綿幸媛通信74号「論説」

自分教の確立に向けて―農における霊性の探求―(1)    津野幸人

〇なぜ宗教は戦争の火種となるのか

われわれの未来には気候変動、環境汚染、資源枯渇そして戦争など、推定不可能な要因が多い。サミュエル・ハンチントンは、冷戦が終了しても国際間で対立がなくなるどころか、むしろ文化に基づく新たなアイデンティティーが生まれて、文明間の対立が生じているという。(『文明の衝突』集英社)。この説は世界的なセンセーショ

ンを巻き起こした。1996年の発表とはいえ、その可能性は否定できないばかりか、彼の予言は的中しそうな情勢だ。 

かれは文明を西欧、中国、イスラム、ヒンドゥー、スラブ、ラテン・アメリカ、発展途上とはいえアフリカそして日本の八つに分類する。更に世界に西欧民主主義という普遍的な文明が広がるという考えを排して、将来は中国文明とイスラム文明の勢力が拡大して、儒教―イスラム・コネクションを形成し、これが西欧に敵対する構図が出現する。やがて日本も中国と組んで西欧対非西欧という対立構図の一翼を担うだろう、と予言する。

つまり、人間は自己の利益を追求するうえで、合理的な行動をとる前に、まず自身を定義付けなければならない。そうした自身の定義付け、つまり実存の主張であるアイデンティティーとしての文明が、人類相互間の紛争につながるというわけだ。

この度、米国にはトランプ新大統領が就任して、軍備強化と白人中心の政策を前面に打ちだしているが、西欧対非西欧の対立構図を強化しなければよいと願っている。いまの世界ではキリスト教に基づく価値観とその文化への反発の機運が潜在しているのは確かだ。私はホメイニ革命最中のイランに住んで、それを痛切に感じた。

ハンチントンは、宗教は文明を確定する中心的な特徴であり、「偉大な宗教は偉大な文明を支える基礎である」(クリストファ・ドーソン)と、とらえたが、その宗教が人類の対立を深める結果となっている。

これは既成宗教が現代という時代―原爆の戦争使用―への適応に怠慢であり過ぎるからだ。不殺生という戒律を掲げる仏教の役割が期待されるのだが、その現状は悲観的だ。

宗教といえば我々は神社のお札や、おみくじ、厄払いなどを連想する。しかし、祈祷や呪術は神職者の専有行事であって、彼らの生活手段であって迷信にすぎない。西洋哲学では、カント、ヘーゲルの時代に、宗教の本質を分析して、祈祷・呪術を含むものを「実定宗教」とし、奇跡信仰を排除して理性で理解できる宗教を「理性宗教」として区別した。例えば理性宗教としてキリスト教の本質を解釈すれば、「隣人を愛せよ」に尽きるという。この論法に従えば仏教の本質は、「あらゆる生き物に慈悲を施す。」これに尽きると思われる。

外国人のキリスト教徒やイスラム教徒に自己紹介をするとき、「私は宗教を持たない」、という日本人を見る。彼ら教徒にとってこれは信じがたいことだろう。かなり当惑しているのを感知する。彼ら教徒にとって人間であるということとは、すなわち神を信じることであるからだ。

日本の宗教の現状をみれば、「私は無宗教だ」と言いたくなる人の気持ちも理解できるが、人にはその価値観を超えて、心の底から感動する刹那がある。それは理性からくる道徳律をはるかに超えるものだ。たとえば人里離れた山中で一人星空を仰ぐとき、蒔いた種子が土より芽を出したとき、乳吞児の笑顔に接したとき、その感動はたとえようがないではないか。利害、愛憎を超越したこの感動の根源は何だろう。これらは人間が共有する霊性から発するものではなかろうか。

 

〇このままでよいのか「日本仏教」

霊性について鈴木大拙は著書「日本的霊性」の中でこう述べている。

「精神または心を物(物質)に対峙させた考えの中には、精神を物質に入れ、物質を精神に入れることは出来ない。精神と物質との奥に、いまひとつ何かを見なければならぬのである。二つのものが対峙する限り、矛盾・闘争・相殺などということは免れない。それでは人間はどうしても生きていくわけにはいかない。なにか二つのものを包んで、二つのものが畢竟するに二つでなくて一つであり、また一つであってそのまま二つであるということを見るものがなくてはならぬ。これが霊性である。今までの二元的世界が相剋し相殺しないで、互譲し、交歓し、相即相入するようになるのは、人間霊性の覚醒にまつより外ないのである。言わば精神と物質の裏に今一つの世界が開けて、前者と後者とが互いに矛盾しながら、しかも映発するようにならねばならぬのである。これは霊性的直覚または自覚によりて可能となる。(中略)

 霊性を宗教意識といってよい。ただ宗教というと、普通一般には誤解を生じやすいのである。日本人は宗教に対してあまり深い了解を持っていないようで、あるいは宗教を迷信のまたの名のように考えたり、あるいは宗教でもなんでもないものを宗教的信仰で裏づけようとしたりしている。それで宗教意識といわずに霊性というのである。」「日本的霊性」〔角川ソフィア文庫〕p29」。すべての人が持つ霊性を啓発して磨くのが宗教家の役割だと思う。神道に較べて理論的に進化していると考えられる仏教の実情はどうであろうか。

宗教学者・佐々木 閑・花園大学教授が・『ブッダ真理の言葉』という講義を2011年9月から10月にかけてNHK教育テレビで4回に分けておこなった。テキストに書かれている事項は仏教概論を要領よくまとめたもので異議をさしはさむ気はない。ただ、講義の最終結論部分で述べた御自分の意見には納得しがたいものがある。「日本人の人生の拠り所として仏教を活用するには、・・・しっかり精神を集中して、じっと考えて、それでもだめならもっと考える。それが私の仏教学者としての修行だと思っています」と結んでいるが、その前段部分では「全ての文化はすべて集中した精神の産物です」とも述べられている。これでは精神集中万能論ではないか。先生は、精神集中の極として座禅を視野に入れておられるのかもしれない。

しかし忌憚なく言えば、これでは戦争中に耳にタコのできるほど聞かされた「精神一統何事かならざらん(朱子語類・学2)」とどこが変わるのだろうか。此の独善的な精神重視の思想によって、尊い若者の命が肉弾として戦争で浪費されたのだ。佐々木先生は1956年生まれだから、戦時の思想教育に果たした仏教の実態は全く御存じないらしい。

一ころ企業の新人教育で流行った禅寺での座禅体験は、戦争中に受けた我々の教育と本質的な面でぴったりと一致します。敵が迫っても動揺しないようにと座禅を習ったのが中学生のときであった。禅宗に限らず職業仏教者は葬儀ばかりに熱中しているかに見えるが、此の人達には、かつての戦争教育への積極的協力についての反省があるのだろうか。これに関して興味深い発言がある。

雑誌・文芸春秋2912〇一二年一二月号特集「日本人のための宗教」というタイトルで、

山折哲雄氏(昭和六年生まれ・宗教学者)と、元花園大学学長・河野大通氏(昭和五年生まれ・臨済宗妙心寺派管長)との対談を掲載した。以下はその一部。

河野「仏教の根本理念とは人間の平等と命の尊重にあると考えますが、しかしながら日本の仏教教団は、時流におもねり戦争に加担した過去があるのです。それも仏教の論理、しかも私たちが教義とする禅の論理を戦意高揚に用いた。[仏に逢うては仏を殺し、祖に逢ては祖を殺し、生死岩頭において大自在を得ん]という言葉をひいて、戦場こそは禅の修業道場だと兵隊を叱咤し、そればかりか修行中の僧を兵隊として戦場に送り込んだのです。この言葉は[仏にも執着するな、そこに真の自由が開ける]という意味なのですが。・・・」

山折「いま仏教批判として最も声が大きいのが葬式についてではないでしょうか。

 実は私自身、かねてから自分が死んだ後は、お葬式はしない、お墓は造らない、遺骨は粉にして撒いてほしい、と言っています。これは現在の仏教教団に対する、一種の不満のあらわれでもあります。」

河野「仏教における葬式とは何か。それは[授戒]なのです。仏、法、僧、の三宝に帰依して、五戒を授かる。すなわち、人として正しい生活をするために、釈迦が教える生活の基本姿勢を教わる儀式です。

 本来であれば、生きている間に戒を受けるものなのですが、そうではない方が多い。そこで生き残っている者が亡くなった方に代わって、今までの自分の生活のありようを懺悔し、戒を授かる。これにより、亡くなった方が安らぎを得て成仏する。これが葬式の意義なのです。」

 こんなノー天気で独断的な発言を禅宗の元締めがやってのけるのだ。仏教という大宗教が力を失うのも宣(むべ)なるかな。

 葬式は授戒の儀式と言われる河野氏に素朴な質問を呈したい。仏法では授戒を行う資格は僧侶の特権として認められているが、それはあくまでも仏陀の教えに忠実な出家でなくてはならぬ。妻帯、肉食をしている日本の僧侶には、果たして出家の資格があるのだろうか。宗教は民衆の道徳・倫理を支えなければならないのである。地獄・極楽思想をよりどころとして、祈祷と呪術で生活するという安易さを僧侶自らが克服しなければ、俗衆の心をつかむこと難しいだろう。

 現代において、宗教人口を伸ばしているのはイスラム教である。私は、ホメイニ革命時にイランに長期滞在していたが、ホメイニがイラン民衆にラジオでこう呼びかけた、「われわれイスラム教徒は西欧文明を受け入れた。その結果人々は彼らの文化であるエンターテイメントに毒されてしまった。われわれイスラム教徒の失ったものの大きさを反省してみようではないか。」と。ホメイニ革命の本質は、ハンチントンのいう「文明の衝突」であった。

