アルビン・ワインバーグ博士について


アルビン・ワインバーグ(Alvin M. Weinberg、1915年4月20日 - 2006年10月18
日)は、アメリカ合衆国シカゴ出身の核物理学者で、オークリッジ国立研究所の
教授だった。彼は1945年にテネシー州オーク・リッジへ来た。

彼は研究所の調査担当重役になった時、1945年から1948年の間は物理部門の管理
職を務めた。そして彼は1955年から1973年の間、オークリッジ国立研究所の所長
を務めた。


「学際的な問題解決--「トランス・サイエンス」が必要とされる時代

Q  人々の意識が変わり、科学技術の意味が変わってきたなかで、科学技術が
もたらす複雑な問題についての新しい問題解決の手法の確立が求められてきた
わけですね。


A  その問題をいち早く捉え、「トランス・サイエンス」と名付けたのが、物
理学者のアルヴィン・ワインバーグです。ワインバーグは1972年に書いた論文
の中で、科学技術のもたらす問題の中には、もはや科学だけでは解決できない
ものが増えており、こういった問題の解決のためには科学を超えた次元での議
論が必要だと主張しました。
 ワインバーグは、原子力発電所の多重防護の安全監視システムについて、そ
のすべてが故障する確率はきわめて低いというところまでは、科学者の理解は
とりあえず一致する。しかし、「きわめて低い確率」を、科学的な見地から
「事故は起こりえない」と言っていいのか、あるいはいくら低確率でも起きれ
ば凄まじい被害が生じるのだから、そこは「事故は起こりうる」と想定し、対
応策を考えるべきなのかという点については、科学者の理解は分かれることを
指摘しました。
 この究極の判断は、科学の論理では解けない、答えが出せないのだ、この問
題を解くのは「サイエンス」ではない、「トランス・サイエンス」なのだとい
うのがワインバーグの主張です。

Q  そこでワインバーグが指しているのは、自然科学という意味での「科学」
ですか。それとも、社会科学や人文科学を含めたすべての「科学」なのでしょ
うか。


A  通常の意味の「自然科学」です。自然科学を模倣してきたタイプの社会科
学などは含まれると思いますが。
 ワインバーグの先見の明の高さは、科学は万能ではないという指摘に加えて、
問題解決の鍵を握るのは専門家と市民とのコミュニケーション回路であるとい
うことを、いち早く指摘している点です。1970年代のソ連とアメリカの原子力
発電所の安全対策を比較して、ソ連は安全対策が薄く、 逆にアメリカの安全対
策は技術者の感覚からすれば少し過剰なほど厳重になっている。 その理由を、
ソ連には一般の人々の声を聞くチャンネルがなく、技術者の判断だけで進めて
いるからであり、アメリカの場合は、専門家と市民との議論のチャンネルが確
立しているから、市民の声を技術者が受け入れて、多重防護のシステムを厚く
しているのだと述べています。

Q  1972年の時点で、一人の物理学者がそこまで指摘していたというのは凄い
ことですね。


A  そうですね。さらにワインバーグが偉いのは、人々とのディスカッション
は、科学者にとっては面倒でうっとうしいものかもしれないが、でもそれでい
いのだ、科学技術のスポンサーはほかならぬ国民であり、アメリカは民主主義
で成り立っている国だから当然なのだと、そこまで言及しているところです。
 ワインバーグは、物理学者の間では非常に高名で、日本でも多くの方が「彼
の本を読んで物理学を勉強しました」というほどの存在です。ところが同じワ
インバーグが、『ミネルヴァ』という社会科学系の雑誌に「トランス・サイエ
ンス」という論文を書いているということをご存知の方には、ほとんどお会い
したことがありません。どうも日本では、ワインバーグの一面だけが知られて
いて、彼が少なくとも科学技術と社会全体の関係について目配りのある学者で
あったことは把握されてこなかったようなのです。

