特集 農業インフラを思索する      PDFファイルはこちら

独自の基盤整備で独自の経営を展開

受託農業の課題の一つに所有者との間に生じる問題があるが、それを難
なくクリアして、難しいほ場整備を解決する。農業インフラに徹底した投

資をする狙いは、良質な農産物の生産にある。時代を読み、独自の経営を
展開する中山間地域のエコファーマーの実践報告

有限会社田中農場 代表取締役
田中 正保 1951年鳥取県生まれ。71年に自営で農業(養豚主体)を開始。80年には大豆・大麦作中心の田中農場を設立し、
          88年に稲作を開始。96年に法人化。2006年に毎日新聞社主催の全国農業コンクールで名誉賞受賞
4法人に9割の農地を集積()長野ライスファーム、()金鐙 ()下黒土アグリ、()上黒土園芸メガ団地を整備

 まず根本からの土づくり

 (有)田中農場は、鳥取県東部の八頭郡八頭町にある稲作を主体に経営する法人です。農場のある地域は標高50100mの中山間地域ですが、おおむね36aの区画が整っており、ほ場の条件には恵まれています。
 現在、約108で米91ha他、大豆や白ネギなどの野菜を作付けしています。米の半分は「山田錦」などの醸造用米です。化学肥料や農薬は極力使用せず、堆肥などの有機質肥料にこだわり、エコファーマーの認定を受けて、鳥取県特別栽培農産物の認証を取得した農産物を独自のルートで全国に販売しています。 このうち、醸造用米に関しては県内外の酒蔵に販売しており、うち七社では田中農場産の醸造用米100%の酒を仕込み、「田中農場」の名前で売っていただいている酒もあります。

 さて、ここからが本題です。1971年に私が就農した時、養豚主体の経営でしたが、その頃、地元で構造改善事業による区画整理が進められていました。76年に、その区画整理状況を見た隣の農家から「田んぼを借りてほしい」と頼まれて、転作の大麦を作付けしたのが、水田農業に取り組んだきっかけです。

 構造改善事業では狭小な田んぼは30m×100m30aの区画に整備されました。それまでは機械の入り口も作れない小さなたんぼばかりでしたので、区画整理されたことで、当然、機械化が進んで生産性も上がるものと思っていました。何しろ、これまでとは見違えるほど大きくなった田んぼ、そして一枚一枚に水が入るように設計された水路、幅の広い農道、どれ一つとっても見た目にはとても立派に映ったからです。

 ところが、いざ田んぼを借りてみると肥沃であったはずの表土がどこかに行ってしまい、しかも土は硬く、大きな石がゴロゴロとあって排水も悪いのです。作物を育てる条件としては良くありませんでした。全てが予想外のことでした。 土が悪いため、周りの農家は浅く耕して化学肥料をどんどんつぎ込みます。せっかく区画整理で、田んぼの生産性を良くしようとしたはずなのに、これでいいのだろうかと疑問を持ち、私は一転、土づくりにチャレンジすることにしました。 まずは排水を良くし、作物の根がしっかりと張るように石を取り除いて、深く耕すことに努めました。そのため、当時、どの農家も持っていなかったフォードの130馬力の大型トラクターや、北海道の畑作農家しか使っていない20インチのプラウ、排水性を良くするためのサブソイラー、ショベルカーなどを導入しました。

 排水不良の痩せた田んぼで大麦を作っても10当たり、1~2俵しか取れず、その一方で経費が45万円もかかるため、完全な赤字経営でした。 そんな私に対し、周りから「できないのが分かっているのに作るなんて共済金泥棒だ」などといった陰口が聞こえてきました。悔しい思いをしましたが、私は「根本的な土づくりをやらないと、何年たっても良い作物はできない」と反論したのを今でもよく覚えています。

 敗戦後の占領政策で農地解放が行われ、小作農たちは自作農に変わりました。作った米は食糧管理法の下、国が全量買い取ってくれるという農家にとって恵まれた時代が続きました。 しかし、日本の経済は着実に変化していきました。その一つが六五年ごろから始まった米の過剰在庫に端を発した転作だったのです。いつかは稲作主体の経営に転換したい、と考えていましたが、当時はまだ米価が高水準で、皆、米を作りたがっていましたので、その時期ではないと思いました。

 ビジネスチャンスに備え

 しかし、私は「いつか米価は下がる。その一方で銘柄や品種によって価格差が開き、品質の良い米だけが高くなる。生産者が自分で売る時代も来るだろう。その時がビジネスチャンスだ。それに備えて、まずは農地を集めることに集中しよう、皆が嫌がる転作ならば喜んで田んぼを貸してくれるだろう」と考えたのです。 貸してもらった農地に、私は大豆・大麦を作り、転作奨励金93000円の全てを地主に差し上げました。貸し手、借り手折半が常識だった当時としては異例のことでした。