 

〇既成宗教も宇宙進化に目を向けよ

 わが国おいても、明治期はわが国在来の文明と西欧文明との衝突期であった。物質文明においては西欧優位であった。無条件にこれを受け入れた。西欧人の象徴であるキリスト教を受け入れたのはごく限られた知識階級であって、武士階級の末裔達はどのような死生観を形成したのだろうか。この疑問に答えるため次に二人の人物を挙げる。

内藤鳴雪(1847~1926)は、子規派の俳人として有名であるが、彼はれっきとした松山藩高級武士で、儒教を学んで育った。彼の思想形成を語るものとして、維新後に書かれた自叙伝(岩波文庫)がある。これは松山藩の維新前後の事情を知る上でも資料的価値が高い。彼の死生観で胸を打つのは、子息、惟行氏を三十歳の若さで失ったときのことである。

「もうこの時は哲学的悟りがかなり出来ていたから、結局死ということは人間の煩悶苦痛を免るる事なので惟行の如く早く世を去るのは、つまり厄介な人間生活の年明けである、息を引き取るまでこそ志の遂げざる事を口惜しくも思うが、死んでしまえば空々寂々で、楽しみのない替わりに悲しみもない、今まで脳で働いていたエネルギーは宇宙に遍満せる絶対エネルギーに帰してしまったのである。そして私も早晩そうなると思うと、彼が先駆けしたのを羨ましくも思った。」(三三九頁)。

右の太字で記した部分こそ、密教誕生までの仏教が避けてきた「梵我一如」の思想に他ならない。鳴雪が「哲学的悟り」と称するのは、真言密教から呪術的(まじない)部分と地獄思想を取り去ってしまった状態であと考えられる。

さらに言えば、鳴雪のいう哲学的悟りとは、中江兆民(18471901)の思想の投影ではあるまいか。兆民は、土佐藩出身で、岩倉使節団として1871年に渡欧、フランス留学、1874年帰国。東京番町に仏学塾を開く。ルソーの社会契約論を翻訳した。東洋自由新聞の主筆をつとめたが、 喉頭がんにかかり、余命1年半と宣告されたので遺言代わりに『一年有半』を刊行(1901)した。さらにその続編も年内に刊行して生涯の遺稿とした。

兆民は著書で「わが日本、古より今に至るまで、哲学なし。・・・哲学なき人民は、何事をなすも深遠の意無くして、浅薄を免れず。」(一年有半p23)と慨嘆している。そして、「哲学的事条を研究するには、・・・太陽系天体の内に局して居てもいかぬ。・・・然るにを、五尺躯とか、人類とか、十八里の雰囲気の中に局して居て、而して自分の利害とか希望とかに拘牽して、他の動物即ち禽獣虫魚を疎外し軽蔑して、ただ人という動物のみを割り出しにして考索するが故に、神の存在とか、精神の不滅とか、この動物に都合のよい論説をならべ立てて非論理極まる、非哲学極まる戯言を発することになる。・・・・欧米多数の学者が、いずれも母親の乳汁と共に吸収して、身躯に血管に浹洽(しょうこう)している迷信のために支配せられて、すなわち無神とか無精魂とかいえば大罪を犯したるが考えて居るとは笑止の極である。・・・余は断じて無仏、無心、無精魂、即ち単純なる物質的学説を主張するのである。」兆民は、科学を深く信頼し、仏教的な無の境地に通じるその立場を科学の成果によって補強しようとした。次の文章がそれを示す。

「世界は無始無終である。即ち悠久の大有である。また無辺無極である。即ち博広の大有である。而してその本質は若干数の元素であって、この元素は永久遊離し、抱合し、解散し、また遊離し、抱合し、解散し、かくの如くして一毫も減ずる無く、増す無く、即ち不生不滅である。」この最後のくだりは般若心経の諸法空相を若干数の元素とすいればこのような理解となるだろう。ちなみに彼は、神の存在と霊魂の不滅を説くキリスト教の世界観に反対しながらも仏教の世界観にはかなりの共感を示すのだ。仏典を読破し、碧巌集は愛読書であったという。

正岡子規の闘病記(仰臥満録)をみて不治の病床で宗教的救済を求めなかった点に驚嘆する人もいるが、密教的死生観とは、個我(アートマン)と大我(ブラーフマン)との合体を理想とするバラモン的発想であって、密教の風土で育った人間が共有するものではなかろうか。ちなみに、旧制松山高等学校の先生方のうち松山市の出身者には鳴雪と同じ死生観を披露される方が多かった。

私は在米中には、滞在先の家族と共に清教徒の教会に通った。教会員はやさしく歓待してくれて、やがて私に改宗を熱心に勧めた。「お前は地獄を信じないのか?神は天国の門を開いて罪深いお前を救済しようとしているのだ。」と、いうのだが、真言宗の風土で育った私には、神の救済は非常に遠い距離にあった。自分が大日如来という宇宙仏の分身であることを意識している私には、どうしても地獄の存在を信じることはできなかった。また宇宙の生命を共有するすべての生物は、たがいに共生関係にあると信じる私は、兆民が指摘した「他の動物即ち禽獣虫魚を疎外し軽蔑して」という件(くだり)に啓発されていた。彼の思想は、エコロジーの本質を衝くものとして高く評価したい。また同時に日本仏教も先に上げた鳴雪、兆民の方向に進めば、新しい文明を支える新しい地平が開けるものと期待している。

新しい文明とは、宇宙に開かれた生命論の確立である。宇宙の意思として生命を与えられた地球上の生物には、二つの本性―生存欲望と子孫増殖欲望―があり、それは生物間の食物連鎖によって支えられている(万物共生)。つまり他者の生命によって自己の生命が支えられている。故に、他者を失えば自己を失うのである。ここから、仏教の示す不殺生戒が生まれるが、これは生きるためには順守できないという絶対矛盾に直面する。この局面において「慈悲」が、先に述べた霊性的意味を持つのである。この立場から、宗教は、すべての命を全うさせようとする人間の本性に基づくものと定義づけることができる。

 二宮尊徳は、私の道で尊ぶのは、天地が万物を生育するのを助ける大道で、天津神の積んでおかれた無尽蔵から、鍬鎌の鍵をもってこの世に取り出す大道である。「我というその大本を尋ぬれば 食うと着るとの二つなりけり」と詠んでいる。そして、明日の食に気を配り「腹くちく食うて搗きひく女子らは仏にまさる悟りなりけり」と、称える。尊徳にとっては、与えられた命を生き抜くというのが至上の行為であり、天命と受け止める。彼は、人間を「米食い虫」と定義した。彼の同時代を超えた視点だ。

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綿幸媛通信75号論説

自分教の確立に向けて―農における霊性の探求―(2)      津野幸人

既成宗教は平和を守れなかった―平和を守るためには自分教が必要―

 

〇生命の創造者を神という

人間を米食い虫にたとえた二宮尊徳は、この虫の仲間での約束ごとは、「衣食住の財を生産するのを善と定め、これらをいたずらに損傷するのを悪とする」と、倫理規定を行い、この道は天道とは別だと言い切った。さりながら、一方では自分の教えを「至誠教」と呼んだ。尊徳の宗教観は、鎌倉前期の華厳宗の僧・明恵上人(1232年没)の教えに極めて近いものがある。明恵の教えを要約すれば、「この人生を誠実に生きることが本当の仏教だ。現実からの逃避や、死後の救いを求めるのは仏陀の教えではない。」、「求める心をすっかり捨てて、空腹になれば食べ、寒ければ着るという生活こそが誠の生き方だ。」と、なる。

ここにして、尊徳の和歌にある「腹くちく食うて搗きひく女子らは仏にまさる悟りなりけり」の意味が一段と深みを増してくるのである。鎌倉時代に台頭した浄土宗、禅宗、法華宗、禅宗などは、その真髄を探れば、仏と人との一体化を目指している。真剣に生きることがそのまま仏の意にかなうのである。

中でも親鸞の教えは、呪術的儀礼や古い神々をも否定する一神崇拝(モノテトリー)の性格を帯びている。

仏教は、わが国伝来の当初(538年)から権力者の庇護を受け、その呪術・祈祷をもって権力者に報いたのである。この傾向は後発宗教である天台宗(805年)、真言宗(806年)においても払拭することができなかった。12世紀にいたって親鸞や道元が権力者の庇護を排除したのである。重ねて言うが、現代においても祈祷・呪術は神職者の生業の糧であって、自らが信仰を求める人にとっては文字通り邪魔である。

生命の営みを科学的にみれば、宇宙に存在する多種類の元素のうち10種類程度の元祖を材料して、地球上でタンパク質の合成を行い、そのメカニズムを支配する遺伝子を後代に遺すことである。これはなにも、人間の特権ではなくて、中江兆民の指摘した通り生物全般に共通する基本原則である(前号参照)。ただ、元素を組み合わせて生きものたらしめたのは、神の仕業としか言いようがない。

したがって、生物はみんな宇宙神の分身である。そして、万物の生命は平等であり、網の目のような食物連鎖によって、すべての生き物は共生関係にあるのだ。食物連鎖の頂点に立つ人間には、環境保護の倫理的義務が負わされているのである。既存宗教に依拠しないで、自発的意志によって、右のような立場をとるのが、私の云う自分教なのである。