 ここで私がいちばん問題にしたいのは、日本の原子力の専門家は、アメリカ
の技術を大変よく勉強し、手厚い多重防護システムも一緒に取り入れた。しか
しそこでは、ワインバーグが指摘したような「アメリカはなぜそうなっている
のか」という、社会的なシステムまではつかみきれずに、技術的なシステムの
導入で終わってしまったのだろうということです。 Q  アメリカでは30年前
にすでに意識されていたことが、日本では今日までずっと認識されずに来てし
まったと…。 A  日本の原子力には、安全性の「科学」があっても、科学を
超えた哲学や思想を含む「トランス・サイエンス」の場が形成されてこなかっ
たし、それを形成する議論が決定的に欠落してきたと思います。近年、原子力
関連の事故が多くありましたが、これも原子力の問題を、即物的な安全管理の
面だけで議論してきたことの結果でしょう。死者までが出てしまって、あまり
にも哀しい結果だったなと思います。


戦後日本の原子力発電計画に対する一人の米国人物理学者の諌言*1
CommentsAdd Starjrf (green)okagesamade40burieclaw
(川本 稔 2011年4月8日)

 1957年、私は当時の岸内閣の経済閣僚であった高崎達之助氏の命を受け、原子
力の平和利用の現状視察のため同僚と二人でアメリカへ渡った。

 当時日本の原子力に対する一般認識が低く、原子力=原子爆弾と云う域を余り
出ていなかったと思う。原子力の平和利用については、まったくという程一般知
識が欠けていた。勿論私も例外ではなかった。

 そのような時代に私は、アメリカの代表的な原子力発電施設や原子力研究所の
幾つかをつぶさに見ることができ、極めて充実した希望の毎日を送っていた。そ
して旅程の最後にテネシー州にあるオークリッジ国立研究所(Oak Ridge
National Laboratory)を訪問したときほど深い感銘をうけたことがなかった。そ
こで初めて、原子力開発自体に極めて根本的な問題が幾つもあることに開眼させ
られた。

 同研究所の所長、アルヴィン・ワインバーグ博士(Dr. Alvin Weinberg)が、戦
後初めて会う我々日本人に話してくれた貴重な lesson をここで紹介しておきた
いと思う。


 「私は広島に落とされた原子爆弾、"Little Boy" の製作に係わった一人です。
まさか人間の密集する頭上にこれが落とされるとは思いも寄らなかった。それ以
来罪悪感に苛まれ、若しもう一度人間に生まれ変わることがあれば物理学者に絶
対ならないと誓っている。それほど後悔している。日本国民に深くお詫びしたい」
と言って右手をさしだした。

 その時彼の眼には光るものが見え、私も胸中熱いものが込み上げて来たのを今
でも鮮明に覚えている。私にとって、原爆投下の罪を詫びたアメリカ人が、彼が
初めてであったからであろう。そして今でも、彼が最初で最後である。

 ワインバーグ博士は更に言う:

 「日本は廣島、長崎と二度までも原爆と言う悪魔の洗礼を受け、もう原子力に
は懲り懲りだと思っていたにも拘わらず、今度は原子力の平和利用と言う名目で、
特に原子力発電に興味を持ち始めた。これには私は理解に苦しむ。そこで貴方に
言っておきたい事がある。どうかそれを私の土産として日本の皆様に伝えてほし
い」

 「いったん原子力開発に手を染めるとPandoraのBoxをOpenするのと同じことに
なる。この世のありとあらゆる災難が頭上に降りかかって来る。それは平和利用
の為であっても。やがては人類、ひいてはこの地上のすべての生物を破滅に導く
のである」と彼は語気強く語った。

 さらに彼は言う:

 「原子炉でウラン燃料を燃やすとウランの灰が残る。この灰には有毒放射能が
残っていて其の毒性は何千何万年と言う長時間残存するものが多い。そこでこの
灰を人類其の他地上のあらゆる生物に危害が加わらない安全な方法で保管または
処置をしなければならない。

 現在アメリカでは、用済み燃料をドラム缶に詰めて人里はなれた広大な砂漠の
地中深く埋めるか、深海に沈めている。しかしいずれドラム缶が腐食し中の放射
能が漏れて地下水に溶け込み、河川に運ばれ魚介類に吸収され、食物連鎖で最終
的には人間の口に入り我々の健康を害し、また連鎖的に動植物に危害を加え、そ
の結果生物に取り返しのつかない事態を引き起こす。

