アインシュタインが予言した重力波、米中心のLIGOチームが史上初めて観測に成功

アインシュタインが予言した「重力波」初検出 ブラックホールの合体は一般相対性理論と完全一致した
宇宙から届く「重力波」を米チームが世界で初めて検出し、アインシュタインが一般相対性理論で
示した予言が100年ぶりに証明された。光では見えない「暗黒宇宙」の姿をとらえる画期的な成果で、
新たな天文学や物理学に道を開く「世紀の発見」となった。(草下健夫、黒田悠希)              
まとめ読み

アインシュタインの予言 中澤英雄

映画「アインシュタインの豫言」

アルベルト・アインシュタインの予言――といっても、質量はエネルギーに変換されるとか、光が重力によって曲がる、などといった物理学上の予言ではない。アインシュタインが「日本が世界の盟主になる」と予言したというのである。多くの書籍、雑誌、インターネット・サイトに、彼が語ったとされる次のような言葉が引用されている。

「近代日本の発展ほど世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が世界に一カ所ぐらいなくてはならないと考えていた。世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れるときが来る。そのとき人類は、まことの平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜きこえた最も古くてまた尊い家柄ではなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。それにはアジアの高峯、日本に立ち戻らねばならない。われわれは神に感謝する。われわれに日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」

「予言」にはいくつかのヴァージョンがあり、引用者によって文言が微妙に異なっているが、右は千葉大学名誉教授・清水馨八郎氏の『今、世界が注目する「日本文明」の真価』に掲載されている文章である。昨今の皇室典範問題の中で、お茶の水女子大学教授・藤原正彦氏など、この言葉に言及する人が時々見られる。

一九二二年に来日したアインシュタインが大の親日家になったことは事実である。その時のアインシュタインの様子については、金子務氏の『アインシュタイン・ショック』や杉元賢治氏編訳『アインシュタイン日本で相対論を語る』などに詳しい。しかし、この言葉はちょっとほめすぎ、というよりも、「一系の天皇」とか「尊い国」とか「世界の盟主」というのは、あまりにも皇国史観的ではなかろうか。アインシュタインが本当にそういうことを語ったのだろうか――という素朴な疑問から文献を調べてみた。

その結果、判明したことは――大部分の引用者は出典を明記していない。出典らしきものがある場合も別の本からの孫引きで、その引用元には出典が書かれていない。来日当時の日本の新聞、雑誌には、このような言葉はどこにも掲載されていない。よく出典として言及される雑誌『改造』のエッセイ「日本における私の印象」にも、こういう文章はない。彼のドイツ語、英語の著作にも対応する文章はない。

しかもアインシュタインは元来、社会主義的な信条の持ち主で、天皇(制)には無関心であった。また彼は日本人と日本の政治・外交を区別し、満州事変以降の日本の対外政策を厳しく批判している。そのアインシュタインがあのような手放しの日本礼賛をするとはとても考えられないのである。

いったいどこからこのような奇妙な「予言」が生まれたのであろうか? 調査の過程で思いもかけない文献に出くわした。田中智学の『日本とは如何なる国ぞ』(一九二八年)という本の中に、「予言」ときわめてよく似た文章が存在したのである。田中智学は、日蓮主義の宗教家、国柱会の創設者、戦前の日本国体思想に多大の影響を与えた思想家で、戦時中によく使われた「八紘一宇」は、彼が日本書紀の「八紘為宇」という語句を使って造語したものである。ただし智学の本の中では、この言葉は、伊藤博文も明治憲法の制定に先立ちその講義を聴いた、一九世紀ドイツの国法学者ローレンツ・フォン・シュタインが、明治の元勲・海江田信義に語ったものとされている。そこで、『明治文化全集』に収録されているシュタインの海江田への講義録を読んでみると、そこには「予言」のような内容は含まれていなかった。つまり、智学はシュタインにかこつけて自分の信念を述べた、というのが真相なのである。

私は当初、智学版「シュタインの予言」がいつの間にか「アインシュタインの予言」に誤解されて広まったのだろう、と考えていた。ところが、私の調査が朝日新聞六月六日夕刊で紹介されたところ、フィルム・幻灯研究家の松本夏樹氏から驚くべき情報が寄せられた。一九三〇年代初めに「アインシュタインの豫言」と題された無声映画が制作されていたというのだ。その映画を拝見させてもらったところ、まさに例の「予言」が一種のSF映画に仕立て上げられているではないか。田中智学の本が出版されて間もないころに、何者かが意図的に「シュタイン」に「アイン」を付加し、アインシュタインの名前を国体意識発揚のために利用したのである。その背後にいかなる組織があったのかは、劣化の著しい映画からは読み取れなかったが、おそらく日本陸軍が関与していただろう、というのが目下の推測である。  
                  東京大学教授(言語情報科学専攻/ドイツ語

アインシュタインの言葉 ~尊い国~
 近代日本の発達ほど世界を驚かしたものはない。その驚異的発展には他の国と違ったなにものかがなくてはならない。果たせるかなこの国の歴史がそれである。この長い歴史を通じて一系の天皇を戴いて来たという国体を持っていることが、それこそ今日の日本をあらしめたのである。

私はいつもこの広い世界のどこかに、一ヶ所ぐらいはこのように尊い国がなくてはならないと考えてきた。なぜならば、世界は進むだけ進んでその間幾度も戦争を繰り返してきたが、最後には闘争に疲れる時が来るだろう。このとき人類は必ず真の平和を求めて世界の盟主を挙げなければならない時が来るに違いない。

