友だち Kameraterna, 1887年
令嬢ジュリー Froken Julie, 1888年
降臨節 Advent, 1899年
死の舞踏 Dodsdansen, 1901年
白鳥姫 Svanevit, 1902年
夢の戯曲 Dromspelet, 1902年 訳書に『ストリンドベリ名作集』 白水社、2011年5月
「父」「令嬢ジュリー」「ダマスカスへ」「罪また罪」「死の舞踏」「幽霊ソナタ」の6作品。
小説
島の農民 Hemsoborna, 1887年
孤独 Ensam, 1903年
歴史の縮図 Historiska miniatyrer, 1905年