 アメリカの一般国民はまだこの様な無責任なやり方に気付いていない。しかし
早晩これに気付き、大問題に発展することは必至である。しかし今の所、山積す
る放射能廃棄物を処分する方法はこれ以外にないのである。実に情けないことで
ある。

 未来何千年、何万年にわたり、地上の生物を放射能の危害から100%安全に守る
方法が見つかる可能性は残念ながら薄いと言わざるを得ない。まさに八方塞がり
の状態で、これは原子力開発のもつ実に悲しい宿命である。

 また原子炉の耐用命数は約30年。30年経てば解体しなければならない。しかし
今日現在、いまだ安全な解体技術が開発されてないという悲しい現状である。か
りに開発されたとしても、比べ物にならない高レベルの放射能を持つ炉心部やそ
の他部品をどうやって安全管理するのかと言う更なる難問題にぶつかる。

 一方、原子力による発電コスト(直接費)については、各種レベルの放射性廃
棄物の保管又は処分にかかるコスト(間接費)を加算すると、きわめて高いもの
につく。アメリカの原子力発電は戦争目的で作られた原子炉の副産物であり、し
かも無利子の資金を使っているので商業用発電コストの参考にはならない。

 さらに日本の原子力発電施設の立地条件の観点から見ると、

1.日本は人口が多い。(アメリカの約50%)
2.その領土は狭い。(アメリカの約5%)
3.その上、地震多発国である。

 という悪条件が三拍子揃っている。まるでバッターボックスに立つ前に三振が
コオルされているのと同然である(like having three strikes called before
coming to the batter's box)。

 また原子炉の運転ミスが絶対にないと言い切れない。その上、予想外に大きい
地震が発生し大量の放射能漏れが発生したとなると、日本の人口が稠密(ちょう
みつ)である為、外国と比べ物にならない多くの人身災害が出る可能性が大であ
る。かりに放射能漏れがなくとも、放射性廃棄物の不完全管理の為、原子爆弾に
よる一瞬にして起こるダメージと同程度のものが、じわじわと起こることが必然
である。

 原爆の恐ろしさを身をもって体験させられた日本人こそ、原子力の平和利用、
中でも安価で豊富な電力と言う美名に乗せられて悪魔と取引してはならない。又、
科学者の言うことを鵜呑みしてはいけない。

 日本には同じ太陽熱の利用であっても核分裂によらない世界に冠たるクリーン
な生産技術があるではないか。それはクロレラ生産の技術である。代表的な施設
が東京郊外にあるはずだ。クロレラを増産し、人や動物の食用に供し、そのノウ
ハウを応用発展させれば有益な展望が開けるのではないか。


 このようにワインバーグ博士は、原子力開発の先駆者として、それも廣島に投
下された原子爆弾製造に加担した一人として、後悔の念もあって心の奥底から日
本に対して忠告してくれているのだ、と緊張して一言一句逃さないよう聞き耳を
立てていた。


 帰国して岸総理、高崎大臣に、博士の忠告をそのまま報告したことは言うまで
もない。しかし日本の採った道は博士の言う「悪魔の原子力発電」であった。い
まや60余の原子力発電施設が日本狭しと並んでいる。しかも日本が選んだ発電炉
は皮肉にもワインバーグ博士の特許である、ウランを燃料とする軽水炉であった。
しかも早や1960年代初頭、既に博士はウラン型軽水炉の弱点を声高々と警告して
いた。

 博士は、電気系統に故障が起きた時に原子炉が制御困難に陥り暴走する危険性
のあることを指摘し、そのようなことのないトリウム燃料型への切り替えを推奨
していたのだが、アメリカ政府と業界の猛反対に遭い、ついに博士は長年勤めた
オークリッジ研究所を追われる身となった。