 

〇呪術的宗教の危険性

 横道にそれるようだが、私事から述べたい。新しく松山市で開設した有機農園の地続きには、地主さんが屋敷神として祀っている古墳がある。その祭日には寿司を作って、近所に配るのが主婦の役目だ。大変だろうと思うが、当然のこととして孜々(しし)と勤めている。宮﨑市郊外でも古い家には、例外なく屋敷の一角に小さ祠があり屋敷神を祀っていた。

このように神さんは身近なものであり、それぞれの家の守り神であった。更には集落の神さんもいた。神職者のいる大きな神社には仏像が祀られ、神さんと仏さんは一体のものとして、われわれの先祖は崇めてきたのである。ところが幕末には国学者系の尊王運動が力を得て、慶応4年には神道国教化政策がとられた。その結果が廃仏毀釈となって神社から仏さんが追放されてしまった。以後、国家神道が従来の宗教の上位に座り、国民の崇拝を強制した。

宗教や道徳が国家から与えられる限り、それは戦争防止の役には立たない。国家神道への危惧をいち早くとらえた金子光晴の詩「燈台」の一節を紹介しておく。

こころをうつす明鏡だという空をかつては、いみおそれ、―神はいない。と、おろかにも放言した。

それだのに、いまこの身辺の、神の戒めのきびしいことはどうだ。うまれおちたということは、まず、このからだを神にうられたことだった。おいらたちのいのちは、神の富であり、犠(いけにえ)とならば。すすみたってこのいのちをすてねばならないのだ。

この詩は昭和一二年日中戦争開始の年に発表されたものだが、詩人の感性に敬意を表したい。戦争は相手国だけではなく自国民にも犠牲を強要するのだ。自分の国は自分で守ろうと、軍事行動の強化を主張する政治家は、戦争の実態を知らない若い政治家に多い。戦争をしないで国民を平和に生活させること、これが政治家の第一義の責務だ。積極的自衛とは積極的に平和を実現することである。

責務といえば私たち戦争を経験した老人たちにもある。戦争に駆り立てられた暗黒の時代の詳細を語り継ぎ、後世に残すべきだ。日本は神国だから、必ず「神風」が吹いて戦に勝つ、という国家神道の呪術を私たちは信じ、祈祷していた。

キリスト教徒の中でも西欧のプロテスタントたちは、労働は神の意志にかなうもの、とされ勤勉を尊ぶ思想が強い。北米ミシシッピー河地方で接したプロテスタントの農民たちは、禁酒・禁煙で貯蓄に励み、教会への献金が彼らの生きがいであるかに見えた。しかしながら、教会によって組織化された信徒は、保守党の基盤であり、神の意志は国家によって実現される、という説教をたびたび聞かされた。この論理は理性宗教を主張したヘーゲルのものでもあった。受け身で与えられた既成宗教では世界平和は実現できないと悟るべきであろう。

アメリカ大統領トランプ氏が打ち出した自国家ファーストの風潮が世界を席巻して、やがては世界戦争の勃発が懸念される。自国は核武装をして他国のそれは拒否する。こんな不条理、没論理が国際間でまかり通っているのだ。すでに核武装した国家間の戦争は、確実に人類を破滅させるだろう。

生物は種という単位で分類されているが、その基本は同種を食料としない。つまり、共食いを避けて相互扶助を原理とする社会である。生物には環境への適応能力が遺伝子として与えられている。攻撃能力は獲物をとるときだけに発揮され、これを同種に向けてはならないのだ。

人種とか言語の共通項を軸として国家が形成されているが、大事なことは、国家の発生には何らかの宗教が国民を統治する役割を果たした。そして、それが特色ある固有の文明を産んだ点である。それぞれが固有の文明に固執し、その拡大を希求するが故に「文明の衝突」は避けられないものとなる。世界平和のためには国家権力と無関係な宗教が必要である。

 

〇農に霊性を求めた人たち

前号で、中江兆民の原子論に基づく宇宙生命説を紹介したが、彼の説は現代の生命発生論を先取りしたものだとも思われる。ただ、生命の起源については、いくつかの科学的仮説があるが、化学元素を素材として生命が誕生したのは確かである。これら元素を組み合わせて生命を吹き込んだのは神の行為であって、この神を唯一の神とみるか、あるいは諸神の最高神と見るかは宗教によって異なる。

仏教の中でも天台、真言の両宗派は、根源的な宇宙仏として、それぞれ毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ・奈良の大仏に表徴)、大日如来を据えた。(注、この両仏は根本義において同一である。)

毘盧遮那仏を中心仏とする法華経を信奉した宮沢賢治は、その死生観を次の詩で語っている。

われとは畢竟法則(自然的規約)のほかの何でもない
 からだは骨や血や肉や それらは結局さまざまな分子で
 幾十種かの原子の結合 原子は結局真空の一体

 外界もまたしかりわれわが身と外界とをしかく感じ
それらの物質諸種に働くその法則をわれと云ふ

われ死して真空に帰するやふたたびわれを感ずるや
共にそこにあるは一つの法則(因縁)のみ   (詩、1929年2月、の一部)

賢治は「宗教は疲れ近代科学に置換され然も科学は冷たく暗い」と嘆き、「いまやわれらは新たに正しき道を行きわれらの新しき美を作らねばならぬ」と農民をして芸術の道へと誘うのである。そして、「農民芸術とは宇宙感情の 地 人 個性 と通ずる具体的なる表現である」とする。

賢治のいう宇宙感情とは、法華経が説く宇宙仏(毘盧遮那仏)への帰依からくる霊感であろう。しかし農的情緒には憧れたが実際の農業とは生活の上でかなりの隔たりがあった。

実際の農業体験の中から農業の真髄をつかみ取り、それを世に示したのは熊本県八代の松田喜一である。彼は百姓の五段階の発展説を示した。

一段目(最下位)、[生活のための百姓]
二段目、[芸術化の百姓]
三段目、[詩的情操化の百姓]
四段目、[哲学化の百姓]
五段目(最高位)、[宗教化の百姓]。神や仏に一番近いところにいるのが百姓であり。神仏と一体化できる人生を目指せ。」

 これは、まさに実存哲学者であるキルケゴール(1813~55)の三つの実存段階説に類似している。かれは、人間が自己を無為に死なせないためには自らが主体的に生きることを強く主張した。そのためには次の実存段階を上りつめる必要があるとした。すなわち、美的実存―倫理的実存―宗教的実存、である。自己が自己であるためには、自己をここに有らしめたものと関わらなければいけない。ここに有らしめたものとは、いうまでもなく神のことである。彼の宗教の神は聖書の神であって、享楽的人生を捨てて、全身全霊を神にささげて生きることを理想とした。これは、松田の言う神仏との一体化とは、かなり内容が異なるものだろう。

松田の「神や仏に一番近いところにいる百姓」という指摘は重要で、すべての生き物を慈しみ、育む行為の実行者であることを意味している。彼は、到達した最高の技能と技術を惜しみなく弟子たちに与えた。経営者感覚の農民は、最高の技術的ノウハウは絶対に競争相手である同業者には教えない。これがビジネスの本質だ。

百姓の本質は経済行為を超越している。この超越を考慮しないで、「生き物を育て、貨殖(金儲け)を図るのが農業」と認識

し、国家の政策として企業的農業が推進されたところから自給的小農(百姓)は消え去る運命に置かれた。この状況のもとで、小さな有機農業をやり抜くには、それなりの決意が要るし、根性が必要だ。労働の本質は対象の中に自己を形成することである。これは百姓の特権であって、分業化された職種では能力の切り売りだけである。自分が自分である―自由である―ためには、神仏に近い百姓になる以外にはない。つまり銘々が自分教の教祖となることである。

 

 〇神仏と一体化できる人生とは

 大災害時には、多くの人がボランチアとして救援活動を行う。困った人を助けたいという本能が人間には備わっているのである。この無償の利他行為―仏教でいえば菩薩行―のとき人は神となる。人は誰でもその心と行動によって、いつでも神仏と一体致化できるのだ。「他人への奉仕では生活ができない」、と反論される方が多いと思うが。生活と奉仕を両立させるのが人間の甲斐性というものである。この甲斐性をもつ人(真人)の養成に学校教育は機能しなければならないのだが、これは改めて論じたい。

 ごく最近のことであるが、菩薩行の見本に出会った。かねてから布マルチ栽培をとおしてお付き合いのある魚住隆太さん(魚住サステナビリティ研究所代表)から「パクチー」お好きですか」というメールをいただいた。有機農産物を知人に無償で送っているのだ。同氏によれば、これは「恩送り」の行為だという。

 初めて聞いた言葉であったので、語源を伺うと「誰かから受けた恩を、自分は別の人に送る。そしてその送られた人が別の人に渡す。そうして恩が世の中をぐるぐる回ってゆくということ」と、ネットにあると知らせていただいた。

魚住さんはこれに次の二点を加える。⓵すぐに恩送りをする必要はない。じぶんができるようになってからでよい。

②恩には経済的なものに限らない。親身になって相談に乘る。笑顔で人に接すること。いわゆる仏教の布施です。

このような〈恩送り〉が盛大に輪廻していけば、世の中どれほど明るくなるであろうか。写真は魚住農園です。私には「甲斐性天国園」に見えます。この農園を訪問したいです。きっと次の歌の状況に出会うでしょう。