その世界の盟主こそは武力や金の力ではなく、あらゆる国の歴史を超越した、世界で最も古くかつ尊い家柄でなくてはならない。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。神が我々人類に日本という国を作って置いてくれたことである。
                        アインシュタイン
上記は、月刊「致知」に掲載された「アインシュタインの予言」東京大学大学院教授・
中澤英雄氏が同誌に寄稿されれたレポートです。

以下、本記事の概要をまとめてみます。
結論から申し上げますと、この有名な予言は19世紀のドイツの有名な国法学者シュタイン博士が
海江田信義に語ったとされる言葉を紹介した、国体思想家・田中智学の著書「日本とは如何なる
国ぞ」(1928年)がオリジナルのようです。

ちなみに「八紘一宇」という言葉は、「日本書紀」の語句を用いた田中智学の造語です。また、
石原莞爾は田中智学の弟子であり、田中智学の思想は石原莞爾の有名な「最終戦争論」へ
と受け継がれたました。

日本とは如何なる国ぞ」の中にある、オリジナルを以下に引用します。
そんな立派な歴史があればこそ東洋の君子国として、世界に比類のない、皇統連綿万世一系の一大事績が保たれているのである。世界の中にどこか一ヶ所ぐらい、そういう国がなくてはならぬ、というわけは、今に世界の将来は、段々開けるだけ開け、揉むだけ揉んだ最後が、必ず争いに疲れて、きっと世界平和を要求する時が来るに相違ない。そういう場合に、仮りに世界各国が聚ってその方法を講ずるとして、それには一つの世界的盟主をあげようとなったとする、さていかなる国を推して「世界の盟主」とするかとなると、武力や金力では、足元から争いが伴う、そういうときに一番無難にすべてが心服するのは、この世の中で一番古い貴い家ということになる、あらゆる国々の歴史に超越した古さと貴さを有ったものが、だれも争い得ない世界的長者ということになる、そういうもんがこの世の中に一つなければ世界の紛乱は永久に治めるよすががない。果たして今日本の史実を聞いて、天は人類のためにこういう国を造って置いたものだということを確かめ得た。
田中智学「日本とは如何なる国ぞ」より引用 

たしかに、アインシュタインの予言にそっくりです。

しかし、海江田信義によるシュタイン博士の講義の筆記録と、「日本とは如何なる国ぞ」に
紹介されて言葉とは大きく異なるものだそうです。

実は、この予言は田中智学自身の思想であり、「日本とは如何なる国ぞ」より以前の著書
「天壌無窮」(1915年)にはこのような記述があります。

「世界の将来には、一度は必ず世界をあげての大戦乱が来り、各国ともそれにこりごりして、真の平和を要求する様になる時が来て幕が開く、その時こそ、かねがねこの平和の為に建てられたてある日本は、勢い「最後平和の使命」を以って登場して、世界渇仰の下に、この始末を着けてやらねばならぬ役回りとなる。
世界各国が自国の利益を追求して抗争しているかぎり、世界はいずれ大戦乱に見舞われる。世界が混乱の極みに達したときに、日本(の天皇)を中心にして世界平和が樹立される。世界統一(八紘一宇)、世界平和の実現こそ、神国にして法華経国である日本に生まれた日本人の果たすべき天業(天命)である。

中澤英雄氏によると、神武天皇の建国神話と日蓮の予言を結びつけた田中智学自身の
この思想を、シュタインの名を利用して「日本とは如何なる国ぞ」に記述。この「シュタイン
名義」の予言が、

 一、何者かによってアインシュタインにすりかえられた。
 ニ、名前の類似から、誤解されて流通した。

この二つの仮説のいずれかによって、「アインシュタインの予言」となったとのことです。

アインシュタインと日本(1中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)2005.28
アインシュタインと日本 Part 2 2005.6.26
中澤氏への反論 
 検証中:     

アインシュタインの予言 
ウィキペディアより

アインシュタインの予言は、アルベルト・アインシュタインの発言として流布されている。
約300文字程度の言葉である。「近代日本の驚くべき発展」を賞賛し、「来たるべき
世界政府の盟主は日本が担うことになるであろう」と予言している。さらに、「そのような
尊い国を作っておいてくれたことを神に感謝する」と続く。

ドイツ文学研究者の中澤英雄は、2005年(平成17年)に「アインシュタインがこのような
趣旨の発言をした例は一例も存在しない」とする論証を提出した。

概要
この文章の初出は明確ではないが、1950年代に遡ることができる。以降書籍・雑誌で
引用・再引用が繰り返され、インターネットの普及後はウェブ上の記事においても多数
引用されている。度重なる引用と孫引きによって、文章が一部抜け落ちていたり、一部
の語句が書き換えられていたりと、現在様々なバージョンが流布しているが、大筋では
大同小異である。以下に典型例の一つを挙げる[2][5]。

近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。
この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならない。
果たせるかなこの国の、三千年の歴史がそれであった。
この長い歴史を通して、一系の天皇をいただいているということが、今日の日本をあらせしめたのである。
私はこのような尊い国が、世界に一カ所位なくてはならないと考えていた。
なぜならば世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か戦いは繰り返されて、最後には戦いに疲れる時がくる。
その時人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主を挙げねばならない。
この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた、最も古くまた尊い
家柄ではなくてはならぬ。
世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。
それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
吾々は神に感謝する、吾々に日本という尊い国を、作って置いてくれたことを。