 ところが、区画整理によって荒れた田んぼの石を取り除き、堆肥を入れて土づくりをする私の姿勢を見て、一人、また一人と耕作を依頼してきたのです。そうした人たちが増え、面積も着実に拡大してきました。そして87年、31年ぶりに米価が下がったのを機に、私はかねての方針通り、米作りにチャレンジしました。現在、約108haうち、自作地は1haにも届きません。あとは全て借地で、地主は228人にもなります。借り受けるほ場は、田中農場のある郡家地区内を原則としており、そのほとんどが半径3km以内に集約できています。

 鳥取県では大規模経営はできないと言う人もいましたが、ここまで規模拡大できたのは、地域の皆さんの理解と応援のおかげだと感謝しています。 借地の契約期間は3年、6年、10年とさまざまです。これらの農地に、大型トラクターなどの機械を使って土づくりをすることは大きな投資となります。 「いつ返すのか分からない農地に、自己負担でどこまでやるのか」とよく問われます。しかし、私は自作地であっても借地であっても一反の農地を活用し、作物を生産することに変わりはないと思っています。田んぼから石を取り除き、深く耕して堆肥を入れるのは私の作物のためだけでなく、その土地が農地である限り必要なことなのです。

  地力上がり地主から感謝も

 ある時、私に貸した自分の土地に大きな重機が入るのを見て驚いて「何をするのだ」と抗議してきた地主もいました。しかしその後、契約期間が終わって自身の農地の返還を受けたとき、地力が上がっているのを見て、逆に感謝されました。土づくりは地域のためでもあるのです。 一般的な米作りでは、田植え前にロータリーで一〇㌢メートルほどしか耕さないので、稲の根も浅くしか張れません。しかし田中農場の場合、二〇の大きな畑作用のプラウを使って地表から30cmも起こします。

 話は横道にそれますが、40年前、本州にはなかったこのプラウをどうしても手に入れたくて、北海道の十勝に何度も通いました。プラウを牽引するのに最初に80馬力、2年後に131馬力ものトラクターを導入しました。そのトラクターは北海道でもまだ六台しかない時代で、プラウを製作したメーカーの社長が鳥取県で使うことに驚いて、北海道からわざわざ見に来てくれたほどです。 田中農場の場合、深く起こそうとすると、石が当たってプラウの爪も傷めてしまうので、まずパワーショベルを使って大きな石を取り除きます。

機械が入る現代の農業では作土の30cm以下に硬盤ができますが、これがあると田んぼの水がなかなか引かず、排水不良となってしまいます。このため、サブソイラーを使って硬盤を破砕するのです。 私たちの地域では、設計上だいたい地下60cmメートルほどのところに暗渠廃水の土管が埋まっていると言われています。しかし、実際はもっと浅いところにある場合がありますので、土管をプラウやサブソイラーで壊してしまわないよう気を付けています。

 傾斜水田と深水管理を工夫

 また、ほ場を均平にする効果があるレーザーレベラーを使い、水口側から排水側に向けて2cmほどの傾斜をつける「傾斜水田」をつくっています。 傾斜と深水管理をうまく組み合わせることで田んぼの中の水が流れやすくなり、病気も発生しにくくなるのです。田んぼに水を入れたり排水したりする時間も短くなり、水の管理がしやすくなるメリットもあります。

 また、肥料は化学肥料ではなく、有機肥料にこだわって、連携している養牛農家から牛ふんを入手し、完熟にした堆肥を10a当たり23t投入しています。 苗もポットで成苗まで育てたものを使っています。その成苗は根の活着が良く、雑草との競合に強いため、農薬を抑制する田中農場の栽培に向いています。ただし、ポット用の苗箱は値段が高く扱いにくいため、一般の農家はあまり使いたがりません。 そうまでしてこだわりの土づくりを行っても、田中農場の米の反収は現在7俵/10a㌃ほどです。これはこの地域平均よりも10%は低いです。 

 この点に関しては、私なりの考えがあってのことです。一反当たりの収量を上げようと思えば上げられるのですが、田中農場は株間を広くとって風の通しを良くし病気の広がりを防ぐなど、健康で丈夫な稲を育て安全な米を生産しています。そのため、わざと反収を低くしているのです。 この取り組みによって、田中農場の稲は台風が来てもびくともしません。地域の他の水田の稲が風や雨で倒れているのを見れば、いかに丈夫かが分かります。また、冷害や最近の猛暑にも耐える力があり、災害で減収や品質を落とすということはほとんどありません。これらはいずれも日ごろから丈夫な稲を作るための対策を打っている結果なのです。 私たちのこだわった米作りに対して、次第に理解してくださるお客さまが増え、販売単価は一般より高くなりました。反収が低くても品質で十分に勝負できるのです。私が「いつかビジネスチャンスがくる」と言っていたことが予想通りになったのです。

 下がってしまった農地の価値

 化学肥料の値段が高くなったと言われます。しかし、田中農場では化学肥料を使っていないので、コストの上昇圧力にも耐えられます。 米の他に作っている白ネギなどの野菜や、飼料用トウモロコシ、大豆などの畑作物に関しても、田中農場の場合、連作障害を避けるため田畑輪換をしています。