花摘む子らに野の道問えば

蝶のゆくえと花で指す

 水稲布マルチ直播栽培は、田の排水が完全にできる条件を整えて、確実に布浮かべを実行すれば、どなたにも簡単に超省力の稲作ができる。浮いた労力で畑作物の有機栽培をやろう。これは決して難しいものではない。太平洋戦争の直後まで、我々の先輩が伝統農法でやり通してきたものだ。

 絶対に農薬を使わないと決意し、それ実行したとき、人は自分教の教祖となる。

すべての生き物が仲間となる。有機農業での真の収穫は、「万物共生」という心境であると思う。

蝶にも小鳥にも〈恩送り〉をしよう。

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綿幸媛通信76号論説【論説】

自分教の確立に向けて  ―農における霊性の探求―(3)  津野幸人
現代有機農業の真髄―無農薬を決意したとき自分教の主となる―

〇道義の確立が望まれる日本農業

はっきり言って、欧米に比べてわが国の農業者の環境倫理は低い。特に中山間部の老齢者には、違法に農薬を使うのが農業技術であると心得ている者も見られる。戦後の食糧難を切り抜けるために、農業は政策的に大切にされ、違法摘発も緩やかであった。更に、保守党の大票田でもあり、政府補助金もふんだんに与えられ、一部ではこれを不労所得と受け止める向きもある。誇るべき職業倫理を確立した農業者が増えない限り、わが国の個別経営の前途は暗い。

つぎに、わが国の有機農業に目を移そう。これも欧米と比べれば低調である。数少ない有機農業実施者の中には、安心安全の食品の生産・販売が意識の大半を占めておられる方が多い。これを営業宣伝に使うのも結構だが、それでお終いではあまりにも惜しい。現代の有機農業にはもっと深い意義がある。

農業界に限らず政界、財界の道義の退廃は目に余る。その実例は書く必要があるまい。が、政治は次第に戦争への道を歩んでいる。これを回避するには、すべての人がその視座を国家から宇宙へと大転換することだ。感動的な言葉がある。

「考える機会が多いほど、また長ければ長いほど、常に新たなる感嘆と崇敬をともなって私の心を満たしてくれるものが二つある。それは我が頭上の星座と我が内にある道徳律である」これはドイツの大哲学者・カントの墓碑銘だ。彼は常備軍の全廃、国際連合の創設を18世紀末に提言した。

〇宗教の進化―地球から宇宙神へ

キリスト教の唱える「隣人への愛」や、仏教の第一戒律である「不殺生戒」を忠実に実行すれば戦争は回避できたはずだ。しかしながら、人類史は戦争の連続だ。人類の救済を目指すべき既成宗教は国家主義の道具と化している。いまや、それを超える新しい宗教が期待される。国家の枠組みを超えた宇宙的規模の視座をもつ宗教の確立である。

鈴木大拙は、随筆「石」でつぎのように指摘する、「今日の仏教者は、全くわすれたようにしているが、仏教の根本義は、人とその環境とをひとつのものに見るのである。草や木は言うまでもなく、石や土までも生きものになるのである。(中略)。 

人間には実に魔手がある。この魔手は、しかし悪魔の手でなくて神そのものの手である。これを忘れてはならぬ。魔には創造の力がない。破壊するだけだ。それは彼には大悲がないからである。悲は実に創造力なのである。近代人はこの悲を欠くので魔王のごとくに荒れまわる。」(『東洋的な見方』岩波文庫)。世界禅の確立を生涯の悲願とした彼の、戦争への真摯な反省が読み取れる。非((慈悲)は創造力であるという指摘はまことに貴重である。

一口に仏教といっても教義の内容は宗派によって異なるし、その奥義は弟子以外にはうかがい知れない仕組みとなっている。だが、死の危機にさらされながらも在家の身で難解な経典の真髄を体得した例を挙げたい。

戸田城聖(創価学会二代目会長)は治安維持法違反の容疑で2年間の拘置所生活を送った。この中で法華経を熟読して、「仏とは生命である。自分の命にあり、また宇宙の中にもある、宇宙生命の一実体である」との結論を得た。「我というのは宇宙のことだ。違うのは肉体だけで、生命には変わりはない。」という認識に至ったのである。

正直に言うが、私は創価学会の教義や運動実態を知らない。が、その基礎を築いた戸田城聖の言葉は、四十余年にわたる有機農業の実践を通して得た私の思想をすでに代弁している。つまり小我(自分)と大我(宇宙の主催者・梵)との一体化を目指すのだ。

神との神秘的合一(梵我一如)を可能にするような認識は、グノーシス(gunosis)と呼ばれて、古代インドや中東地域の宗教にみられた。また、グノーシスは、初期キリスト教にも見られたが、やがて教義が整理されて、これは異端の行為とされた。このように宗教の内容は変化する。真言密教も釈尊の没後約千年後に、この思想を取り入れて誕生した。宗教も時代と共に進化するのだ。その時代の大衆の心をつかまない宗教は必ず衰退する。

魔手の善用―相互扶助と不殺生戒

同じ種に属する生物は、おたがいに助け合う(利他)のがその本性である。時には競争原理に支配されているかにみえるがそれは宇宙生命の本質ではない。次の感動的な事実を、フランスの動物学者はタイの自然保護区で目撃した。

視力を失ったメスの象が他の血縁関係のないメス象に道案内をしてもらっていた。低い声でお互いの存在を知らせあいながら、緊密な友情を楽しんでいた。案内役の象は明らかに快楽を感じながら、この行動を選択していた。と、いうのだ。

強い自我意識を持つ人間は生死の海に苦しんでいるが、救いは「利他」の中にある。この宇宙仏の大法則に自ら身を投じることが自己改革であり、即身成仏である。そして「不殺生戒」を虫や微生物にも及ぼすということだ。農薬によって虫を殺さないという決意の一瞬が救いであり、この一瞬の裡に無限の慈悲があると私は思う。有機農業は、農薬で虫を殺さないという大原則があるが、これが「大悲」であり、菩薩の慈悲である。

現代の日本農業は大量の農薬散布で成立している。しかも農薬の散布回数は驚くほどのスピードで増加している。そして、昆虫や微生物が薬剤耐性を次々と獲得している。これは真に深刻な事態だ。特に食品の残留農薬に胎児が曝されるのが一番怖い。農薬耐性生物と強力な新農薬開発との果てしない鼬(いたち)ごっこの行く末は、農業生態系の破滅である。我々は、この日本列島に生まれてくる幾百億人の子孫に立派な農業基盤を遺す義務があるのだ。

それは何も難しいことではない。農業生産に従事する人が無農薬を決意して、それを実行すればよいのだ。事実、我々の先祖たちは完全無農薬の農業生産を実行してきた。農業に限らず、現代のすべての分野において科学信仰と工業的能率信仰とが自然環境を破壊し尽そうとしている。農と工は完全に異なった価値観で成立している点をはっきり認識したい。農と工の重大な差異は、前者は生命の発展の成果を期待しており、後者は物財の大量生産を目指している。

世界有数の農薬使用国に成り下がったわが国農業は出口の見えない迷路を歩んでいる。その第一の原因は、狭隘な農地に適した農業を見失ったことである。更に加えれば、農業者の価値観が個性を失い、都市住民のそれと同様になった点である。国民の価値観の形成は、教育を抜きにしては考えられない。

わが国の学校教育は頭脳労働者の養成を基本としている。また、父兄も我が子を有名大学に入れて高所得の職業に就くのを期待している。こうした状況下で農業後継者がいなくなるのは当たり前だ。人間だれしもが個性的な素晴らしい能力を内蔵している。しかし、少年期の教育において、具体的な物つくりからでなければ理論を理解できないという真に個性的な学童がいるのだ。

〇見習うべきガンジーの教育思想

現行の教育は、教壇から教師が知識を授け、それを生徒が暗記する仕組みだ。つまり、知識伝達の経済的効率化である。この方法では知識の創造から生徒たちは疎外されている。あくまでも与えられた知識の範囲内での思考しかできない。独創的な個性を伸ばすには、技能教育から理論を導くところの能力の養成の必要性を、私はずっと提案し続けてきた。(その最初は、「農業教育」No.5・農文協・1970)。

この度、片山佳代子さんの翻訳・編集、「ガンジーの教育論」(星雲社)を拝読して、偉大なるガンジーは、すでに1930年代に同じ趣旨の主張をしていたのを知った。彼の教育論を、荒っぽく要約すれば次の通りである。

  ①    我々の今の教育では事務員を生むだけだ。
    教育は手工業という手段を使って行うべきだ。肉体労働を知的に行うこと。
    生徒は農業と肉体労働をとおして文字、言語、算数などを学ぶべきだ。
    英語および西洋の価値観からの解放。片言英語でインド人同士が意思の疎通をはかるのは、固有の文化の喪失につながる。民族言語を大切にしよう。

 とくに私が片山さんの訳書で注目したのは、「ヨガとは仕事をする技能である。」とギータ(ヨガの聖典)の言葉を引き、「ヨガとは一体を意味します。神々と一体となることがヨガです。仕事をすることで、難なくそのような一体を体験できると、母なるギータは教えます。」(p61)と述べ、仕事に没頭することの重要性を強調する。これは、私が本通信56号で強調した「労役三昧」と期せずして一致している。

 思えば、肉体労働を知らぬバラモン階級はヨガの技法である禅定(座禅)によって三昧境を味わった。一方の農民は労働で三昧に入る。これが労働の苦痛から逃れる術でもある。ヨガは彼らの仕事と一体化しているのだ。