この言葉は「日本人の愛国心をくすぐる内容」と宣伝され、再三に渡って引用されており、古いもの
では今村均の1956年(昭和31年)の著書『祖国愛』に、また、名越二荒之助の1977年(昭和52年)の
著書『新世紀の宝庫・日本』においても存在が確認できる[2]。最近のものでは、2005年(平成17年)の
『世界の偉人たちが贈る日本賛辞の至言33撰』で紹介されている[6]。しかし、この文章の出典とされる
雑誌『改造』1922年(大正11年)12月号(アインシュタイン特集号)には、該当の文章は存在しない。

偽書説

2005年(平成17年)、ドイツ文学研究者の中澤英雄・東京大学教授(当時)は、この発言がアインシュタイン
のものであるという確定的な典拠は存在せず、またアインシュタインの思想とは矛盾する内容であると
発表した。中澤は、この「予言」の原型を宗教家の田中智學が1928年(昭和3年)に著した本『日本とは
如何なる國ぞ』の一節であると指摘した[1][2][3][4]。以下にそれを記す。

故高崎正風氏が特に私に傳言して呉れと話された談に、曾て海外へ派遣された海江田子爵が丸山作樂
氏を伴れて獨逸のスタイン博士を訪問した時、スタイン博士が、日本の歴史を訪ねられた所から、丸山氏は
得意に日本開闢以來の?史を要説して、日本君民の現況を話したら、博士は非常に驚いて、

『どうも日本といふ國は、舊い國だと聞いたから、これには何か立派な原因があるだらうと思ツて、
これまで訪ねて來た日本の學者や政客等に就いてそれを訊ねても、誰も話してくれない、私の國には
お話し申す樣な史實はありませんとばかりで、謙遜ではあらうが、あまりに要領を得ないので、心ひそか
に遺憾におもツて居たところ、今日うけたまはツて始めて宿年の疑ひを解いた。そんな立派な?史が
あればこそ東洋の君子國として、世界に比類のない、皇統連綿萬世一系の一大事蹟が保たれて居る
のである、世界の中にどこか一ケ所ぐらゐ、爾ういふ國がなくてはならぬ、トいふわけは、今に世界の
將來は、段々開けるだけ開け、揉むだけ揉んだ最後が、必ず爭ひに疲れて、きツと世界的平和を要求
する時が來るに相違ない。さういふ場合に、假りに世界各國が聚ツて其方法を議するとして、それには
一つの世界的盟主をあげようとなツたとする、扨ていかなる國を推して「世界の盟主」とするかとなると、
武力や金力では、足元から爭ひが伴う、さういふ時に一番無難にすべてが心服するのは、この世の中で
一番古い貴い家といふことになる、あらゆる國々の?史に超越した古さと貴さを有ツたものが、だれも爭ひ
得ない世界的長者といふことになる、そういふものが此の世の中に一つなければ世界の紛亂は永久に
治めるよすがゞない。果して今日本の史實を聞いて、天は人類のためにかういふ國を造ツて置いたもの
だといふことを確め得た』と言はれて、大層悅ばれたといふ事で、子爵が歸朝早々葉山なる高崎氏を
尋ねて話されたといふことで、それを高崎氏の知人なる吾が門人某に托して私に傳へられた。
私はこれを聞いて、左もこそと思ツた。 田中巴之助、田中 1928, pp. 30 f.

ただし、田中はこの言葉を大日本帝国憲法制定に大きな影響を与えたドイツ人法学者ローレンツ・
フォン・シュタインの発言として紹介しており、「予言」はアインシュタインのものではないとされている。

中澤は「シュタイン」と「アインシュタイン」という名前の類似性から、流布の過程ですり替わって
しまったとし、また内容的にシュタインの思想とも食い違っており、シュタインの発言ではなく、
田中による創作であると考察した。つまり、田中がシュタインを狂言回しに自らの思想を語った
ものであり、それに細部の改変が加えられて「アインシュタインの予言」となり、現在に流布した
のであると論証した。

この「予言」がアインシュタインのものではないという話は、2006年(平成18年)6月7日付の
『朝日新聞』でも取り上げられ、中澤は「海外からみたらアインシュタインをかたってまで自国の
自慢をしたいのかと、逆に日本への冷笑にもつながりかねない事態」と語っている
[6]
。また、
アインシュタイン研究を行っている板垣良一・東海大学教授(物理学史)は、「アインシュタインは
キリスト教徒でもユダヤ教徒でもなく、神にこだわらない人だった[7]」とした上で、彼が残した
日記や文献の上でも日本の天皇制に言及したものはなく、この発言を「アインシュタインのもの
ではない」と断言している[6]。またアインシュタインは、「私にとって神という単語は、人間の弱さの
表現と産物以外の何物でもない。聖書は尊敬すべきコレクションだが、やはり原始的な伝説に

すぎない。」「ユダヤ教は、ほかのすべての宗教と同様に、最も子どもじみた迷信を体現したものだ。
私もユダヤ人の1人であり、その精神には深い親近感を覚えるが、ユダヤ人はほかの全ての人々と
本質的に異なるところはない。私の経験した限り、ほかの人間より優れているということもなく、
『選ばれた』側面は見当たらない」とも書き残しており、信じてもいない神に感謝することなどありえない[8]。

また、原田実『トンデモ日本史の真相』では、ここに収録された『予言』とほぼ同じものが、大本教の
教義解説書『大本のしおり』1967年(昭和42年)刊に、「スタイン博士」の言葉として見られると指摘している[9]。

