第 九 の 美 学    012.12.17.


 1824 年5月7 日、ベートーヴェンが招待状を配り歩いた「交響曲第九」の初演は、貴
賓席は空席であったが、それ以外は満席であった。ベートーヴェンの10 年ぶりの交響曲
をウィーンの人々は待ちかねていたのだ。この時代、交響曲第何番と呼ぶ習慣はまだな
かった。「伝説」では、大交響曲が終わり、爆発的な拍手が起きているのに、ベートー
ヴェンは気づかず、いつまでも客席に背を向けていた。それに気づいた歌手カロリーネ
・ウンガーがベートーヴェンのそばへ行き、彼の袖を引っ張って、客席のほうを向くよ
うに促した。拍手している聴衆を見て、ようやくベートーヴェンは客席にお辞儀をした。
成功は凱旋的であった。それは気狂いじみた感激を巻き起こした。多数の聴衆が泣き出
していた。

 ベートーヴェンも終演直後は満足そうであったが、関係者一同が幸福なのはその時ま
でだった。演奏会は利益が出なかったのである。経済状況が厳しかったベートーヴェン
は気絶したという。崇高な人類愛を謳い上げた彼にとって、作曲はビジネスであった。
ほとんど耳が聴こえなかった中で完成した「第九」は、メンデルスゾーン、ワーグナー、
リスト、ビューロー、ニキシュ、マーラー、トスカニーニ、ワインガルトナー、フルト
ヴェングラー、ワルター、カザルス、カラヤン、バーンスタインといった英雄たちが格
闘し、地上にもたらされ、年末や新年に演奏され、祝祭や追悼の音楽にも国家の音楽に
もなった。また政治利用された過去もあった。

 この「第九」が日本で初めて演奏されたのは、1918 年(大正7 年)6 月1 日、四国の
徳島の板東俘虜(ふりょ)収容所に収容されていたドイツ兵たちによって演奏されたの
である。1914 年、第一次世界大戦において中国の青島で降服したドイツ軍の4600 名が
捕虜として日本に護送され収容所6 ヶ所に入れられたのであった。板東俘虜収容所の所
長松江大佐は、会津出身で、父は明治維新の際に幕府側についたため、敗戦後の悲惨な
目にあった事を父から聞いていたため、松江は敗者の心情をよく理解し、捕虜に人道的
に対応した。そのため他の収容所と比べて自由な雰囲気を持っていた。また副官の高木
繁大尉がドイツ語が堪能であったことが幸いであった。ドイツ人たちは、当時の日本に
珍しいキャベツやケチャップ、ハム、ベーコンを製造し、それらの作り方を日本人に教
えた。さらに染色の技術、石鹸の製造、そして建物の設計や建築も教えた。友好的に、
日独文化の交流がなされていたのだ。ドイツ兵には軍楽隊の者もいて、彼らを中心に、5
つの楽団と2 つの合唱団が組織され、ときには徳島市内で公開演奏会も行なわれた。

 多くの困難を経た捕虜たちの「第九」に参加した者は証言している。「あれはすごかっ
た。最後は全員の大合唱となり、泣き出す者もいた。祖国に届けとばかり声をふりしぼっ
た」合唱団だけでなく、聴いていた人々も一緒に歌ったという。異国で、それも囚われ
の身での「第九」は、彼らの願いは、世界中の人々がひとつになる日がくれば、戦争も
なくなる、そんな思いもあったであろう。

 「第九」それは、自由と平和を希求する響きだった。2001年9 月4 日ベートーヴェン
の「第九」の楽譜は、ユネスコの世界遺産「世界の記録」部門に指定された。

 「いま必要なのは一国家を超えた普遍的な連帯の心をすべての人々に伝える音楽だ。
  それにふさわしいのはベートーヴェンの第九である」   ノイマン



An die Freude

O Freunde, nicht diese Tone!
Sondern last uns angenehmere
anstimmen und freudenvollere.
(ベートーヴェン作詞)

Freude, schoner Gotterfunken,
Tochter aus Elysium
Wir betreten feuertrunken.
Himmlische, dein Heiligtum!

Deine Zauber binden wieder,
(1803年改稿)
Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Bruder,
(1785年初稿:
Was der Mode Schwert geteilt;
Bettler werden Furstenbruder,)
Wo dein sanfter Flugel weilt.

Wem der grose Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!

Ja, wer auch nur eine Seele
Sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wer's nie gekonnt, der stehle
Weinend sich aus diesem Bund!

Freude trinken alle Wesen
An den Brusten der Natur;
Alle Guten, alle Bosen
Folgen ihrer Rosenspur.

Kusse gab sie uns und Reben,
Einen Freund, gepruft im Tod;
Wollust ward dem Wurm gegeben,
und der Cherub steht vor Gott.

Froh, wie seine Sonnen fliegen
Durch des Himmels pracht'gen Plan,
Laufet, Bruder, eure Bahn,
Freudig, wie ein Held zum Siegen.

Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kus der ganzen Welt!
Bruder, uber'm Sternenzelt
Mus ein lieber Vater wohnen.

Ihr sturzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schopfer, Welt?
Such' ihn uber'm Sternenzelt!
Uber Sternen mus er wohnen.
「歓喜に寄せて」

おお友よ、このような音ではない!
我々はもっと心地よい
もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか
(ベートーヴェン作詞)

歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上の楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて
崇高な汝(歓喜)の聖所に入る

汝が魔力は再び結び合わせる
(1803年改稿)
時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる
(1785年初稿:
時流の刀が切り離したものを
貧しき者らは王侯の兄弟となる)
汝の柔らかな翼が留まる所で

ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
彼の歓声に声を合わせよ

そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい

すべての被造物は
創造主の乳房から歓喜を飲み、
すべての善人とすべての悪人は
創造主の薔薇の踏み跡をたどる。

口づけと葡萄酒と死の試練を受けた友を
創造主は我々に与えた
快楽は虫けらのような弱い人間にも与えられ
智天使ケルビムは神の御前に立つ

天の星々がきらびやかな天空を
飛びゆくように、楽しげに
兄弟たちよ、自らの道を進め
英雄のように喜ばしく勝利を目指せ

抱擁を受けよ、諸人(もろびと)よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、この星空の上に
ひとりの父なる神が住んでおられるに違いない

諸人よ、ひざまずいたか
世界よ、創造主を予感するか
星空の彼方に神を求めよ
星々の上に、神は必ず住みたもう

『第九』全体 1.04.52 第4楽章は48分~50分51秒

『第九』第4楽章のみ:24分36秒