 
〇橘学園の農作業―土光登美の教訓

 横浜市鶴見区獅子ヶ谷にある橘学苑・私立橘女子中学校には個性的な教科「創造」がある。一年生は、飯島興介先生と共に、土を耕し・小麦種を播き・収穫物を粉にして、パン焼きまでを体験した。鈴木美鈴さんは、感想文集に記している。

 “なぜ輸入小麦が安いからといって96%も輸入するのか、私はすごく不思議に思います。そして私はこれについて、日本はお金にこだわっているのではないか、また昔ながらの農業の私たちがやってきた根気を忘れているのではないかと思います。私はこの一年間創造の活動をやって、こういうことが分かってよかったなあと思います。”農耕の実践はかくも見事な批評精神を育むのである。

橘学苑は土光登美女史によって昭和十七年に創立され、当時は橘女学校と名乗った。登美女史は、ロッキード事件後に経団連会長となり、企業からの政治献金の停止を提案した土光敏夫氏のご母堂である。七十歳の身を挺して自ら校主となられたが、惜しくも昭和二十年四月に逝去された。

 学校創立期、宗教の先生を勤めた白土菊枝女史(日蓮信者)が「橘の教育探求50年」誌に寄せた文章によると、登美女史が学校設立を思い立ったのは、太平洋戦争を始めた指導者層への抗議の表明であった。「どんな偉い学者でも、軍人さんでも、政治家でも赤ちゃんの時はみんな、その母に抱かれてその乳を吸って育ちます。母が赤ん坊をむつきのうちから戦争などしないような人間に育つよう教えることで、正しい智慧を働かせる人間を世に送る事になるでしょう。女子教育をするのです。」そして、女子教育は女子の手に委ねるべきだと信じて、白土さんに学苑への協力を要請された。設立資金は登美女史への香典を生前に集めて、これを当てたといわれる。

 女学校設立後、登美校主が力を注いだのは、農作業を重要な教育科目として位置付けることであった。この精神が先に述べた教育科目「創造」に力強く息吹いているのである。登美先生は、「正しきものは強くあれ」という言葉を残した。現代の無気力な世相と、守るべき第一義を見失った教育への警鐘と承る。

 農作業という行為で涵養されるのは、さきの橘女子中学の生徒がいみじくも指摘した「昔ながらの農業の根気」である。農作業に黙々と根気強く従ううちに、省力、効率に支えられた業績主義とは異なる価値観がうまれる。もの作りに手間ひまをかける、これが本当の豊かさであると悟るのである。換言すれば、農業の根気をとおして、物の世界から心の世界へと誘われるのである。

 〇機心を制する「農業の根気」

 業績主義にとり付かれた脳を洗うには格好の話が「荘子」天地篇・第十二の十一にある。

 孔子の弟子、子貢が旅の途中一人の老人を見た。切りとおしの道を降りて井戸端にいき、甕に水を汲んで、それを抱えて上ってきて作物に水をくれている。なんとも能率が悪い。歯がゆく思った子貢は老人に「跳ね釣瓶で水を汲みあげると何十倍も能率が上るよ」と言った。老人は、むっとした顔をしたが、思いなおして笑顔で応えた。「そのからくり(機械)を使うすべは知ってはいるが、機械を使う者は必ず心中にからくり心(機心)がおきる。すると心は純白(本性の姿)でなくなる。これが恥ずかしいから私は、からくりを使わないのじゃよ。」

 機械による能率向上で支えられた産業社会の人間には、受け入れがたい心境だとは思うが、機心の産物である機械文明によって大殺戮戦争が起きたのは厳然たる事実だ。少なくみても二千年以上も前の物語の中で、かの老人のごとく機心を制して、心を純白に保つことの重要性が強調されていたのである。

この物語では、水をくれてやる農作物という物の価値の対極に純白という心の価値を置いている。誰しも双方の価値を手にしたい。古来より人はこの両価性(Ambivalent)の矛盾に身を焦がしてきたのだ。老人においては、矛盾を解消するのが「からくり」仕掛けの排除であった。能率を落として物を得る。同時に心の純白を損なわない。つまり、機心の制御で二つの価値を全うするのである。

右の立場を現代有機農業の価値観の真髄として提示したい。

現代農業という営みの中から機械(からくり)と農薬を排除するとき、果てしない労役が降りかかり、肉体は苦痛に苛まれる。この苦痛から逃れるには、無意識の境地に没入することだ。つまり労役三昧の状態に入るならば肉体の苦痛を忘れることができる。これには、単調な作業に慣れる根気が要る。更に根気の源泉は健康な心身が必要だ。

 かの水汲み老人のごとく、機心を遠ざけて心を純白な状態に保つことのできる肉体こそが健康だといえるのである。

○有機農業の第一義は不殺生戒

有性繁殖においては、精子と卵子という生殖細胞(配偶子)の結合が必須の行為である。雌雄ともに減数分裂によって夫々の配偶子をつくる。このとき自らの所有する染色体を半減する。つまり、自己の遺伝子の半分を捨てるのだ。そして、お互いに遺伝子の半分を捨てた相手細胞と合体して、染色体数を復元し、次代の生物となる。 

子は両親のいずれでもなく、あくまでも子は子である。大切なのは、生まれる直前での「我執を捨てる」という根本原理によって、 我々は生を許されたという事実である。これが生命倫理の第一義であり、原点である。

キャベツにつく青虫は、腹いっぱい食べることで満足して、人間のように食を貯めることをしない。まことに敬愛すべき存在ではないか。人間は自然界の生き物を調理してからでなければ消化できないという原罪を背負った動物である。だが一方では、食を得るための苦役を、三昧の境地によって癒すという恩寵を主催神から授かっている。

この恩寵を享受するには労働に耐える肉体が必要であるが、工業文明は省力を目標としており、人間を限りなく知能ロボットに近付けていると考えられる。我々はもっと自然界の生き物から学ぼう。そこから「棲み分け」による共存と、無用に他の生き物を殺さないという「不殺生戒」が見えてくる。私の唱える「皆でやろう小さい農業」は、食糧自給とともに、本項で述べた内容の実現をも意図している。

【結論】現在、私たちの置かれた農業の状況下で、農薬・化学肥料を使わないと決意し、行動する人は、そのままで自分教の教祖であって、大悲の実行者である。「悲は実に創造力なのである」ことを実現しましよう。自分教の根本教義は七仏通戒偈の冒頭の一句です。

 諸悪莫作(しょあくまくさ=悪いことをするな。)          合掌


綿幸媛通信80号論説(3、4頁)

自分教の確立(5)

集団の倫理を超える倫理を求めて

津野幸人

○官僚技術と補助金の悪用を糾弾する

田植え後に施す除草剤を初期除草剤というが、農家の間では一発除草剤と呼んでいる。その名のとおりこれを散布すると草だけでなくあらゆる生き物はいなくなる。水が澄み切って撒いた本人も「気味がわるい」と言っているほどだ。撒布後一〇日間は田に水を湛えておくのが使用条件だが、カニやモグラが畦にあけた孔や、コンクリート畦のヒビ割れから田の水が水路に落ちてしまう。そこで、除草剤を二発三発と撒く人が多い。現在の水田除草剤は魚毒性が軽減されていても、植物を枯らす力は強まっているので、水路に流出すれば淡水魚の餌となる藻類を徹底的に枯らすのだ。このために水田地帯には魚がいなくなった。

全国的な規模でおこなわれているスミチオンの森林散布であるが、これで目的とする「松くい虫の防除」が実現できた例があるだろうか。松枯れの原因は林床に灌木が茂り、その落葉が堆積して、降水を貯留して土壌が湿るからだ。松の盆栽に過度に水をやれば、じきに枯れてしまう。林業関係者は早い時期に、根の弱った松に「ザイノセンチュウ」の寄生がみられることは分かっていた。だが、農薬散布の補助金欲しさに、散布を止めようとはしない。まさに確信犯の見本だ。

山林は農地解放の枠外であった。山林地主は、戦後の復興による木材高騰でボロもうけをした夢が捨てきれない。彼らは全国一律に美しい広葉樹林を伐採して、その跡地に杉苗、ヒノキ苗を補助金で植えまくった。昨今では、人件費の高騰で間伐できないから補助金を出せという。とんでもない話で、全国の花粉病患者に慰藉料を払うべきだ。 

稲作農家でも、老人たちは戦後の食料不足時代に懐を潤したヤミ米収入が忘れられない。法律違反で利潤を上げるという行為は人間としての倫理感覚を麻痺させたに違いない。この倫理喪失が自らの環境破壊から目を背けている。さらに言えば農業の正しい発展を妨げている。いま、これらの反省に立って、農業者は新たな職業倫理を確立すべき時ではないか。 

○環境問題―政府。役人頼むに足りず

私は、久しい以前から機会あるごとに白菜やキャベツの結球開始時に、浸透性殺虫剤を一つまみあて幼芽に処理する作業を非難し続けてきた。この作業は農民としての倫理感を奪ってしまう。技術指導に当たる官僚が推薦・普及した農薬だという事実が、利用者にある種の安堵感を与えるのだ。この殺虫剤の効果は30~40日に及ぶ、この間に虫はつかないので、外観だけはきれいな野菜が収穫できる。が、農薬が無毒化できているという保証はない。

最近はネオニコチノイド(類似した7種の薬剤の総称)が低毒性という宣伝で、これを野菜の定植時に土壌へ撒くようになった。水分と一緒に吸収されるから洗っても取れない。以前の殺虫剤のポイ入れは、実施者の良心を咎めたが、ネオニコチノイドは無害というお墨付きがあるので一段と使用範囲が拡大したようだ。しかしながらこの農薬の3種類はヨーロッパでは使用禁止となっている。略称ネオニコは、使用禁止となっているBHCと同様に昆虫の神経伝達系を破壊して殺虫する仕組みだ。それ故に残留農薬が人間の胎児への悪影響が懸念されている。