もう一つの「アインシュタインの予言」

「第二次世界大戦では原子爆弾が兵器として利用されましたが、第三次世界大戦が起こったら、
どのような兵器が使われると思いますか?」というインタビューを受けたアインシュタインが「第三次
世界大戦についてはわかりませんが、第四次大戦ならわかります。石と棍棒でしょう。」と答えた
というもの[10][11]。これは「予言」というよりはむしろ、第三次世界大戦は全面核戦争である故、
人類文明の崩壊は必然であるという「警句」である。

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アインシュタインの見た日本

 アインシュタインが日本で見たもの、それは人びとが慎み深く和して生きる世界だった。

1.アインシュタインの感動■

 大正11(1922)年11月17日、アインシュタインを乗せた日本郵船の北野丸は、
瀬戸内海を通って、神戸港に近づいた。フランスのマルセイユを出てから、1カ月
以上の船旅だった。瀬戸内海の景色について、アインシュタインはこう記している。

 私の好奇心が最高潮に達したのは、「北野丸」が日本の海峡を進むとき、朝日に
照らされた無数のすばらしい緑の島々を見た時でした。[1,p140]

 景色ばかりでなく、その時に同乗していた日本人船客らの態度も、アインシュタインを感動させた。

 しかし、いちばん輝いていたのは、日本人の乗客と乗組員全員の顔でした。いつもは朝食前に
けっして姿を見せたことのない多くの華奢なご婦人たちは、一刻も早く祖国を見たいと、ひんやり
とした朝風も気にせず6時ごろにはいそいそと甲板に出て、楽しげに歩き回っていました。私は
そうした人々を見て深く感動しました。

 日本人は、他のどの国の人よりも自分の国と人びとを愛しています。・・・[1,p140]

 これが、アインシュタインの40日以上に渡る日本滞在の始まりだった。

  ■2.「神秘のベールに包まれている国」■

 アインシュタインの来日は、改造社の山本実彦社長からの招待によるものだった。

山本氏(改造社)から日本へ招待いただいた時に、私は数ヶ月を要する大旅行に行こ
うとただちに意を固めました。それに対する私の説明しうる理由というのは、もし私が、
日本という国を自分自身の目で見ることのできるこのチャンスを逃したならば、後悔し
てもしきれないというほかありません。

私が日本へ招待されたということを周囲の人びとが知ったその時、ベルリンにいた私
が、あれほどまでに羨望の的になったことは、いまだかつて、私の人生の中でなかで経
験したことはありませんでした。というのも、われわれにとって、日本ほど神秘のベー
ルに包まれている国はないからです。[1,p140]

当時の日本を限りない愛情を込めて西洋に紹介したのは、ラフカディオ・ハーンで
あった[a,b]。アインシュタインはハーンの著作を読み、日本への期待を抱いていた。
来日後、彼は次のような手紙を親友に認めている。

やさしくて上品な人びとと芸術。日本人はハーンの本で知った以上に神秘的で、その
うえ思いやりがあって気取らない。[1,p117]

当時のヨーロッパは、第一次大戦が終わったばかりの荒廃した状態だった。多くのヨー
ロッパ人は、現代西欧文明の精神的な行き詰まりを感じていただろう。それに対して日
本はいまだ「神秘のベールに包まれている国」であった。

3.熱狂的な歓迎■

 11月17日に神戸に上陸したアインシュタインは、京都で一泊。翌朝、東京に向
かった。

朝、9時から夕方7時まで雲ひとつない空の下、展望車に乗って東京まで汽車旅行。
海、入り江を通過。雪に被われた富士山は遠くまで陸地を照らしていた。富士山近くの
日没はこのうえなく美しかった。森や丘のすばらしいシルエット。村々は穏やかで綺麗
であり、学校は美しく、畑は入念に耕されていた。・・・

 東京に到着! 群衆に取り囲まれ、写真撮影で凄まじいフラッシュを浴びた。無数
のマグネシウムをたく閃光で完全に目が眩む。[1,p17]

この情景を翌日の大阪毎日新聞は大きな写真入りで、こう伝えた。

東京駅で人びとが絶叫----「アインシュタイン!」「アインシュタイン!」「万歳!」
怒濤のごとく群衆が博士に殺到し、東京駅は大騒ぎとなった。日本人の熱狂ぶりを見て、
駅に博士を出迎えたドイツ人関係者らは喜びのあまり目に涙を浮かべる人さえいた。
[1,p19]

この熱狂的な歓迎について、アインシュタイン自身こんな談話を残している。

 私の生涯に、こんあことはありませんでしたよ。米国に行った時も大騒ぎでしたが、
とてもこんな赤誠はありませんでした。これは日本人が科学を尊ぶためでしょう。ああ
愉快だ、心からうれしい。[1,p17]


4.「6時間におよぶ講演に聴衆が酔った」

 11月19日には、アインシュタインは長旅の疲れをものともせずに、慶應義塾大学
にて6時間もの講演を行った。読売新聞はこう伝えている。

6時間におよぶ講演に聴衆が酔った----慶應義塾大学での日本初の講演は内容は「特
殊および一般相対性理論について」。1時間半から3時間の講演後、1時間の休憩をは
さみ、講演が再開され8時半に閉会。実質6時間の長講演にもかかわらず、2000人以上
の聴衆は一人として席を立たず、アインシュタインと通訳石原純の一言一言に静粛かつ
真剣に聞き入っていた。理屈が理解できる、できないにかかわらず、皆アインシュタイ
ンの音楽のような声に酔いしれたという。[1,p20]

その後も、東京帝国大学での6回連続の特別講演、東京、仙台、京都、大阪、神戸、
博多での一般講演などが続いたが、どの会場も盛況で、千人単位の聴衆が集まり熱心に
聞き入った。