 水を張ることによって、土壌消毒になり、ミネラルなどの補給効果もあります。深く耕し排水を良くしているので、いつでも畑に切り替えることができます。 白ネギ栽培は、大阪のフグ料理店から、農薬や化学肥料を極力使っていない白ネギがほしいと言われ、始めたものです。白ネギの収穫は冬場に雪が積もるため、雪を掘り起こして収穫することもありますが、甘みが増すと好評です。この白ネギを主な原料とする「白ねぎ酢」や「白ねぎぽん酢」などの商品も生まれ、上質な調味料として評価されています。

 これほどまでに田んぼと土に投資をする農業者は、私の地域はもちろん、全国にもそうはいないでしょう。なぜでしょうか。 農地解放まで地主は自分の農地を小作人に貸し与え、小作人はそこから生産された米を地主に納めていました。農地と、そこから生まれる米は地主にとっても、小作人にとっても、とても価値のあるものだったに違いありません。だから、畦や水路が傷めば、命がけで直していたのでしょう。

 しかし、今や1hの米作りでは、とても生活できません。だから皆、兼業になります。米作りは経費が掛かり、大赤字です。高齢になると自分では作れないので、田んぼを貸してしまうか、あるいは売ってしまいます。 ある人が「小規模だと作っても赤字だからやめてしまいたいが、親は補助金が付くからやめるなと言う。いっそ補助金がなかったら、やめられるのに」とこぼしていました。それほど農地の価値は下がってしまったのです。

 こんな状況では、よほどのことがない限り、自分の農地に金と手間をかけようとする人はいないでしょう。貸せば地代がいくらかもらえる、しかし用水の水利費などは負担したくない、こんな目先の利益にとらわれて、将来に向けてどのようなほ場づくりをしていこうなどと考えられない時代になってしまいました。

  生産と販売は車の両輪

 借り手の負担は重く、地主も金をかけたくありません。これでは農業の生産性が上がるはずがありません。自作地であろうが、借地であろうが、食料を生産する農地に対する投資は絶対に必要です。 稲作と畑作は別で、水田を畑地化することは難しいと言われています。しかし、作土層をより深く豊かにし、また排水性を高めるため暗渠を整備して、その暗渠は今までより深いところを通すなど基盤をしっかりつくれば、決して難しいことではありません。

 農地は個人の所有物ですが、国民に必要な食料を生産する国民の財産でもあります。 私個人は、税金の使いみちについて、小規模農家をつなぎ止めるような補助金よりも、農地のような公共性の高い農業基盤に重点的に使ってほしいと思っています。公共事業でなくても、生産者が自主的に行う基盤整備の取り組みも支援してほしいのです。 日本は緑豊かで四季があり、水に恵まれています。農地の価値を高め、恵まれた自然環境を活かすことで、消費者から支持されるおいしい安全な農産物が作れます。これこそが日本農業の道だと思うのです。

 生産と販売は車の両輪です。いくら良いものを作っても、売れなければ生産は持続できません。生産できなければ当然、農地も不要になります。逆に販売が伸びれば農地も設備も必要になり、雇用も生まれて、資金ニーズが発生します。

 今、世界で通用する価格ということで増収とコストダウンの必要性が強く言われています。しかし、これだけではどうしても無理があると思います。消費者に認められ買っていただける作物、自分たちが自信を持って薦められるおいしく安全な作物を生産し、消費者からこれを食べたい、加工業者からこんな材料が欲しい、と言われたときに、それに十分に応えられる農業経営基盤が必要です。

 農業は後継者が育たないと言われていますが、本当に農業は嫌われているのでしょうか。どの産業、企業でも若者が入ってこないと衰退してしまいます。田中農場では社員に労賃を払うため、何をつくり、どう販売するのかを常に考えています。若者が魅力を感じる農業を目指したいと思っています。

 また、労働時間や休日などの勤務条件を整え、若い人たちが働きやすい職場づくりを行っています。私は現在、64歳ですが、30歳代の息子2人をはじめ、2030歳代の社員が6人います。4050歳代の社員を含め半数以上は非農家出身です。皆、個性を持っています。

 このように条件が整えば、農業にもさまざまな人が入ってくると思います。それぞれ異なる経験やスタイルを持つ人が集まれば、農業にも新しい方向性が見えてくるでしょう。 「高齢化で若い後継者がいない、米価が下がって作り手がいなくなり、農地は荒れてしまう」。そう思われていることが過去の話になった、と言われるように、田中農場は常にチャレンジして農業界に貢献したいと思います。 

上:20インチ4連プラウで30cmの深さまで畑を起こす 中:プラウ後レーザーレベラーで均平かつ100mごとに2cmの勾配をつける 下:作業しやすいよう両脇にレールを敷いて作業台からポット苗箱を並べている