○農薬による破壊に終止符を打とう

わが国の農業政策では、伝統農業を脱皮して産業社会に対応するための改革が推進されてきた。極論すれば、その内容は農業の工業化である。さらに、消費動向に対応した品種改良と農産物の品質管理の徹底だ。これを支えているのは農薬の多用である。農薬使用が急増したのは一九五五年(昭和三〇)頃からであるが、現在の農薬使用回数は異常である。回数増加の原因は、病原菌や害虫が薬剤耐性の遺伝子を獲得したからだ。

原発廃棄物の放射能も怖いが、昆虫や植物病原菌の薬剤耐性遺伝子の獲得も同様に怖い。農薬なしでは食糧生産ができなくなるからだ。右に述べた農薬使用を推進してきたのは官僚農業技術者だ。環境アセスメントは彼らの責任で推進すべきだが、彼らには山川風土に対する愛情がない。あるのは許認可権への執着だけ。

彼らは無農薬農業者には露骨な敵意を示す。なぜならば農薬会社は官僚技術者の再就職先となっていからだ。各種作物の「栽培ごよみ(指針)」には推奨農薬の商品名が載っている。担当役人がどの農薬会社と親密な関係にあるかが一目でわかる。昭和50年前後だが、複数県の農業試験場・農薬試験担当者の一団とインドネシア・ジャカルタ市のホテルで泊まり合わせた。聞けば農薬会社の招待で海外視察を行ったとのこと。 

わが国の害虫や病原菌は確実に遺伝子の変化で農薬環境に適応している。これを何とかせんといけんのである。農薬による深刻な環境破壊を防ぐには、使用者側において、生産環境を守るという職業倫理の確立が必須の条件である。

農政担当者は規模拡大や特産物の開発ばかりを口にするが、日本国の食糧自給の設計と農薬による環境破壊を食い止める方策の確立を放棄している。明治期の秋田の老農・石川理紀之助が災害復興に際して叫んだように、「政府、役人頼むに足りず。ただ、自力更生あるのみ」といった気概を農業者は取り戻そう。

○日本人を支えた倫理観とその限界

 仁義という言葉は、現在ではヤクザ社会の専門用語のような感があるが、その本来の正しい理念は儒教社会における倫理の中核に位置していた。この源流を探れば、中国古代国家・周の時代の孔子にたどり着く。ヨーロッパ農本主義の理論的創設者と目されるフランスのケネー(1694~1774)は、周時代の農業国家を人類の産んだ最高の制度とした。彼は自分のペンネームを「孔子」としたほど儒教道徳に傾倒していた。徳川時代の武士は、それぞれの藩校において儒教朱子学をまなんだので、これが武士倫理の中核であった。江戸後期になると、儒学に仏教の影響を受けた陽明学を学ぶものも増えた。この学風は学理の実践を特徴とした。

大阪の陽明学者・大塩平八郎が与力の身でありながら天保飢饉に際して、救民のため幕政批判の兵を挙げた。事件を風聞した二宮尊徳(1856没)は、大塩の行動は仁か不仁かを知人に手紙で糾している。これが当時における第一義の倫理基準であった。

さらに江戸時代後期には老荘思想の影響とみられる清貧の思想も、一部文人の倫理基準に組み込まれたが、日本人の倫理観の主流は、古来よりの神道に儒教と仏教が習合消化され、尊徳の言う神儒仏を丸薬にして飲むという日本的倫理の基本骨格が庶民の間で形成されたのである。 

 こうした倫理の形成を促したのは石田梅岩(1744没)と、その弟子達の説いた石門心学の流行も見逃すことはできない。石門心学の始めは京都で開講されたが、弟子達によって江戸の町人、更には武士に及び、関東一円の農村にも波及した。心学とは学理の実践を主張する学であって、経典の字句の解釈に終始する学は経学と呼ばれた。この意味で二宮尊徳は誰よりも忠実な心学徒であった。あるとき漢学者に「マメとはどう書くか」と問い、いろいろと学者に漢字を書かせた末に「マメはこれだ」といって箸でマメをつまんで示したという。

○石門心学に見る乞食の仁義

ところで、梅岩の著書『都鄙(とひ)問答』(1739)に次の話がある。

 ある時、乞食の親分に祝い事があって、子分の乞食が病気中であるにもかかわらず茄子三本を祝儀として届けた。不審に思った親分が事情を詮索してみると、それは義理を立てるために盗んだ品であることが分った。「我われは盗みをしたくないから乞食をしているのだ。」といって、子分の病気回復を待ってから仲間集団から追放したという。

「不盗」という倫理を貫くために乞食をする。まことに見上げた心根だとは思ったが、私は集団を追放された乞食の行く末が気になって仕方がない。彼は盗みの仲間に身を沈めたのではあるまいか。

自己が帰属する集団に対してのみ仁義を貫くのは普遍的な倫理とは言えない。それは、特定集団を維持するための規律であって、現代においても部族社会や農村共同体で保持されている。また、深く観察すれば、利益を共有する集団では、先に見た「乞食の仁義」に類似した論理が、倫理の名で今もまかり通っている。これが昂じれば過激な国家主義者の唱える盲目的な愛国心となる。米国大統領・トランプ氏の唱えるアメリカン・ファーストがそれだ。

倫理に普遍を求めるならば、人間の理性か、あるいは、それを凌駕するところの霊性に根差したものであることが必要であろう。個別的集団の倫理が人類共通のものとして普遍性を持つには、どうしても理性をも超えた霊性に根ざすことが必要だと考えられる。

道徳は個人の自我を克服できない

鈴木大拙は著書『禅の思想』(第2編)で、道徳と宗教について次のように述べている。まことに重要な示唆である。

“道徳的行為にはいつも限られたものがつきまとう、十分の意味で、超個なるものを具現しえない。これはどうしても宗教的生涯にはいらぬと不可能である。両者は矛盾しない。ちょうど著衣喫飯が宗教的行為であると同時に、人間の生理的・生物的・社会的行為であるようなものである。矛盾または衝突は、著衣喫飯を先にして、そのうちにある宗教的意味を埋め去ろうとするときに生ずる。“

つまり、「道徳」の守備範囲は自我周辺の利害にとどまり、これを超えて一段と高い境地に達するには、そこに宗教(霊性)を包摂した状態が必要である、というのである。大拙師のいう超個とは自我を超越した状態を示すが、そこでは霊性のはたらきを覚知するから、飲み食いや着物を着るという日常の行為そのものが宗教的だというのである。

然しながら、現代の神道・佛教の実態は、衆生をして霊性の自覚に導いているであろうか。神主、僧侶は祈祷や葬儀一辺倒で、民衆への宗教本義の説話は極めて稀だ。自己の霊性を開発するには「坊主、神主頼むに足りず」、どうしても自らが宇宙神を発見して、自分教を確立する必要があるのだ。

○宇宙神の認識は閉ざされていた

すべての生き物をして平等の地平に並置し、其の命は宇宙神のしからしめたものであるという古代インド人の認識は、7世紀インドにおいて仏教・真言密教に組み込まれた。“人も動物もありとあらゆる生命は、昔わが師匠であり、いつかの父母である。生死の海に苦しむも、いつかともに救われん。”この文言は、真言宗石手寺(松山市)刊行の「梵行」にあるが、これがこの宗派の生命観である。

しかし、根本命題である「人は大日如来の分身である、」とはどこにも書いてない。この点、大本教は歯切れがよい。出口ナオ教祖は次のようにずばりと述べている。

「日本の人民は天の大神様の分霊なり、・・人民は神と同じことであるぞよ。」(『伊都能売神諭』大本教刊行委員会p45)。

戦前の歴史で有名な政府による大本教の大弾圧は、この基本宣言で宣揚された思想が、当時の天皇制の根幹をなすところの天皇神人説と真っ向から衝突した結果ではあるまいか。出口ナオ教祖にすれば、天皇も神ならば、人民もこれまた神である。この思想を非とするならば、弘法大師・空海の説く「即身成仏」も同罪としなければならない。聖徳太子(574~622)は法華経を重視されたし、奈良の大仏は宇宙仏である毘盧遮那仏だ。これらの根本教義は出口ナオ教祖のそれと一致する。明治25年に発足した大本教団は、民衆に迎えられて、爆発的な大発展を遂げたのであるが、この時期では弾圧を受けた。

また、創価学会二代目会長の戸田城聖師は、戦前に治安維持法違反容疑で捕らえられた。その獄中で法華経を熟読して「仏とは生命である。自分の命にあり、また宇宙の中にもある」との結論を得て、戦後に創価学会活動を再開した。学会はご承知の通りの発展を遂げている。その関わっている政界自体の右傾化が指摘される昨今だが、信教の自由を守る民主主義を大切にしてほしいと願う。ついでながら我が国での国家権力と宗教との関係の一断面に触れておく。

封建制の下では、政治の基本を覆すような教義は、宗教家自身が保身のためにひたすら押し隠して来たと推察する。徳川時代の佛教寺院は、行政機関の一翼を担い、戸籍管理や旅行手形の発行まで行った。この代償として「妻帯・肉食」が黙認されたのである。