アインシュタインがいかに分かり易く説いたとしても、これだけ多くの一般的な聴
衆が、相対性理論をよく理解し得たとは思えない。東京駅での熱狂的な歓迎、そして講
演での熱心な聴講態度は、何が原因だったのだろう。


■5.「外国の学者に対する尊敬の念」■
12月10日、京都に戻ったアインシュタインは、講演後、京都御所を訪問し、「御所
は私がかつて見たなかでもっとも美しい建物だった」との感想をもらした。

中庭からは即位式用の椅子がある即位の間が見えた。そこには約40人の中国の政治
家の肖像画があった。中国から実のある文化を日本にもたらしたことが評価されたため
である。

外国の学者に対するこの尊敬の念は、今日もなお、日本人のなかにある。ドイツで学
んだ多くの日本人の、ドイツ人学者への尊敬には胸を打たれる。さらには細菌学者コッ
ホを記念するために、一つ寺が建立されなければならないようだ。

 嫌味もなく、また疑い深くもなく、人を真剣に高く評価する態度が日本人の特色で
ある。彼ら以外にこれほど純粋な人間の心をもつ人はどこにもいない。この国を愛し、
尊敬すべきである。[1,p95]

「外国の学者に対するこの尊敬の念」は、日本人の伝統だが、近代西洋科学への尊敬
はまた格別の念があった。富国強兵は、世界を植民地化しつつある西洋諸国から国家の
自由と独立を護るための日本の国家的課題であった。そして経済力にしろ、軍事力にし
ろ、その根幹は近代西洋の科学技術にあったからだ。

そしてアインシュタインこそ、その西洋近代科学の最高峰を体現する人物であった。
当時の日本人が、彼を熱狂的に歓迎し、その講演に陶酔したのは、「外国の学者に対す
る尊敬の念」という伝統と共に、近代西洋科学の国家的重要性を国民の多くが感じ取っ
ていたからであろう。


■6.「微笑みの背後に隠されている感情」■

日本は明治以降、ヨーロッパに多くの留学生を送り、西洋近代科学を学び取ろうと
していた。アインシュタインは来日前から日本からの多くの留学生と出会い、ある印象
を抱いていた。

 われわれは、静かに生活をし、熱心に学び、親しげに微笑んでいる多くの日本人を
目にします。だれもが己を出さず、その微笑みの背後に隠されている感情を見抜くこと
はできません。そして、われわれとは違った心が、その背後にあることがわかります。
[1,p140]

日本滞在中、講演と観光の合間を縫って、アインシュタインは多くの日本人と会った。
長岡半太郎や北里柴三郎ら日本を代表する科学者、学生、ジャーナリスト、そして一般
家庭の訪問まで。そして「微笑みの背後に隠されている感情」が何かに気がついた。

 もっとも気がついたことは、日本人は欧米人に対してとくに遠慮深いということです。
我がドイツでは、教育というものはすべて、個人間の生存競争が至極とうぜんのことと
思う方向にみごとに向けられています。とくに都会では、すさまじい個人主義、向こう
見ずな競争、獲得しうる多くのぜいたくや喜びをつかみとるための熾烈な闘いがあるの
です。[1,p141]

全世界の植民地化、そして1900万人もの死者を出したと言われる第一次大戦は、この
「熾烈な闘い」の結果であろう。


■7.「日本人の微笑みの深い意味が私には見えました」■


 それに対して、日本人はどうか?

 日本には、われわれの国よりも、人と人とがもっと容易に親しくなれるひとつの理
由があります。それは、みずからの感情や憎悪をあらわにしないで、どんな状況下でも
落ち着いて、ことをそのままに保とうとするといった日本特有の伝統があるのです。

 ですから、性格上おたがいに合わないような人たちであっても、一つ屋根の下に住
んでも、厄介な軋轢や争いにならないで同居していることができるのです。この点で、
ヨーロッパ人がひじょうに不思議に思っていた日本人の微笑みの深い意味が私には見え
ました。
 個人の表情を抑えてしまうこのやり方が、心の内にある個人みずからを抑えてしま
うことになるのでしょうか? 私にはそうは思えません。この伝統が発達してきたのは、
この国の人に特有のやさしさや、ヨーロッパ人よりもずっと優っていると思われる、同
情心の強さゆえでありましょう。[1,p142]

「不思議な微笑み」の背後にあるもの、それは「和をもって貴し」とする世界であっ
た。


.「自然と人間は、一体化している」■

日本人の「個人の表情を抑えてしまうこのやり方」のために、アインシュタインは日
本滞在中も、その心の奥底に入り込むことはできなかった。

けれども、人間同士の直接の体験が欠けたことを、芸術の印象が補ってくれました。
日本では、他のどの国よりも豊潤に、また多様に印象づけてくれるのです。私がここで
「芸術」と言うのは、芸術的な意向、またはそれに準じ、人間の手で絶えず創作してい
るありとあらゆるものを意味します。

 この点、私はとうてい、驚きを隠せません。日本では、自然と人間は、一体化して
いるように見えます。・・・

 この国に由来するすべてのものは、愛らしく、朗らかであり、自然を通じてあたえ
られたものと密接に結びついています。

 かわいらしいのは、小さな緑の島々や、丘陵の景色、樹木、入念に分けられた小さ
な一区画、そしてもっとも入念に耕された田畑、とくにそのそばに建っている小さな家
屋、そして最後に日本人みずからの言葉、その動作、その衣服、そして人びとが使用し
ているあらゆる家具等々。