 いうまでもなく日本の原子力発電は、勤勉な日本の労働力と相まって、戦後日
本の産業復興に貢献し「ジャパン・アズ・ナンバーワン」のラベルが至るところ
に貼られるまでに至った。その功績は将(まさ)に原子力発電に負うところ大で
あった。一方、パンドラの箱が開かれてから早や50数年、博士の恐れた「この世
のありとあらゆる災難」の一つ、いや三つ、「地震、津波、原発破壊」がわが国
を襲い、我々は英知を絞って対処している真っ最中である。

 結果いかんを問わずわが国民は、これ以上原子力発電政策の継続を許さないだ
ろう。これに変わるClean energy, clean air政策を重点的に採用することを要
求するであろうし、そうすべきである。

 日本としては、すでに実用化されている風力発電、太陽熱パネルの利用を大々
的に後押しし、小型強力電池(大型車両、船舶、住宅、ビル、工場等に用いる)
の開発を応援し、その他 clean な方法でcleanな環境つくりに専念すべきである
ことは、いうまでもなく肝要(かんよう:非常に大切なこと)である。

 原子力が日本にもたらした功罪、就中(なかんづく:とりわけ)、現在展開中
の第三の惨状をワインバーグ博士はどのような思いで観ておられのであろうか。
いまや知る術もない。ただ慙愧(ざんき:恥じ入ること)の涙で目を一杯にして
いることであろう。願わくば、彼の顔に笑みが戻る日の早からんことを祈ってい
る。


川本 稔 1920年カリフォルニア州サクラメント生まれ。35年日本に帰国。43年
陸軍に入隊。戦後、日米の文化と言語に通じた能力を生かしてGHQの民間情報教
育局勤務。51年シンシナティ大学政治学科卒業。帰国後は戦後の昭和史に残るさ
まざまな国家プロジェクトに係わる。電源開発初代総裁高崎達之助の特別秘書、
石橋湛山首相秘書を務めた後に政治の世界を離れ、九州石油開発、インドネシア
石油などの役員顧問を歴任。現在は東京の自宅と湘南の別荘で生活を楽しむ。


原発の維持・推進のために、地球温暖化脅威論をバラまいたという元
「オークリッジ国立研究所」所長

Posted by @Nobunaga_Hotta on 2012年1月14日

原発の維持・推進のために、地球温暖化脅威論をバラまいたという元「オークリッ
ジ国立研究所」所長のアルビン・ワインバーグは、科学の統一に関する国際会議
(ICUS、International Conferences for the Unity of Science、1935年にバー
トランド・ラッセルとジョン・デューイが設立)という「科学者」の団体の中心メンバー
だった。

ワインバーグがオークリッジ国立研究所の所長をつとめていたのは、1955年から
1973年の18年間で、ABCCの職員山田広明と米オークリッジ国立研究所の研究者
T.D.ジョーンズが黒い雨の人体影響に関するレポート「An Examination of  A-bomb
SURVIVORS EXPOSED TO FALLOUT RAIN AND A COMPARISON TO A SIMILAR
CONTROL POPULATION」を出した1972年12月8日の時期も含まれている。

ワインバーグ自身は、2006年10月18日に亡くなっているが、ワインバーグが生前
取り組んでいたというトリウム溶融塩炉が安全で低コストであると礼賛する声が
近年高まっており、福島第一原発事故後も、資源・環境ジャーナリストを自称す
る谷口正次が「さよならウラン、こんにちはトリウム 米中印が続々参入…福島
原発事故で浮上した未来の原発」(日経ビジネスオンライン、2011年4月7日)な
ど、日経では礼賛記事が続いている。

2011年3月19日、ウオール・ストリート・ジャーナル、3月21日、デイリー・テレ
グラフがトリウム溶融塩炉の礼賛記事を掲載し、同年9月、トリウム原子力発電
推進者が英国に集結し、新たな推進団体ワインバーグ財団を立ち上げた。

日本では、同年10月25日、「トリウム熔融塩炉を考える会」なる団体が原発推進
派の有馬朗人(武蔵学園学園長・元東京大学総長)、「新しい教育基本法を求め
る会」代表も務めたことがある西澤潤一(元東北大学総長・元日本原子力産業協
会会長)、トリウム溶融塩炉を宣伝してきた古川和男(元東海大学開発技術研究
所教授)が講師となって講演会を開催している。