仏陀によって戒められていた世俗権力への接近が、もはや空文に化したのだ。真言宗においては、人間が生きながらにして仏となる「即身仏」の修業は寺院内の秘儀となって、世俗衆人からは縁のないものとなった。僧侶の生計を支える葬儀ばかりが盛大なものとなったのである。

明治になって封建制から解放された人民は、自分の口で霊性を語れるようになったのだ。これは民間新宗教が輩出したことで証明されているのだが、その多くの宗派は国家神道との軋轢を意識的に避けている。宗教が真に国民のものとなるには、敗戦を待たねばならなかった。

更に世界の宗教史を遡れば、人が限りなく神に近づいていくことを宗教目的とする信仰はギリシャ周辺にあり、そのなかでも著名なのはマニ教である。真言密教の護摩木焚きはマニ教の儀式に倣っている。キリスト教思想の哲学的展開に貢献したアウグスチヌス(354~430)も初期は、熱心なマニ教信者であったが、やがて「回心」して、人が神に近づくという思想(グノーシス)は異端とした。あくまでも、神は祈りの対象であり、救済主であらねばならないのだ。

○自分教の確立で職業倫理を創ろう

 明治期において中江兆民は、著書『一年有半』で「禽獣虫魚を疎外し軽蔑して、只人という動物のみを割り出しにして考察するがゆえに、神の存在とか、この動物に癒合の良い論説を並び立て」と人間優位のキリスト教を批判し、虫や獣と人間の生命との平等性を唱えた。かれは唯物論者を自任していたが、仏教にも精通していた、彼の強調する宇宙的視野とは、宇宙仏を意識したものであると思われる。

宇宙仏・大日如来を信奉する真言宗の基本経典は、大日経と金剛経である。

大日経には信者への実践指針が「三句の法門」として示されている。仏心とは如来の分身であるところのあらゆる生命をいつくしむこと、だと私は理解する。

菩提心を因とし―仏心に則り

大悲を根としーその慈悲を戴して

方便を究竟(くぎょう)とす―利他に徹せよ

 他者即仏を喜ばすことで自個も仏となる。これが教えの首尾で、真の倫理だと思う。右のような考えに至れば、もはや坊主の説教は不要である。自分で利他という教義を実行するのみだ。

利他の行を実行しているのは、全国に散在する有機農業者である。有機農業が農業として成り立つ新しい経営形態の創造と、経済発展至上主義を超克した価値観の創造という大課題を黙々と実践している。この行為が現時点では利他―共有する環境を守るーとなっている。期せずしてこれが農業の永続性を確保している。規模は小さくても良い。高い倫理観に支えられた努力の積み重ねが我々の環境と健康を守るのである。ことさらに言挙げする必要は無い。無農薬で生き物に慈悲を施す。利他は自利だ。

肉体労働で。打ち下ろす鍬こそ、仏行だ。鍬を握る指はすでに印を結んでいる。吐く吐息は真言だ。心は一心不乱の労役三昧。これぞ即身成仏の境地(加地)である。肉体労働には無限の醍醐味がある。労役三昧こそ有機農業の果実だ。

科学は冷たくて心を温めない。我々の欲望を刺激し、合理主義の奴隷とする。宇宙に視線を放ち、霊感を研ぎ澄まそう。これぞ「自分教」の修行である。

 

綿幸媛通信80号論説(3、4頁)

自分教の確立(5)

集団の倫理を超える倫理を求めて     津野幸人

○官僚技術と補助金の悪用を糾弾する

田植え後に施す除草剤を初期除草剤というが、農家の間では一発除草剤と呼んでいる。その名のとおりこれを散布すると草だけでなくあらゆる生き物はいなくなる。水が澄み切って撒いた本人も「気味がわるい」と言っているほどだ。撒布後一〇日間は田に水を湛えておくのが使用条件だが、カニやモグラが畦にあけた孔や、コンクリート畦のヒビ割れから田の水が水路に落ちてしまう。そこで、除草剤を二発三発と撒く人が多い。現在の水田除草剤は魚毒性が軽減されていても、植物を枯らす力は強まっているので、水路に流出すれば淡水魚の餌となる藻類を徹底的に枯らすのだ。このために水田地帯には魚がいなくなった。

全国的な規模でおこなわれているスミチオンの森林散布であるが、これで目的とする「松くい虫の防除」が実現できた例があるだろうか。松枯れの原因は林床に灌木が茂り、その落葉が堆積して、降水を貯留して土壌が湿るからだ。松の盆栽に過度に水をやれば、じきに枯れてしまう。林業関係者は早い時期に、根の弱った松に「ザイノセンチュウ」の寄生がみられることは分かっていた。だが、農薬散布の補助金欲しさに、散布を止めようとはしない。まさに確信犯の見本だ。

山林は農地解放の枠外であった。山林地主は、戦後の復興による木材高騰でボロもうけをした夢が捨てきれない。彼らは全国一律に美しい広葉樹林を伐採して、その跡地に杉苗、ヒノキ苗を補助金で植えまくった。昨今では、人件費の高騰で間伐できないから補助金を出せという。とんでもない話で、全国の花粉病患者に慰藉料を払うべきだ。 

稲作農家でも、老人たちは戦後の食料不足時代に懐を潤したヤミ米収入が忘れられない。法律違反で利潤を上げるという行為は人間としての倫理感覚を麻痺させたに違いない。この倫理喪失が自らの環境破壊から目を背けている。さらに言えば農業の正しい発展を妨げている。いま、これらの反省に立って、農業者は新たな職業倫理を確立すべき時ではないか。 

○環境問題―政府。役人頼むに足りず

私は、久しい以前から機会あるごとに白菜やキャベツの結球開始時に、浸透性殺虫剤を一つまみあて幼芽に処理する作業を非難し続けてきた。この作業は農民としての倫理感を奪ってしまう。技術指導に当たる官僚が推薦・普及した農薬だという事実が、利用者にある種の安堵感を与えるのだ。この殺虫剤の効果は30~40日に及ぶ、この間に虫はつかないので、外観だけはきれいな野菜が収穫できる。が、農薬が無毒化できているという保証はない。

最近はネオニコチノイド(類似した7種の薬剤の総称)が低毒性という宣伝で、これを野菜の定植時に土壌へ撒くようになった。水分と一緒に吸収されるから洗っても取れない。以前の殺虫剤のポイ入れは、実施者の良心を咎めたが、ネオニコチノイドは無害というお墨付きがあるので一段と使用範囲が拡大したようだ。しかしながらこの農薬の3種類はヨーロッパでは使用禁止となっている。略称ネオニコは、使用禁止となっているBHCと同様に昆虫の神経伝達系を破壊して殺虫する仕組みだ。それ故に残留農薬が人間の胎児への悪影響が懸念されている。

○農薬による破壊に終止符を打とう

わが国の農業政策では、伝統農業を脱皮して産業社会に対応するための改革が推進されてきた。極論すれば、その内容は農業の工業化である。さらに、消費動向に対応した品種改良と農産物の品質管理の徹底だ。これを支えているのは農薬の多用である。農薬使用が急増したのは一九五五年(昭和三〇)頃からであるが、現在の農薬使用回数は異常である。回数増加の原因は、病原菌や害虫が薬剤耐性の遺伝子を獲得したからだ。

原発廃棄物の放射能も怖いが、昆虫や植物病原菌の薬剤耐性遺伝子の獲得も同様に怖い。農薬なしでは食糧生産ができなくなるからだ。右に述べた農薬使用を推進してきたのは官僚農業技術者だ。環境アセスメントは彼らの責任で推進すべきだが、彼らには山川風土に対する愛情がない。あるのは許認可権への執着だけ。

彼らは無農薬農業者には露骨な敵意を示す。なぜならば農薬会社は官僚技術者の再就職先となっていからだ。各種作物の「栽培ごよみ(指針)」には推奨農薬の商品名が載っている。担当役人がどの農薬会社と親密な関係にあるかが一目でわかる。昭和50年前後だが、複数県の農業試験場・農薬試験担当者の一団とインドネシア・ジャカルタ市のホテルで泊まり合わせた。聞けば農薬会社の招待で海外視察を行ったとのこと。 

わが国の害虫や病原菌は確実に遺伝子の変化で農薬環境に適応している。これを何とかせんといけんのである。農薬による深刻な環境破壊を防ぐには、使用者側において、生産環境を守るという職業倫理の確立が必須の条件である。

農政担当者は規模拡大や特産物の開発ばかりを口にするが、日本国の食糧自給の設計と農薬による環境破壊を食い止める方策の確立を放棄している。明治期の秋田の老農・石川理紀之助が災害復興に際して叫んだように、「政府、役人頼むに足りず。ただ、自力更生あるのみ」といった気概を農業者は取り戻そう。

○日本人を支えた倫理観とその限界

 仁義という言葉は、現在ではヤクザ社会の専門用語のような感があるが、その本来の正しい理念は儒教社会における倫理の中核に位置していた。この源流を探れば、中国古代国家・周の時代の孔子にたどり着く。ヨーロッパ農本主義の理論的創設者と目されるフランスのケネー(1694~1774)は、周時代の農業国家を人類の産んだ最高の制度とした。彼は自分のペンネームを「孔子」としたほど儒教道徳に傾倒していた。徳川時代の武士は、それぞれの藩校において儒教朱子学をまなんだので、これが武士倫理の中核であった。江戸後期になると、儒学に仏教の影響を受けた陽明学を学ぶものも増えた。この学風は学理の実践を特徴とした。