・・・どの小さな個々の物にも、そこには意味と役割とがあります。そのうえ、礼儀
正しい人びとの絵のように美しい笑顔、お辞儀、座っている姿にはただただ驚くばかり
です。しかし、真似することはきません。[1,p142]

「和をもって貴し」とする世界で、人びとは自然とも和して生きてきたのである。

9.アインシュタインの警告

 明治日本が目指した富国強兵は、西洋社会の闘争的世界に、日本が参戦することを
意味していた。国家の自由と独立を維持するためには、それ以外の選択肢はなかった。
しかし、闘争的な世界観は「和をもって貴し」とする日本古来の世界観とは相容れない
ものであった。

 また富国強兵を実現するために、明治日本は西洋の科学技術を学んだ。しかし、近
代科学の根底には、自然を征服の対象として、分析し、利用しようとする姿勢があった。
それは自然と一体化しようとする日本人の生き方とは異なるものであった。

 西洋近代科学を尊敬し、アインシュタインを熱狂的に歓迎した日本国民の姿勢は、
彼が賛嘆した日本人の伝統的な生き方とはまた別のものであった。両者の矛盾対立につ
いて、アインシュタインはこう警告している。

たしかに日本人は、西洋の知的業績に感嘆し、成功と大きな理想主義を掲げて、科学
に飛び込んでいます。けれどもそういう場合に、西洋と出会う以前に日本人が本来もっ
ていて、つまり生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、
それらのすべてを純粋に保って忘れずにいて欲しいものです。[1,p144]

科学技術の進展から、人類は核兵器を持ち、地球環境を危機に陥れてきた。アインシュ
タインが賛嘆した人間どうしの和、自然との和を大切にする日本人の伝統的な生き方は、
いまや全世界が必要としているものである。(文責:伊勢雅臣)
 
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アインシュタインの宗教観
宇宙の真理ブログ(無限悟り=大統一理論)

「宗教無き科学は欠陥であり、科学無き宗教は盲目である」
                            アインシュタイン

「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、
それは『仏教』です」とアインシュタインは述べたそうです。
従って、ここで述べられている宗教とは、キリスト教などではなく、
むしろ仏教のような世界観・価値観のことのようです。

アインシュタインは宗教学についても研究を行っていて、宗教論を
発表しています。彼の発言は、実際に宗教を研究していた人間として
三段階の宗教論から出てきたものなのでしょう。

後半の「科学無き宗教」というのは、過去のヨーロッパのキリスト教による
圧制的支配を念頭に置いたものでしょう。天動説や進化論など科学の領域に
独断的な神話を持ち込む人格神の概念によって、科学が永年に渡って宗教
によって支配される原因となっていました。

従ってアインシュタインの言葉は、仏教のような「宇宙的宗教」の普遍的価値観
を持つことで科学は完璧となり、

科学を伴わない人格神を持つキリスト教的な宗教は盲目的な狂信行為になるということのようです。

「実は電子とは、僕たちが使っている仮説なのだ。これが自然のしくみを理解するうえで、
ほとんど実在していると言えるくらい便利だということだ。」リチャード・P・ファインマン

真の科学者は、「宗教は科学と矛盾する」とは決して言わない。

「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは『仏教』です。」
                      (アインシュタイン)

宗教といえば、とかく非科学的というイメージがつきまとっています。奇跡、神秘を売り物にし、
多くの信者を集めて金をまきあげる、といったうさんくささを感ずる人も多いでしょう。

仏教は、とても知性的な宗教です。若手の理論物理学者の間で盛んに仏典が読まれている
のも、「諸行無常」「諸法無我」の仏説が、現代科学と少しも矛盾しないばかりか、科学のめざす
真理を先取りしている感すらあると、気づいているからです。

人工知能の研究で知られるマサチューセッツ工科大学でも、やはり仏典が研究されていますが、
「人間の心のしくみを探るのに、仏教以上の教えはありません」
と、研究をリードするマーヴィン・ミンスキー教授は語っています。
ここで、フランスの哲学者パスカルの言葉を。

「人々は宗教を軽蔑している。人々は宗教を嫌い、宗教が真実であることをおそれている。
これを正すためには、まず宗教が理性に反するものでないことを、示してやらねばならない」

仏教こそ、パスカルの言う宗教に合致することを、私たちは知るべきでしょう。

アルベルト・アインシュタインは物理学を研究する一方で、宗教論も表した。
彼は、宗教に3段階あると述べている。

第1は、原始的な「怖れの宗教」。
たたりを与える神を想像し、いけにえを供えて、機嫌をとるたぐいだ。

第2の段階。人格神を説く(キリスト教などの)「倫理的宗教」である。
しかし科学の発達により、病気や遺伝など、種々の因果関係が明らかになるにつれ、
神の意志が働く余地は全くないとの確信は深まる一方だ、と彼は言っている。
さらに、天動説や進化論など科学の領域に、独断的な神話を持ち込む人格神の概念が、
宗教と科学の抗争を生んできた、と結論付けた。

第3段階の宗教とは、神の概念のない「宇宙的宗教」だと言い、因果律に立脚し
科学とはなんら矛盾しない仏教に多大な関心を寄せている。

かくて、「宗教なき科学は不具であり、科学なき宗教は盲目である。」
という名言を残した。

華厳経の世界観は宇宙海。最新科学が説いている宇宙のあり方に似ている。
最新の科学では宇宙は波動の海のような存在。仏陀博士は科学者です
空という概念は 宇宙の本質を知るときに 科学的に重要な概念です
仏陀博士、アインシュタイン、ソクラテスは私の選ぶ3大科学者

私は空海の密教が波動理論の考えに近いと思います
宇宙は無限の全肯定という考え (わたしは在る、在りて在るもの)
宇宙には無いというものは無い、在るしかない だから無もある という考え
有限の全肯定(100%)は否定は無く肯定しかないという考え(二言論)、無限の全肯定とは違う
0 = 無 じゃなくて 0 は中間(空)という考え、
宇宙の本質は 在る、在りて在るもの(無限) なんですよ、宇宙の本質は 無 じゃありませんので。

だから3次元宇宙はビッグバンで無から生まれたんじゃないわけです、在りて在るもの
(無限(多次元意識))から生まれたわけです
宇宙は全て多次元の意識でできてるわけです、だから宇宙には想像(考え、思い)できる
ものは全て在るわけです
ですので宇宙の本質は有る無いの物質基準(二言論、有限)じゃなくて 在りて在るもの
 という無限基準(多次元意識)なわけです。仏教の教祖様にもいろいろいますので ピントのずれた。

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アインシュタインが娘リーゼルに宛てた手紙、宇宙の愛の力について書いた手紙を読んで大変感動し、
アインシュタインの生涯を調べていたところ、娘リーゼルとアインシュタインは一度も会うことな く、
仕事の都合で娘を養子に出した後すぐリーゼルは消息不明になり、病死したのではないかと推測
されているとありました。
この手紙は、天国のリーゼル、またはアインシュタイン自身のため、ひいては世界に向けて発信した
手紙なのでしょうか?どこかに依頼し長期保管されていたものなのですか?
それともアインシュタインはリーゼルが生きているうちに読んでもらえるものとして送ったものなのでしょうか?
書かれた年代や背景をご存知の方がいましたら教えて下さい。

1980年代の末、 アインシュタインの娘リーゼルは、 父から彼女に宛てられたこの1400通の手紙を、
父親の死後20年間は内容を公開しない、 という指示のもとヘブライ大学に寄付したとされています。
その手紙の中の一通。
「その時」が来るまでは公開しないことを、 アインシュタインは手紙の中で、 苦渋の想いと共に懇願していて。

 
天才物理学者アインシュタインの知られざる10の素顔 
    ~相対性理論並に不可解な人物像~【前篇】


彼は、ETHの学友だったミレーヴァ・マリッチ(Mileva Maric/1875―1948)との間に1902年、1人の
私生児を設けていたのだ。その後、ミレーヴァとは1903年に結婚したが、1919年に別れてている。

 生まれた女児は、「Lieserl(リーゼル)」と名づけられた。だが、アインシュタインは生涯に渡って、
その子と一度も顔をあわせていない。

 1902年の1月、ミレーヴァはノヴィ・サド(旧オーストリアー=ハンガリー帝国・現在のセルビアの
都市)の実家で娘を出産した。アインシュタインは、このときスイスのベルンに滞在していた。
ミレーヴァから届いた手紙の内容によれば、お産は困難なものだったらしい。

 1903年9月19日付のアインシュタインから妻宛ての手紙には、はじめてリーゼルについての
言及がある。だが、その後、誰ひとりアインシュタイン・リーゼル・マリッチの運命を知る者はない。

 ミケーレ・ザックマンは著書の中で、リーゼルは誕生後、養子に出され、1903年9月に猩紅熱に
感染して死亡したと結論づけている。

6】妻と交わした奇妙な契約

 アインシュタインとミレーヴァは結婚後、二人の息子ハンス(1904年生まれ)とエドゥアルト
(1910年生まれ)を授かった。けれども、彼の学問的な成功─1921年にノーベル賞受賞─と、
度重なる世界旅行のために、いつしか妻との間にはスキマ風が吹くようになる。ある時、
この問題を解決しようと、彼は次の奇妙な「契約」を提案した。

A. あなたは以下の事項を承認します
1 私の服と洗濯物が良い状態におかれている。
2 私は自分の部屋で、定期的に3度の食事を受け取ります。
3 私のベッドルームと書斎は清潔な状態にあり、特に私の机は私以外の人間がふれてはなりません。
B. 社会的な理由から必要な場合をのぞいて、あなたは私との一切の人間関係を放棄します。

 さらにまた、こんなものもあった。「私が要求した場合、あなたは私に話しかけてはなりません」
。ミレーヴァはこれを粛々と受け入れた。後にアインシュタインは、この契約の追認を求める手紙を
書いており、「(将来的には人間の)個人的な側面は小さな遺物に還元されなければならないの
です」と妻に理解を求めている。そして彼は「その見返りに、私はあなたにすべての見知らぬ女性と
同様の適切なふるまいを約束します」と誓っている。

 それからずいぶんたって、彼は1つの名言を吐いた。…

20世紀最大の物理学者あるいは現代物理学の父とも呼ばれる、かのアルベルト・アインシュタイン
(Albert Einstein/1879─1955)博士─。

 彼は、1905年の「特殊相対性理論(Special relativity)、それを発展させた1915─16年の
「一般相対性理論(General relativity)」により、人類がおよそ2000年にも渡って築き上げて
きた世界の像(かたち)を、根底から覆してしまったトンデモ学者だ。

 なにしろ、時間と空間は恒久不変なものでなく、文字通り、「時と場合」に応じて伸び縮み
するという、まったく新たな宇宙像をほぼ独力で切り開いてしまったのだから。しかも紙と
鉛筆と自らのオツムだけを頼りに。

 ところが、この超天才の肖像写真を見ると...モジャモジャの白髪、額に刻まれた味わい深い
皺の数々、そして、ペロリと舌を出したあの飄々としたおどけぶり...。誰もが思う。これはきさくで、
茶目っ気たっぷりの、まったくの庶民そのものだ。そう、その辺に掃いて捨てるほどいるオッサンにすぎない...と。

 そんなギャップが今日、彼を並外れたポップ・スターの1人に仕立てあげているのかもしれない。
それを「アインシュタイン・レジェンド」とでも呼びたい気がする。

 さて、今回は「不思議の国のアインシュタイン!」と題して、こっそり彼のプライバシーの世界を
覗いてみたい。その舞台裏は、はたして私たちに何をもたらしてくれるだろう?