大阪の陽明学者・大塩平八郎が与力の身でありながら天保飢饉に際して、救民のため幕政批判の兵を挙げた。事件を風聞した二宮尊徳(1856没)は、大塩の行動は仁か不仁かを知人に手紙で糾している。これが当時における第一義の倫理基準であった。

さらに江戸時代後期には老荘思想の影響とみられる清貧の思想も、一部文人の倫理基準に組み込まれたが、日本人の倫理観の主流は、古来よりの神道に儒教と仏教が習合消化され、尊徳の言う神儒仏を丸薬にして飲むという日本的倫理の基本骨格が庶民の間で形成されたのである。 

 こうした倫理の形成を促したのは石田梅岩(1744没)と、その弟子達の説いた石門心学の流行も見逃すことはできない。石門心学の始めは京都で開講されたが、弟子達によって江戸の町人、更には武士に及び、関東一円の農村にも波及した。心学とは学理の実践を主張する学であって、経典の字句の解釈に終始する学は経学と呼ばれた。この意味で二宮尊徳は誰よりも忠実な心学徒であった。あるとき漢学者に「マメとはどう書くか」と問い、いろいろと学者に漢字を書かせた末に「マメはこれだ」といって箸でマメをつまんで示したという。

○石門心学に見る乞食の仁義

ところで、梅岩の著書『都鄙(とひ)問答』(1739)に次の話がある。

 ある時、乞食の親分に祝い事があって、子分の乞食が病気中であるにもかかわらず茄子三本を祝儀として届けた。不審に思った親分が事情を詮索してみると、それは義理を立てるために盗んだ品であることが分った。「我われは盗みをしたくないから乞食をしているのだ。」といって、子分の病気回復を待ってから仲間集団から追放したという。

「不盗」という倫理を貫くために乞食をする。まことに見上げた心根だとは思ったが、私は集団を追放された乞食の行く末が気になって仕方がない。彼は盗みの仲間に身を沈めたのではあるまいか。

自己が帰属する集団に対してのみ仁義を貫くのは普遍的な倫理とは言えない。それは、特定集団を維持するための規律であって、現代においても部族社会や農村共同体で保持されている。また、深く観察すれば、利益を共有する集団では、先に見た「乞食の仁義」に類似した論理が、倫理の名で今もまかり通っている。これが昂じれば過激な国家主義者の唱える盲目的な愛国心となる。米国大統領・トランプ氏の唱えるアメリカン・ファーストがそれだ。

倫理に普遍を求めるならば、人間の理性か、あるいは、それを凌駕するところの霊性に根差したものであることが必要であろう。個別的集団の倫理が人類共通のものとして普遍性を持つには、どうしても理性をも超えた霊性に根ざすことが必要だと考えられる。

道徳は個人の自我を克服できない

鈴木大拙は著書『禅の思想』(第2編)で、道徳と宗教について次のように述べている。まことに重要な示唆である。

“道徳的行為にはいつも限られたものがつきまとう、十分の意味で、超個なるものを具現しえない。これはどうしても宗教的生涯にはいらぬと不可能である。両者は矛盾しない。ちょうど著衣喫飯が宗教的行為であると同時に、人間の生理的・生物的・社会的行為であるようなものである。矛盾または衝突は、著衣喫飯を先にして、そのうちにある宗教的意味を埋め去ろうとするときに生ずる。“

つまり、「道徳」の守備範囲は自我周辺の利害にとどまり、これを超えて一段と高い境地に達するには、そこに宗教(霊性)を包摂した状態が必要である、というのである。大拙師のいう超個とは自我を超越した状態を示すが、そこでは霊性のはたらきを覚知するから、飲み食いや着物を着るという日常の行為そのものが宗教的だというのである。

然しながら、現代の神道・佛教の実態は、衆生をして霊性の自覚に導いているであろうか。神主、僧侶は祈祷や葬儀一辺倒で、民衆への宗教本義の説話は極めて稀だ。自己の霊性を開発するには「坊主、神主頼むに足りず」、どうしても自らが宇宙神を発見して、自分教を確立する必要があるのだ。

○宇宙神の認識は閉ざされていた

すべての生き物をして平等の地平に並置し、其の命は宇宙神のしからしめたものであるという古代インド人の認識は、7世紀インドにおいて仏教・真言密教に組み込まれた。“人も動物もありとあらゆる生命は、昔わが師匠であり、いつかの父母である。生死の海に苦しむも、いつかともに救われん。”この文言は、真言宗石手寺(松山市)刊行の「梵行」にあるが、これがこの宗派の生命観である。

しかし、根本命題である「人は大日如来の分身である、」とはどこにも書いてない。この点、大本教は歯切れがよい。出口ナオ教祖は次のようにずばりと述べている。

「日本の人民は天の大神様の分霊なり、・・人民は神と同じことであるぞよ。」(『伊都能売神諭』大本教刊行委員会p45)。

戦前の歴史で有名な政府による大本教の大弾圧は、この基本宣言で宣揚された思想が、当時の天皇制の根幹をなすところの天皇神人説と真っ向から衝突した結果ではあるまいか。出口ナオ教祖にすれば、天皇も神ならば、人民もこれまた神である。この思想を非とするならば、弘法大師・空海の説く「即身成仏」も同罪としなければならない。聖徳太子(574~622)は法華経を重視されたし、奈良の大仏は宇宙仏である毘盧遮那仏だ。これらの根本教義は出口ナオ教祖のそれと一致する。明治25年に発足した大本教団は、民衆に迎えられて、爆発的な大発展を遂げたのであるが、この時期では弾圧を受けた。

また、創価学会二代目会長の戸田城聖師は、戦前に治安維持法違反容疑で捕らえられた。その獄中で法華経を熟読して「仏とは生命である。自分の命にあり、また宇宙の中にもある」との結論を得て、戦後に創価学会活動を再開した。学会はご承知の通りの発展を遂げている。その関わっている政界自体の右傾化が指摘される昨今だが、信教の自由を守る民主主義を大切にしてほしいと願う。ついでながら我が国での国家権力と宗教との関係の一断面に触れておく。

封建制の下では、政治の基本を覆すような教義は、宗教家自身が保身のためにひたすら押し隠して来たと推察する。徳川時代の佛教寺院は、行政機関の一翼を担い、戸籍管理や旅行手形の発行まで行った。この代償として「妻帯・肉食」が黙認されたのである。

仏陀によって戒められていた世俗権力への接近が、もはや空文に化したのだ。真言宗においては、人間が生きながらにして仏となる「即身仏」の修業は寺院内の秘儀となって、世俗衆人からは縁のないものとなった。僧侶の生計を支える葬儀ばかりが盛大なものとなったのである。

明治になって封建制から解放された人民は、自分の口で霊性を語れるようになったのだ。これは民間新宗教が輩出したことで証明されているのだが、その多くの宗派は国家神道との軋轢を意識的に避けている。宗教が真に国民のものとなるには、敗戦を待たねばならなかった。

更に世界の宗教史を遡れば、人が限りなく神に近づいていくことを宗教目的とする信仰はギリシャ周辺にあり、そのなかでも著名なのはマニ教である。真言密教の護摩木焚きはマニ教の儀式に倣っている。キリスト教思想の哲学的展開に貢献したアウグスチヌス(354~430)も初期は、熱心なマニ教信者であったが、やがて「回心」して、人が神に近づくという思想(グノーシス)は異端とした。あくまでも、神は祈りの対象であり、救済主であらねばならないのだ。

○自分教の確立で職業倫理を創ろう

 明治期において中江兆民は、著書『一年有半』で「禽獣虫魚を疎外し軽蔑して、只人という動物のみを割り出しにして考察するがゆえに、神の存在とか、この動物に癒合の良い論説を並び立て」と人間優位のキリスト教を批判し、虫や獣と人間の生命との平等性を唱えた。かれは唯物論者を自任していたが、仏教にも精通していた、彼の強調する宇宙的視野とは、宇宙仏を意識したものであると思われる。

宇宙仏・大日如来を信奉する真言宗の基本経典は、大日経と金剛経である。

大日経には信者への実践指針が「三句の法門」として示されている。仏心とは如来の分身であるところのあらゆる生命をいつくしむこと、だと私は理解する。

菩提心を因とし―仏心に則り

大悲を根としーその慈悲を戴して

方便を究竟(くぎょう)とす―利他に徹せよ

 他者即仏を喜ばすことで自個も仏となる。これが教えの首尾で、真の倫理だと思う。右のような考えに至れば、もはや坊主の説教は不要である。自分で利他という教義を実行するのみだ。

利他の行を実行しているのは、全国に散在する有機農業者である。有機農業が農業として成り立つ新しい経営形態の創造と、経済発展至上主義を超克した価値観の創造という大課題を黙々と実践している。この行為が現時点では利他―共有する環境を守るーとなっている。期せずしてこれが農業の永続性を確保している。規模は小さくても良い。高い倫理観に支えられた努力の積み重ねが我々の環境と健康を守るのである。ことさらに言挙げする必要は無い。無農薬で生き物に慈悲を施す。利他は自利だ。

肉体労働で。打ち下ろす鍬こそ、仏行だ。鍬を握る指はすでに印を結んでいる。吐く吐息は真言だ。心は一心不乱の労役三昧。これぞ即身成仏の境地(加地)である。肉体労働には無限の醍醐味がある。労役三昧こそ有機農業の果実だ。

科学は冷たくて心を温めない。我々の欲望を刺激し、合理主義の奴隷とする。宇宙に視線を放ち、霊感を研ぎ澄まそう。これぞ「自分教」の修行である。