後編はこちら→】

影の国の彼

【1】 ベビー・アインシュタインは大頭、しかも超太っちょ

 母親のパウリーネは、アルベルト(アインシュタイン)を産んだとき、頭があんまり大きく、
しかも不格好だったので、生まれそこないではないかとたいそう心配した。後頭部が異様に
大きく見えたのだ。家族も最初のうち、彼が奇形児であると考えていた。しかし医師がそれを
なんとかなだめた。数週間すると、頭の形は正常に戻った。めでたし、めでたし。
 また、はじめてアルベルトを目にしたときに、祖母が何度も繰り返したつぶやきは「なんて
デブなの、なんてデブなのっ!」だったと伝えられている。けれども、アルベルトは周囲の気
がかりをよそに、少しだけスローな点を除けば、その後、ごく普通に成長していった。

【2】9歳までしゃべれない?/しゃべらない??
 幼少期のアルベルトは、めったに口を利かない。=「あらゆるものはできるかぎりシンプル
にすべきだ。でも、やり過ぎるとことを仕損じる」。ミレーヴァとのすったもんだから自ら学んだ、
手痛い教訓なのかもしれない。(文・構成=石川翠)かった。…

アインシュタインは、相対性理論を唱えた天才としてよく知られていますが、意外にも女性にだらしが
ない人だったそうです。研究大好きの天才のイメージだったので本当に意外です。
アインシュタインの恋愛が気になる!ということで、アインシュタインの恋愛遍歴について
調べてみたので、衝撃的なエピソードを6つご紹介します。

アインシュタインの恋愛エピソード①

アインシュタイン(1879~1955)がチューリッヒ工科大学に在学中、友人の一人にミレーバ
(1875~1948)という4歳年上の女性がいました。その女性に贈ったラブレターが、
「結婚したら一緒に科学の研究を続けよう。」

一緒に科学の研究をしようなんて、なかなか聞かない愛の言葉ですね。天才と天才の
恋愛ってこんな感じなんでしょうか。

アインシュタインの恋愛エピソード②
アインシュタインはラブレターを送った女性ミレーバと大学卒業後(1903)に結婚します。

結婚する1年前(1902)に、アインシュタインはミレーバとの間に女の子、リーゼルを設けていました。
しかし、アインシュタインは死ぬまで娘であるリーゼルと顔を合わせていません。

ミレーバは旧オーストラリアの実家で出産したのですが、そのときアインシュタインは
スイスにいました。1903年にアインシュタインからミレーバにあてた手紙で初めてリーゼルに
ついて述べていたそうですが、それ以降リーゼルがどのような生涯を歩んだのかは不明なのだそうです。

娘に一生会わないなんてよっぽどの理由があったのですかね。

アインシュタインの恋愛エピソード③

アインシュタインはミレーバと結婚後、2人の息子を設けます。しかし、結婚後に研究から
離れていったミレーバとの結婚はなかなかうまく行きません。ミレーバから心が離れていった

インシュタインの恋愛エピソード④

アインシュタインはミレーバという妻がいるにも関わらず、いとこのエルザ(1876~1936)に
ラブレターを送っています。
アインシュタインの手紙「1913年12月。親愛なるエルザ。離婚するには、相手方の落ち度を証明するものが
なければ、容易ではありません。そこで、私は妻を、クビにできない雇い人のように扱っています。寝室は
別で、彼女と二人きりになるのを避けています。君と慎ましい家庭をもてたら、どんなに素晴らしいでしょう。」
出典:http://homepage2.nifty.com


アインシュタインの恋愛エピソード⑤

1919年アインシュタインは、妻のミレーバと離婚することになります。
そして、4カ月後にいとこのエルザと再婚します。しかし、アインシュタインが本当に狙っていたのは、
エルザの娘のイルザだったそうです。イルザはアインシュタインの18歳年下で、イルザがアインシュタイン
との結婚を嫌がったためエルザと結婚したのだとか。アインシュタインさん見境ないですね。
重力より強い力で恋に落ちていらっしゃいます。

インシュタインの恋愛エピソード⑥

もちろん、エルザと結婚生活をしつつも、アインシュタインは他の女性とも関係を持ち続けます。大学が
公開した手紙によると、アインシュタインは結婚しつつも6人の女性と関係を持っていたことが明らかに
なっています。エルザはその関係を知りつつもアインシュタインを献身的に支えていたみたいですね。

まとめ
恋愛に関してアインシュタインが残した名言に「人が恋に落ちるのは、重力の責任ではない」
という言葉があります。この名言ちょっと意外と思っていましたが、この恋愛遍歴を見ると意外でもなんでも
ないですね。想像以上にだらしがなさすぎてびっくりしました。天才の人って意外な一面を持っていたりしますが、
アインシュタインにもこんな一面があったのですね。ちょっと知りたくなかったで